日  録 一年八ヵ月の空白へ   

 2009年8月2日(日)

 一昨日(31日)は、若田さん無事帰還の「ライブ映像」を見てから就寝しようと決めていた。深夜近くに、スペースシャトル・エンデバーが落下傘を開きながらゆっくりと着地するのに、静かな感動を覚えた。4ヵ月半、宇宙(無重力空間)に滞在した若田さんの姿はその時は見られなかったが、翌日以降の新聞記事には、すこぶる元気である旨と、滞在中の活躍ぶりが報じられていた。この人の笑顔がいい、発することばは素直だが臓腑に沁みてくる。なつかしい日本人を見ているような気がする。それが「ライブ映像」を見たかった理由だったかと改めて思った。

 思いがけずエイトから「大門(おおかど)素麺」が送られてきた。越中富山の伝統の味、貴重な手作り素麺、である。畑でできた野菜の天ぷらを添えて、今日昼、早速食べた。いい味、というか、まろやかな舌ざわりは、最高だ。ここにも、昔ながらの人々のなつかしい香りがあった。

 8月4日(火)

 昨日、懸案の草むしりをやった。雨やら疲れやらで延び延びになっていた日が多かったので、作業に没頭する自分の姿が、すでにできていた。いわば、イメージが先行していた。それによれば、うずくまって、両手の指先で雑草をていねいに根から引き抜いていく、手ぬぐいでほおかむりしていると、なおいいのだった。ターゲットは、サツマイモの畝の間にはびこったヤエムグラやオオイヌフグリなどである。
 午後のいちばん暑いときだった。はじめはイメージ通り、ひと茎ずつ抜いていったが、30分も経つと(もっと短かったかも知れない)まず腰にきて、次に頭にきた。これでは埒が明かんと思い始めたのだった。幼児用のシャベルから長い柄のついた鍬に持ち替えた。立ち上がって、雑草を土もろともにばっさばっさと切っていった。早く片づくが、まことに雑な作業になってしまう。ほおかむり以外はイメージとかけ離れてしまった。これは、草むしりならで、草切りだなぁ、と韜晦。

 8月8日(土)

 昨日の夕方、激しい雨と雷の音に、驚かされた。立秋のこの頃ならば「入道雲、夕立、雷」は三題噺のごとくありふれた日常だったと思うのだが、ごく近くでの大きな雷鳴は、随分久しぶりのような気がした。すると、今夜もまた、雷の音が遠くから聞こえてくるのである。雨も、昨日ほどではないが、降っている。かつての夏、昔ながらの夏、昭和の夏が戻ってきた、と大げさな感想を持つ。

 というのは、このところ、妙に具体的な過去の場面が夢に現れるのである。30年も前のものから、つい最近のものまで、時間の幅が広いうえに、シチュエーションというか、プロットというか、そういうもろもろが、実際にかつてあったことのようなのである。登場人物も、実在の知人・友人・親族である。夢の中で、現実に出合っているような、ある意味でまことに「夢のない夢」を見ているのだった。今回の、雷鳴、遠雷の方が、むしろ夢に近いと錯覚してしまうほどである。

 8月12日(木)

 緑の葉が減って、スイカが全容を見せはじめた。これまで、大きいものからひとつ、ふたつと収穫して、「甘くない」「ちょっとは、食べられる」などと論評を加えながら、内々で食べてきた。それでも、大小とり混ぜてあと10個ほどもある。そろそろ収穫を終える時期になっているので、今日もやや大きめのものを二個とった。ひとつを試食したところ、食べられないわけではないが、甘みが足りない。つまり、おいしいとは言えない。
 実はここがスイカをめぐる永遠の問題点である。叩けば分かる、とは昔から言われていることながら、素人にその違いは判別できない。もちろん収穫前に一応叩いてみるのであるが、自分で言うのもヘンだが、滑稽な行為に思える。
 インターネットで「スイカの甘さを見分ける方法」を検索してみると、「音」の他に「花落ち(尻)の部分が小さくキュッとしまっている物」などという記述があった。早速今日とったもうひとつをひっくり返して、調べてみた。しかし、これも、素人にはなかなかに難しい。
 いろいろなサイトを見ているとどれも赤外線センサーで「糖度」を測る方法が確実、などというオチになっている。その裏返しは、甘いか、甘くないか、はらはら、ドキドキ、つまりは「玉手箱、開けてからのお愉しみ」の心理であろう。習性として、これからも「叩く」し、「尻」を見るだろうが、この心理に与するのが分相応と考えるしかない。
 そして、友人や知人にあげることができない、という悩みが残る。作る楽しみを半分以上奪われているも同然で、過日、となりの畑の人と、愚痴をこぼしあったものである。

 8月16日(日)

 朝6時過ぎには目が覚めて、新聞をパラパラとめくりながら見出しを追っていると、今日は畑の片づけをやる、との声。雨の降る気配のない日曜日だから、これぞ天慮かと、8時には畑に下りていた。
  キュウリの畝とスイカ畑の間は、かつてレタスが植えられていたところと思われるが、いまや4、50センチの若いススキが繁茂している。まずはここからと、植木鋏で上の部分を切り、鍬で根を切っていった。さすがと言うべきか、ススキの根は深い。が、脆い。

 次はスイカ畑であった。配偶者が大小10個の玉を引き上げたあと、残った茎や葉を片づけ、敷物をはがした。気温もすでに30度を越えていたにちがいない。汗が、大量に出た。近所の人が、バーアイスを持ってきてくれた。いちばん道路側にある一角だから、通行する人の目に付く。よほど見かねたにちがいないが、有り難い差し入れだった。

 次いで、ひと畝分のキュウリの網棚をはずしたところで、ギブアップ。すでに11時を過ぎていた。3時間以上、炎天下で「農作業」を続けていたことになる。シャワーを浴びたあとは、収穫した中でもっとも甘いと思われるスイカにかぶりついた。
 考えてみれば、甘かろうが、甘くなかろうが、スイカがたくわえている水の量は、驚愕ものである。これだけでも十分に自然の恵みと言えるのではないか。
 やはり今年も、打率一割(10個に1個がまとも!)だったが、スイカ畑に悔いは残らじ、と云々。

 8月18日(火)

 本日付け「天声人語」に沢口信治さんの「走る人」という詩が引用されていた。本棚を漁ると、2冊の詩集が並んでいるのが見つかった。しばし、読みひたった。
  たしか80年代までは、年1、2回程度だったが、互いに葉書のやりとりがあった。90年に入っても、年賀状で近況を知ることができた。しかし少なくともここ10年は、すっかり音信が途絶えている。こちらが,Eメールだのホームページだのにうつつを抜かしているときに、そんな電子の世界には無縁そうな沢口さんは、朴訥に思考の深みを泳いでいたはずである。いま、どうしておられるだろうか、その大人(たいじん)風の容貌がなつかしく思い出された。「天声人語」に倣って『幼年』から引用させていただこう。
 
《光りに切られても
 ものはそこに在る
 平然と影が移っても
 ものはものの形を少しも崩さず
 そこに在る
 春秋
 影の長さに思いを寄せるのはよそう
 それはいのちを測るようなものだからだ
            (「影」の一連目) 》