日  録 天井のアライグマ    

 
 
2015年6月2日(火)

昨夕帰宅早々、通りかかった近所の人が玄関脇の植え込みあたりを指さして「あそこにタヌキのこどもらしいものが二頭いましたよ」と教えてくれた。鳴き声で気付いたという。

タヌキですか? と思わず聞き返した。一ヵ月ほど前からお風呂と洗面所の天井で動物の歩き回る音がしていた。もちろん正体はわからない。鳥か、ネズミか、あるいはハクビシンかも知れない、とあれこれ推察してみるものの決定打はなかった。音だけで姿が目撃できないからである。

玄関横の斜めの庇のなかあたりで大きな音を聞いたこともあり、ここから一階の天井に通じている可能性は高い。その下だから天井から降りてきた動物にちがいないと直観したが、
タヌキは想定外だった。

エアコンの室外機の前で重なるようにして二頭がうずくまっていた。段ボール箱に入れるために首をつまんでも、おとなしくされるがままになっている。目のまわりに黒い毛が生えていてたしかにタヌキに似ているが、実はアライグマだったのである。

段ボール箱で一夜を過ごしたアライグマ二頭はこの日の朝、市役所の人に引き取られていった。親がどこかにいるはずだというので防除装置(わな)を置いていってくれた。特定外来生物としての扱いを受けるわけである。(自分の車で運ぶこともできないという)

引き渡したあとで、こどもならばどこかで生き延びる道もあるはずなのにと思った。彼らに罪はひとつもない。そして「あらいぐまラスカル」というアニメを自分の子らと一緒に楽しんだことがあるのを思い出した。水の中に手を突っ込んで餌を洗う習性からこう命名されたという。そこに着目した愉快なアニメだったような気がする。

あんなに気を揉んだ天井の音はなくなり、家の中が急に静まりかえった。それはひとつの虚脱だった。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではなかったわけだから。


2015年6月4日(木)

アライグマが天井裏に忍び込んで出産しこどもを育てていたとはつゆ知らず音のみによってあれこれ想像していたのである。はじめて音を聞いたのは4月に入った頃だった。

鳥の巣ならばやがて巣立っていくだろう、建物への被害も少ない、どうか小鳥であって欲しいと心底思っていた。鳥の鳴き声と聞こえたのは、いま思えば希望的観測による錯覚だったのだろうか。

鳥にしては変だと思いはじめたのは一ヵ月ほど経ってからだった。一向に音が止まないうえに大きくなるにつれて鳥の歩き方ではないようだった。天井を叩いてみても驚いた様子がないことも、余程図太い動物であると思われた。

依然たしかめるすべもなく音のみによる想像が続いていた。天井で生まれたアライグマのこどもが降りてきて易々と捕獲されることがなければその正体はずっとわからなかったかも知れない。

ではなぜ彼らは下に降りてきたのだろうか。いわゆる「巣立ち」なのだろうか。それとも歩きまわっているうちに出入り口となっている穴ぼこに落ちてしまったのだろうか。親が戻ってこないのでお腹を空かせていたとも考えられる。この場合何らかの異変(帰れない事情)が親の側にあったのか。

ここからは想像というよりはひとつの物語である。こどもがうずくまっていた場所には捕獲器を置いているが親はまだ戻って来ていないようだ。雨に濡れたつり餌のバナナがむなしい。


2015年6月8日(月)

新聞コラムニスト風に言えば「ふと思いついて」ネズミモチの枝伐りをした。右となりの金木犀は地上に浮かぶ緑の気球のようである。これはこどもの小学校入学の記念樹なのでそのまま盛るにまかせておきたい。左となりは柿の木である。ことしはたしか成り年なので大事にしたい。互いに2メートルと離れていないこのふたつの木の枝を圧迫しているのがネズミモチだった。

頭の高さくらいの、直径5pほどの枝に小型ノコギリを当てていくと思いのほか簡単にできるのである。味をしめて何本もの枝を伐った。ネズミモチはついに丸坊主同然となり、両となりの樹木にとっても、ずっと手前の野菜畑にとっても、日当たり、風通しがよくなった。小高い丘のように積もった枝の始末が残っていたが、後日に回した。

家の中に戻る際に「ふと思いついて」紫陽花の花をひとつ手折って玄関に活けた。梅雨入りも間近、いまやこの花の季節になっていたのだった。


2015年6月11日(木)

昨夕、帰り着くと同時にとなりの婦人があらわれた。手に花鋏を持っている。垣根を越えてしまった紫陽花の花を伐らせて欲しいという。そこは玄関の左側にあたり、みれば濃い紫色のガクアジサイの花が鉄柵にからまって咲いている。色も形も見事な花だった。婦人は鋏の音も軽やかにこちらの敷地に飛び出た花々をすべて剪り取っていった。

もっともの欲しそうな顔をしておれば、ひとつくらいもらえたかもしれない。惜しいことをした。花泥棒ということばがふいに脳裡を掠める。

今日の朝、田舎の甥が死んだ。腹違いの長兄の息子だからほとんど歳はちがわない。それでもしかし「逆縁」である。いくつもの思い出をたぐり寄せながら偲ぶしかない。無念なことであった。


2015年6月13日(土)

日足が長くなった。所用を済ませて戻ってきたのが6時前。まだまだ明るいので庭、とりわけ野菜畑の草むしりを敢行した。ミニトマトはいつの間にか背が高く伸び、下枝には青い実が神楽鈴のように成っていた。何日かすれば食べられると思うと草むしりにもいっそう精が出る。現金なものである。

キュウリはやっと蔓を巻きはじめたばかりだったが、先端が土に接して食べ頃の大きなキュウリがひとつぶら下がっていた。身をかがめ葉を裏がえさなければわからなかった。「擬態」かと思いつつ収穫した。かくして初キュウリ。そのままかじったあとは、キューピーマヨネーズをつけて食べた。夏の味わいをひとあし早く経験した。勤労に功徳ありか、と自讃。


2015年6月17日(水)

仕事先(所沢)で昼過ぎ集中豪雨。見たわけでもその中で立ち往生したわけでもないが、倉庫の屋根をたたく雨音でそのすごさが想像できた。自宅に戻った夜にはいなびかりと雷鳴が雨にまじった。9時を過ぎても止まなかったが、モーレツな眠気に襲われて仮眠。11時メール着信の音で目が覚めるまで熟睡した。


2015年6月18日(木)

アライグマ捕獲器の「貸出期限の2週間」(図書館みたいだ)が過ぎたので市役所環境衛生課に電話。もう少し置いておきたい旨を伝えると、そのときにまたご連絡いただければけっこうですよ、と説明書きほどのきびしさはない模様である。そこで、かねて聞いてみたかった質問をしてみた。「最近このあたりで捕獲されたのはいませんか?」

「5月末に一匹います。○○(地名)だからすぐ近くではありませんが。そのあとが、あなたの2匹です」

アライグマの活動範囲がどれほどのものか見当も付かないが(地名を聞きそびれたのは残念)、それが天井に忍び込んだ親である可能性もある。そうとは知らずに、親をさがし求めて地上に降りてきたこどものアライグマだったと考えるとすべてのことが腑に落ちる。

では、そんな親を待つ捕獲器とはいったい何か? 早く「返却」した方がいいかも知れない。


2015年6月20日(土)

晴れていたので、配偶者に遅れること2時間、庭の草むしりに参加した。玄関付近は終わっていたので、車を移動させてその下に生い茂ったオヒシバ刈りとりに挑んだ。葉は風にそよぐほどに可憐なたたずまいをみせるが、固い地面にどっしりと根付いているから掘り起こすのに力がいった。これぞ雑草の力かと思うが、負けじとこちらも力を振りしぼる。オヒシバ、漢字では《雄日芝》と書くらしい。命名に恥じず強い。

尻を叩かれたわけでもないのに、自発的に出てくるなんて……また雨だね……などとからかわれるが、1時間余り気持ちよく働いた。汗もかいた。雨が降ってきたのは日付が変わる頃だったから、そのせいではないだろう。


2015年6月22日(月)

夏至の日だった。ガラケーのカレンダー、22日の項では代わりに「ボウリングの日」とある。そもそもこのカレンダー、毎日最低1項目は「○○の日」を掲げるが、その名称たるや「UFOの日」とか「露天風呂の日」とかろくでもないものが大半である。よくぞここまでこじつけられる、と感心はするが、夏至などが抜けているとがっかりする。

4月20日過ぎに受け取った封書、2、3日前に2枚目の存在に気付いた。1枚目とピッタリと重なっていたので気付かなかった。8月の信州合宿の案内が入っている封書なので大事にとっておいたが、2枚目の便箋には重要な連絡が書かれているのに読まずにいたのである。

メールにて差出人に返信した。2ヵ月も経ってから? とO君はあきれているかもしれない。6月10日だったか、20日だったか。ガラケーのカレンダーを開くと10日の欄にちゃんと「時の記念日」と記載されていた。「時」は不思議なものだ。


2015年6月27日(土)

一週間ぶりの休日、開くのを待ちかねるように行った市立図書館で、文芸誌のバックナンバーを3冊借りてきた。最初に読んだのがことし川端康成文学賞を受けた大城立裕の「レールの向こう」(『新潮』6月号)。冒頭が突然病に倒れた妻(「お前」)の病室からの眺めであり、結末が退院の風景。それぞれ引用すると、

《目の高さほどに環状二号線の高架をモノレールが走り(中略)、レールの南側に病院、北側に森の公園とその麓の末吉町が向かい合っている》

《環状二号線は登り坂にかかる。(中略)レールをはさんで真謝の霊とお前の霊が、私の思いを介して慰め合い、それがお前の快癒を願うものになるかもしれない、と期待した。》

「カクテル・パーティー」(1967年)の作者はいま89歳だという。なお健在であるのは嬉しい。『文藝』の春号と夏号を2冊借りてきたのは宮内勝典さんの連載小説をまとめて読むためである。その「永遠の道は曲がりくねる」も沖縄が舞台である。作風は大きく異なる(いわば「私」と「公」)がぼくのなかでは奇しき暗合だった。こちらは、波の大きなうねりがたのしみである。

夕方、庭に下りて、プラムの実を数え直してみたら、葉にかくれていた実があらたに見つかった。苗木を植えて4、5年になるだろうか。5個は過去最高である。やはり、うれしい希望。



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