日  録 気に病むことでなし 


 2009年7月4日(土)

 玄関先で、陽を浴び、雨に打たれ、10度以上の温度差に耐え、時に雷の洗礼を受けるようになった龍眼の木、このところ新しい芽があちこちから吹き出し、日ごと葉が大きくなっていく。出入りする度に、しばし足を止めて見入るのが習慣になっている。
 今日などは、少なからぬ蟻たちがせっせと幹を上り下りしているのに目が止まった。さて、なにごとならん。行方を辿っていくと、若い葉の裏側にアブラムシが数匹固まっている。こんなところにまで、と驚き、爪楊枝でこそぎ落としたり、指先で握りつぶした。楽しみを奪われてたまるか、という気持ちであった。
 蟻とアブラムシは「共生関係」といわれているが、今回は“蟻で足がついた”わけで、とんだ災難だった、とアブラムシは思ったかも知れない。

 7月5日(日)

 開店直後の「鶴ヶ島JA農産物センター」には、すでに大勢の人がひしめいていた。ものによっては、売り台が空になっている。地産地消の波を如実に感じながら、お目当てのサツマイモの苗を探した。
 ジャガイモのあとに植える心積もりでいたものの、ついのびのびになって今日まで来た。店番の人に聞くと、
「もうありません。苗の出荷は6月まででした」
 農産物センターというのは、地元の農家の人が苗を持ち寄って売りに出すという仕組みを知っているから、
「作っている農家の人を紹介してくれませんか。直接行って、買います」と言っても「ないです。7月からは出荷停止ですから」とまるで判で押したような返事であった。
 すると、傍にいたもう一人の店番の女性が「おとつい、日高にはまだ置いていましたけどね」と言うではないか。
 すぐさま取って返した。

 買ったばかりの田舎まんじゅうを食べながら、大体の見当で車を走らせた。まんじゅうの素朴な味わいには大いに満足したが、なかなか見つからない。配偶者は「反対の方向」で「広い道路のずっと向こう側に見えた。こんなところにもあるんだね、と話したでしょ?」とかなり具体的であるが、こちらの記憶はおぼろ、最近そっちの方向へ行ったことがないのは確かだったから、なにかの勘違いだろうと一蹴して、車を走らせたが、やはりないのであった。

  結局、電話で聞くことになった。公衆電話ボックスで電話帳を繰りながら、こんなことならさっきの店番の人に教えてもらえばよかったんだと思うが、知っているつもりになって、一刻も早く、と思ったのが間違いの元である、と反省。

 苗がまだ残っていることを確認、ついでに場所を聞くと、「反対の方向」にほんの数百メートル行ったところというのである。二つ目のまんじゅうに手を出しながら、照れ隠しに、「しかし、いつあのあたりを走ったのだろう」と半ば自問した。しばらく考えて、高麗神社へ初詣に行った帰りだ、それ以降この道を通ったことはない、と気付くのだった。街道に面した広い駐車場の向こうに、三角屋根の真新しい建物が建っていた。それが「JA日高中央農産物センター」だった。ここも、駐車場は満杯で、人で溢れかえっていた。それはともかく、配偶者の記憶は、まずまず正しかったことになる。また、反省。

 かくて日高産甘藷、紅東と手書きされた「30本ひと束」の苗を手に入れた。とうにお昼は過ぎていたが、早速植え付けにとりかかった。鍬で畑を耕し、師匠の指示通り、間隔をあけて3畝つくり、それぞれをビニールで覆って、おまけなのか、大まかなのか本当は33本あったので、ひと畝に11本ずつ植えた。
  なかなかいい数字である、今年こそ、野ネズミやモグラに喰われることなく無事収穫できそうな気がする。

 7月14日(火)

 先の日曜日、ジャガイモの他に鉢植えのミニトマトの苗木を積んで、息子のところへ行くことになった。
 お昼前、家を出た直後に、夕方までいない、との返事があった。引き返して出直すか? と配偶者の意向を伺うと、どこかで時間をつぶして帰りを待とうと言うので、そのまま車を走らせた。2時間後に着いて、古びたビルの地下の中国料理店でラーメンを食べ、人波であふれる商店街を何回か往復し、デパートで買い物をし、とお上りさん然と動き回っても、夕方までにはまだまだであった。ついに郊外に出て、いまをときめく“しまむら”の休憩所で、浄水場を見下ろしながら一時間ばかり過ごした。田舎生活になじみすぎたのか、ここでほっと一息。それでも、この日は“吉祥寺で遊んだ”と記録しておきたい。

 その一日後の明け方の夢では、旅の途上にあった。海を渡ったあと、遊園地にある、お猿の電車と命名されているような乗り物に乗って街に向かっている。短いトンネルにさしかかると、上体を座席と水平に屈めなければならない。そうしないと、天井にぶつかってしまうのである。誰に教えられるでもなく、気配を感じると瞬時に躯が動く。何度も、そんな恐怖を、文字通りくぐり抜けて、高松か松山と思われる目的の街をひとつやり過ごしてしまった。そこで電車を待っていると、見知った顔の女性がいる。幼なじみの孝ちゃんである。ベージュのガウンの下はセーラー服にも見える。顔付きも、いやに若い。「なんか、若いね」と話しかけると、「50いくつかになってるのよ」と言って、孝ちゃんは背後の高台の建物を指差した。あぁ、そこの学校で教えているのか、たしかミッション系だったなぁ、と訳知り顔に合点していると、ガウンを広げてみせる。セーラー服と見えたのは、尼僧のいでたちであった。
 そのあともしばらく夢は続き、孝ちゃんといろいろ会話を交わすが、目的の街に辿り着くまで持ち堪えることはできなかった。
 夢は無情であるか。いや、そうとばかりも言えない。

 7月21日(火)

 雨模様の一日、気温もこの数日間に比べれば随分低くなった。窓を開け放って、ときおり軒を打つ雨だれに耳を澄ませば、つい一週間前に長年の勤め先との縁が完全に切れてしまった、いわば身の置き所のない心に、ひとすじの冷涼感が差し込んでくる。ほっとしたというのは、一方の正直な感想だが、他方では、さてこれからどんな関係を構築していけるのか、泡ぶくのような不安がある。
 そしてそこには、人恋しさが張り付いている。
 そんなことを思うのは、夫馬基彦さんの新著『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社)を読んだ直後だからだろう。
 琉球弧(トカラ)列島を南下する旅の連作集だが、10の短篇に登場する人たちはみな光り立つような魅力を持っている。市井の島人とはいえ、「美=神秘性」をまとっている。そういう人が実在する(した)のも事実だろうが、造形(虚構化)する作者の側に神秘に憑く心が横溢していると思えた。
 我が身のことに戻れば、自然体で、つまり「旅人」のような心でぶつかっていくしかないか、などと思うのであった。

 7月25日(土)

「もどり梅雨」の「晴れ間」というものだろうか、午後から青空が見えた。それにしても暑い。南からの風のために湿気が多く、閉口する。クーラーがつきっぱなしのとなりの部屋と隔離して、なんとか自然の風を入れようとするも、十数分経つと、我慢の限界となる。嗚呼。

 7月26日(日)

 買い物に同行して、そのスーパーの一角にある「10分、1000円」の床屋を覗くと、意外にも待っている人がいなかった。買い物が済むまでにこちらも終わるだろうと、中に入った。髪を切るに際して今回、ちょっと含むところがあったので、正直に言ってみた。それは前頭部のど真ん中、ちょうど髪の分かれる部分が薄くなってきたので、隠すことはできないか、というものである。
「分け目がつむじに沿ってできているので、こちらには流すのは難しいですよ。それ向きに切っておきますから、手櫛でもいいので、髪のクセをしょっちゅう直すようにしてください」との返答である。
 10分では終わらず、かなりの時間をかけて、分け目変更に取り組んでくれた。その間、待つ人がどんどん増えて、他のふたつの椅子は、新しいお客が次々に坐ったのである。どの人も「短めにしてください」と頼んでいる。たしか、自分もそう言った記憶がある。暑いからだなぁ、一方で、迷惑かつさもしい注文だったか、と思った。とうに買い物を済ませてレジの片隅で待っていた配偶者は見るなり「まぁ、いいんじゃない」と言った。
 補足すればそれは、どうでもいいことである、気に病むことではあるまい、との戒めに落ちていく。