日 録 若葉の木々とともに

 2002年4月1日(月)
 
 朝から車を駆って野暮用を済ませたあとは『一夢庵風流記』を読んで過ごした。凄い創造力だと思った。利家の妻・まつと前田慶次郎の関わりはすぐに予想できたが、あとはあれよあれよと飲み込まれ、納得させられてしまった。こういう一本筋の通った時代小説を読むと、「大河ドラマ」も色褪せて見える。

 4月2日(火)

 職場のベランダに燕がやってきた。例年よりも随分早い飛来である。最高気温が今日は25度を越えたようであった。夕方、室内に迷い込んだ燕が三階の踊り場で外に出ようとガラスにこつんこつんと体をぶつけているという報せが届いた。またか、とは思ったが、さほど驚かない。捕虫網を若い者に預けて「これで外に出してやってくれ」と頼んだ。五年ほど前に、まさにこのために買い求めた“秘密兵器”である。とはいえ、それから去年まで使うこともなく埃をかぶっていた。使用するのは今回が三度目である。網のなかに掬い取るのに多少梃摺るものの、原っぱのトンボを捕るよりもたやすい。今回は現場に行かなかったが、あとで「首尾よく任務完了しましたよ」と教えられた。通りに面した玄関口から迷い込んで、階段伝いに上へ上へと登ったはいいが、袋小路と思い知って往生する。少しは学習しろよと言いたいところだが、もとより同一の燕とは考えづらい。それに、比喩的には、自分だって似たようなことを繰り返している。言えた義理ではあるまい。

 4月3日(水)

 インターネット書店から注文しておいた本『外伝・役小角 夜叉と行者』(黒須紀一郎著、作品社)がやっと届いた。三部作の三作目で、二作目を読んでからもう4年以上が経っていることに気付いた。今回は新書版になっている。相当数の読者を獲得しているということだろうか。それは余計なお世話としても、今頃になって手に入れるなどはまったく怠慢だった。昨日は、映画『ひとりね』のちらしと割引券が、シナリオを担当した柴田千晶さんから送られてきた。昨秋創刊された詩誌『erection』が同封されていて有り難かった。鮮度のいい詩を書く、なかなか尖鋭的な詩人でもあるのだった。

 4月4日(木)

 なんとはなし気が立って、よい一日ではなかった。数メートル離れた位置で問題を考えている生徒から「鼻息荒いよぉ」と言われた。前回のように、少し息を止めていてよ、などとは懇願されなかったが、心臓が煽られて自分でも血圧が高くなっているとわかった。平静に平静にと言い聞かせつつやり過ごしているうちにだんだんよくなっていった。しかし、ひと通り仕事が終わったあと、飛び入りの質問を受けて、最後の一問(数学の図形の問題)でついに根気が続かなくなった。ダメだ、頭がはたらかん、宿題にしてくれ、と申し出て持ち帰る羽目になった。ついさっき無事解けたのはいいが、なんのことはない、数年前に同じ問題に出会っていたのである。今回と同様に、あれこれと苦しんで正解に辿り着いた記憶まで蘇ってきた。脳まで柔軟性を失ったということだろうか。だとすれば、大いに自戒せねばならない。

 4月5日(金)

 去年の今頃は何をしていたのかと気になって過去の日録を読んでみた。宣伝用ビラ、日向夏、捻挫の三題で占められていた。ビラは明日中に仕上げることになっていて去年よりも一週ほど遅れている。去年はこれが一段落したところで、普通に歩いていて、つまり小さな石ころに蹴躓いて、足首を捻挫したのだった。踝が大きく腫れ上がって、日常にくさびを打つような刺激があった。宮崎の日向夏は、「本当は待っていたでしょ?」という茶目っ気のあるメールとともに3月の下旬に送られてきている。時間のずれはあるが、だいたい同じような巡り合わせである。今年、庭のチューリップが満開になっている。ずっと以前の球根が息を吹き返したのかと驚いていると「秋に新しいのを植えました。春先がさびしくないように」と言われた。そうだったのかと、気落ちして納得する。捻挫には気を付けよう。

 4月7日(日)

 夕方うたた寝をしながらヘンな夢ばかりを見る。挙げ句、あるはずもない二段ベッドがあって、そこに登って行こうとしている。片手には読みかけの小説『外伝・役小角 夜叉と行者』、中段まできて、いよいよ古代世界の人間の姿が感得されてきた。ドラマは佳境に入っていくのだ。サブタイトルには「伝奇小説集」とある。夢のなかにも「奇」なものがのり移ってきたのかも知れない。「暁を覚えず」の春眠ならばもっと愉しい夢であろうにと、目覚めて思うも甲斐なし。

 4月9日(火)

 夕刊の“お詫びと訂正”で、迂闊にも見逃したことに気付き、昨日の夕刊を引っ張り出した。こういう効用もあるのかと思った。日々のことだからこれがなかったら出合いは叶わなかったはずだ。その記事とは、古山高麗男氏の追悼文である。付き合いのあった記者が書く文章がどれも愛情あふれる言葉で満たされているので毎週愛読していた「惜別 ひと人生」というコラムのひとつだった。真率さにおいてはこの記事も例外ではなかった。ところで、“お詫びと訂正”の中身は「写真が裏焼きだった」とある。穏やかな風貌を見つめながら裏焼きとは何かと写真学校に通っていたこともある配偶者に訊いた。どう見ても不自然なところはなかったからだ。「ネガを反対に焼いたということ。左右が逆になっているはず」との答えにも、訂正を出すほどのことには思えなかった。そのうち、シャツのボタンが“左前”になっていると息子が指摘した。なにもかも俄に合点がいった。

 4月10日(水)

 深夜、中国の作家・莫言を大江健三郎が訪ねる番組を見た。作品の原風景ともいう農村地帯と生家なども映し出されて、作家の話す言葉とともに、ついつい引き込まれてしまった。一方で、番組を見ている間中、何歳になるのだろう、と気になっていた。あとで、『花束を抱く女』を取り出して調べると56年生まれとなっていた。ということは、46歳である。顔形だけを見るともっと年上らしい“貫禄”があった。他の作品を読んでみたいと思った。それに映画『紅いコーリャン』も、もう一度見たい。

 4月12日(金)

 深夜に緊急に連絡することを思い出して携帯電話にメールを入れた。返信がないのでもう一回、さらにとやって、計3回。読んでくれたかどうか、不安が募った。読んだらすぐに返事をくれるはずなのに、ヘンだと思った。女子学生ゆえ午前一時を過ぎて電話するわけにもいかず、翌日に持ち越した。昼前に、都合2回電話する。一回は、留守番電話に用件を吹き込んだ。それでも、返事がなかった。待てるぎりぎりの午後4時過ぎまで数回電話をしてみた。最後は、メッセージは満杯で預かれないという音声になっていた。それが昨日のことで、今日真相を訊けば、「電池切れ」。一等最初の便で用件は伝わっていて、返信をしようとするとピッピッと警告音が鳴る。眠気に負けて、朝にと思っていたところ、充電も忘れて外出してしまったという。同様の用件で他の何人かも、連絡が付かずに困ったと聞かされた。職場のインターネットがなぜか接続不能になっていた。仕事に差し支えがあるわけではないが、メールチェックもできず、プロ野球速報も見られずで、日常からつまはじきにあったような時間を経験した。便利な反面、脆い“関係”を生きているんだと実感した。

 4月14日(日)

 NHKの海外ドラマ『ロズウェル…星の恋人たち』が再開された。ドラマは先回の続きだが、いきなり核心に入っていって、今後の展開が、また気になるのであった。「友の死 cry your name」というタイトルだった。死んだ友に対してエイリアンの超能力はこんどは効き目がなかった。観ている方は多少期待したが、ここで生き返ると、単なるオカルトに成り下がるというわけである。今回は、 親友の死をめぐって、エイリアンの「兄」「弟」「妹」と正義感の強い同級生(地球人)との間に亀裂が生まれるところで終わった。なんという「つかみ」かと感心した。

 4月16日(火)

 思いがけず焙煎豆をもらった。「コーヒーミルはどこだい」と訊けば、手動式のオルゴールならあるけど、そもそもわが家にそれはなかったとの返事。はてな? と首を傾げた。ショーウインドー越しにいろいろな形のコーヒーミルを見、これがひとつあればどんなに豊かな生活が送れるかと考え、ついに買ったのではなかったか。何回か使った記憶も残っている。そのうち面倒になって、お店で挽いてもらうか、挽いた豆を買うようにはなった。いずれもうんと昔の話である。あるいは広島でのことかも知れない。東京で再会した学生時代の友人が本場の鰹節を持ってきてくれたことがあった。このときはすぐに削り器を買ってきて、何度も削った。うすく削るのはなかなかに難しかった。友人が技を披露してくれたときはなぜか感動したものだった。木造アパートで所帯を持ったばかりのころで、削って食べる鰹節のために心が随分ひろやかになった。どうだ、すごいもんだろ、と誰彼に自慢したいほどだった。いまやけっして思いつきもしない物をもらって嬉しかった。うんと古典的なコーヒーミルを探そう、と思った。

 4月17日(水)

 T字路が十字路に変わっていた。信号で止まると、いままでは突き当たりの小高い丘が切り崩されて、真新しい舗装道路が闇の向こうに伸びているのだ。入り口は切り通しと見紛う小さな崖になっている。左手に神社の森が控え、右はなだらかな丘が続く。こうなれば走ってみたくなる。闇夜の道は高架の高速道路と交叉し、季節はずれの菜の花が群生している空き地を過ぎ、小さな沼に至る。こうして辿り着いてみると見知った沼もはじめて目にするオアシスのように思えた。

 4月18日(木)

 ふとした気まぐれから『月山』を手にとって読み始めている。再読だが、ほとんどはじめてのような感興がある。夜、娘の部屋の冷蔵庫で黒く変色したミカンを発見した。半年近く前に、ビタミンCの補給にと持っていったものだった。食べた気配はなく、袋の中でカビをはやしているのだった。叱責してから捨てたが、ここで、部屋の真ん中にリンゴをつるして、廃れゆく様を社会に出たばかりの主人公の心象とともに描写した黒井千次の小説を思い出した。名作は躯のどこかに張り付いていてふと蘇るものなのか。

 4月20日(土)

 午前4時半頃必要があって車を走らせていると空全体がほんのりと白んでいて驚いた。ずいぶん早くなったものである。昼過ぎまでうつらうつらし、ヘンな夢にも魘された。その一つが坊主頭である。配偶者まで丸坊主になっていた。伸びた髪の毛がよほど煩わしいのにちがいない。昔の文庫本で「月山」につづく短編をいくつか読む。相当紙が黄ばんでいて読みづらいが、屹立したことばは背筋をしゃんとさせる。

 4月21日(日)

 朝からずっと雨。雨は好きだが最近は困ることがひとつある。靴底から水が滲んでくるようになったのである。心臆するひとつだったのか、ドアを出た拍子に段差の間合いが取れなくて足を挫いた。幸い大事に至らなかったが、その後、節目節目でよくないことが起こった。入院中の同級生を見舞うという息子をまずは最寄り駅まで送って行くつもりが、行きつ戻りつしながら、ついに駅前に車を付けることができなかった。道に迷ったうえに、工事のために道路が封鎖されていたのである。あの辺だろうと言い含めて雨の中を歩かせることとなった。思いの外時間をとられて急ぐ中、いつもの道がパトカーに遮られて通れなかったのも不思議な暗合であった。さらに帰り道では、コンビニの駐車場に入ろうと左折するとガガガという雨音をもかき消すような激しい響きに度肝を抜かれる。右バンパーが縁石にぶつかり、縁石を壊していたのである。まったくの不注意であった。厄日も極まれり、と言いたいところである。

 4月23日(火)

 今日は職場のインターネットの接続不能をどうしても解除するんだと勇んで出勤した。「ご利用の手引き」を片手に あれこれいじってみたが、何回やっても同じエラー表示が出る。一時間ばかり粘ったあとに、半ば匙を投げるような気持ちでサービスセンターに電話した。有料サービス(全国一律1分10円)だけあって丁重かつ親切である。数分の対話の末に判明したことは「その電話番号は現在使われていない」というものだった。さらに話を聞いてみると「アクセス番号を統合いたしまして昨年12月を持って閉鎖されています」との返事。言われるままに新しい番号を入力して試みると難なくつながった。あまりにもお粗末な“原因”にいささか唖然とした。確かにそのような案内が来ていたが、そのときすぐに変えた気がするのに。あるいは、そのうちにと思いつつそのままになっていたのか。それにしても、この4ヵ月あまり「旧」番号で通じていたのはなぜ? 経過期間にしては長すぎないかい、などと、いささか八つ当たり気味に思った。

 4月24日(水)

 編纂に20年をかけた中国語辞典が白水社から出版されたという記事を読んだ。大阪外大元学長の遺作出版で、用例にこだわり、生き物としてのことばを体現しているという。大学生の第2外国語は中国語が圧倒的に多いという話を聞いたばかりだったので、興味深く読んだ。まったくの門外漢でも、こんな辞書を手元に置いて、ときおり読んでいくと愉しいのかも知れない。同じ漢字だから、字面を見ているだけで、想像力もはたらくというものである。この記事に署名はなかった。が、この“文体”はO氏のものにちがいないと確信した。

 4月25日(木)

 家を出てほどなくうしろに大型バスらしきものが付いた。前のバンパーには「宝くじ号」のプレートが張ってある。関心は二つあった。何の車か。どこまで付いてくるのか。前者の疑問は曲がり角で側面の文字がバックミラー越しに読めてわかった。移動健診車であった。レントゲンを積んで走っているのである。宝くじの益金から寄贈されたものなのだろう。プレートの謎はこれで解けた。曲がった先に大きな病院があったが、それを過ぎても付いてきた。「憑き」を呼ぶ車ならどこまでも付いてこい、とこのとき思ったが、さらに2つほど先の交叉点で敢えなく離ればなれとなった。時間を計算すると、それでも30分間は一緒に同じ道を走ってきたことになるのだった。明日はナンバーズ4に挑戦してみるか、と云々。

 4月26日(金)

 この4月から九段にある女子大の短大部国文科に通い始めた卒業生がふらりと訪ねてきた。半年ほど前に一度会っているが、そのときは当然の事ながら高校生だった。小学生の時からソフトポール一筋で、高校二年の時には県体に出場したこともあると言っていた。活発なスポーツウーマンであったが、今回その子と差しで話してみると随分おしとやかな印象がある。「まだ一ヵ月も経っていないのに、その何倍もの時間を過ごした気がする」などと大学生活を“総括”しながらも、一時間ばかりいろいろな話をしてくれた。
「一年に一〇〇冊の本を読もうと思うんです」
「いいじゃないの。いまどき殊勝な心がけだよ。大学の図書館に通えば、いいしな」
「それ、だめなんです。読んだ本は手元に置いておきたいんです。せいぜい古本屋さんを巡り歩きます」
 ますます奇特だと感心しながら、
「で、国文科では何を勉強したいの?」
 と訊くと、
「詩」
 か細い声で答えた。
「そうか。詩を書くこともあるの?」
「うん」
 早速目の前のパソコンにmidnight press のホームページを出して、
「こういうサイトがあるから、見るといいよ」
 アドレスを印刷して手渡すと、二つ折りにして、新しいバッグに大事そうに仕舞ったのであった。

 4月28日(日)

 朝刊をいつもより丁寧に読んでから床について、目が覚めたときにはもう夕刊が届いていた。昨日そんな不摂生な生活を送ったばかりに、耳奥ですべての音が木霊のように響く。耳に水が入ったときの感じである。右掌もジンジンする。ここにも音を感じるとでも言えばいいのだろうか。夜帰宅すると腹違いの姉が死んだという報せが届いていた。物心ついた頃はすでに嫁いでいて、一緒に暮らした記憶はないが、盆や正月に会うとなぜか心が安らいだものだった。当時は「姉」とは知らなかったのだが、あれも血のざわめきだったか、と思い出す。明日の葬儀には行けそうもないが、早すぎる死を悼むのみ。

 4月29日(月)

 死んだ腹違いの姉のこともあり、夜大阪に電話をする。この5,6年入退院を繰り返していたという。実家では把握していたのだろうが、こちらまでは届いてこなかった。知ろうともしないこちらの方がよほど薄情だったわけで、申し訳ない気持ちになった。大阪の姉は、この先日本はどうなるんだろうね、と電話の向こうでいまだかつて聞いたことのないような口調で嘆き、「がんばってる?」と訊いてきた。宮本輝の大ファンである姉がいわんとすることは分かったが、このところ報告するほどの進捗はなく、さらに滅入った。が、折角の若葉の季節、木々とともに生きなければ、と思った。

 4月30日(火)

  昼過ぎからぱらぱらと雨が落ちてきて、終日已まず。ちょっとした外出ならば傘なしで過ごせたが、夜には冷たい雨になっていた。富良野では10日も早く桜が咲いたという。一ヵ月以上かけて前線が北上していったと思えば、この報せも生き物の如し。明日からはもう5月である。
   


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