中上 健次 『化粧』 (講談社)

 現代的生存について思いを遣るとき、この日常、つまりはありふれた現実に《異》を立てるものを無視できないという心性がある。《異》とは、日常の対立物としての、たとえば変異、事件の類ではない。根源のところで存在そのものを勾かすに十分な、あるいは日常のなかにあってこれと拮抗しうる生の経験である。と言って悪ければ、近代とその意識が捨象してきた心の深層部分である。

 この小説集は十二の短篇から成る。いずれも作者の生まれ育った熊野に材を採っている。熊野は、太古の原始的な自然信仰から神仏習合が完成されたといわれる中世にかけて、その神秘的で霊的な刺激に富む自然環境とともに日本人の感性に大きな刺激を与え続けた地である。
 根所ともいうべきこの熊野に言葉を通して関わりながら作者には、太古以来の土と血の匂いが鮮やかに嗅ぎ取られたはずである。それほどこれらの短篇は生と死と、それらの狭間にある暴力のイメージに満ちている。ここでの《異》はさしずめ土俗の基底であろうか。

「草木」は熊野山中で傷ついた男と出会った「彼」が、その男を救けようとする話である。男は、二十四の歳で、何の理由も明かさずくびれ果てた兄の法事のために熊野に帰っていた。この傷ついた男を死んだ兄とも思いなすのである。

 《最初、その男を、この熊野山中に棲む神か、と思った。(略)山中で、よく人は、死んだ近親の者、縁あってなお遠く離れているものの姿をみた。》

 熊野は「死んだ者の魂と生きている者の魂が行き交うところ」(「浮島」)である。「彼」は都会に、盲いた十姉妹のヒナを残している。孵化する直前の卵を誤って割ったこともある。そこから「赤むけの命」が見えた。そんな経験と重層する傷ついた男は、「彼」の救けを執拗に拒み、殺してくれ、と哀願する。

 《彼はいま、十何年前に死んだ兄と向かい合って杉の根方に坐り込み、しゃべっている。あれから死をまっとうに死ぬこともできず、こうやって傷つき山中にうずくまっていたのか?》

「穢土」は、女の家に逗留する被慈利の話である。途中彼は女の夫をふと、醒めた意志で殺している。女は交わりの度に「救けてくれ」「殺してくれ」と愁訴を繰り返す。ここでも救済の変奏が、浄瑠璃の響きを持つ文体で描出される。
 和泉式部伝説を扱う「伏拝」、信徳丸や弱法師の「欣求」、蛇性の婬に想を得た「浮島」にも、救い難い現代人の生が「ひくひく」と伝わる。
 土俗をくぐって思いのたけ個の有り様を彫琢したところに、作品の結晶を見た。