日 録 『津軽』再読と天の差配

 2002年6月1日(土)

 三浦俊彦氏の「ヤモリへの正しい挨拶、とは」という面白い文を読んだ(朝日新聞夕刊)。 夜道で出会うヤモリはことごとく捕まえて自分の家に連れ帰るのだという(それが挨拶!)。そのことによる咎、自責、教訓などを例によって「まことしやかに」述べながら、最近、庭でこどものヤモリを発見して、やっと自前のヤモリが繁殖したことを喜んでいる。それがこの文を書くきっかけだったのかも知れない。
 水捌けの悪い地所に建てられて100年にもなる家で小さい頃を過ごしたが、この頃の季節、夜も遅くなるときまって大きなヤモリが居間(でいの間、と呼んでいた)の窓に這い上ってきたことを思い出した。「毒があるから、触っても、取ってもダメだ」と教えられた。よく似た形のイモリと比べて、「こっちは大丈夫だけど」とも言われた。いま、広辞苑を開くと、爬虫類、トカゲの仲間と縷々説明があって、最後に、無毒、とある。わざわざこう書かれている以上は、家を守り、幸運のシンボルだから、いたずら好きの子供らから守るためにこういう俗信(大人の知恵?)がかつて広まっていたということだろうかと考えた。もっとも、そうでも思わなければ、40年以上にもおよぶこっちの思い込みはあまりにも悲しいのである。
  両生類のイモリについては、「井守の黒焼」の項があって「いわゆる“ほれぐすり”の一。イモリの雌と雄を焼いて粉末にしたもので、想う相手に知らせずにふりかけたり、酒に入れて飲ませたりすると、ききめがあるという」などと大まじめな記述があった。どうしてこうも待遇がちがうんだ、とこれもまたかなし。
  今日はもう一つ「みたらし団子」の語源が分かった。京都・下鴨神社の「御手洗池」の泡ぶくに由来するという。串刺しにされた五つのうち、一番上が顔、少し離れたあとの四つは胴体をあらわす。魑魅魍魎の渦巻く中世に始まり、後醍醐天皇も好んで食したらしい。これは「世界 ・ふしぎ発見!」からの受け売りである。

 6月4日(火)

 昨夜遅くに、息子の友人が泊まりに来た。2年前に一度来たことがある人で、この春から京大の大学院で脳のはたらきについて勉強を続けているという。仙台での学会の帰りに立ち寄ってくれたもので、配偶者共々、まるで自分の友のようにはしゃいで、矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。神戸出身のこの学徒は、鷹揚な性格らしく、億劫がらず丁寧に答えてくれる。見たモノを脳のどの細胞が認識するのかを「人間」を使って実験しているらしいが、聞いていて、日々生成する細胞のメカニズムはまったくの謎に包まれているのだろう、という結論に自分の中では落ち着いた。脳を使うことでひとつひとつの細胞は生きもし、死にもする。生かし続けるためには、割れて弾けるばかりに考えることが大切だということかも知れない。さしあたっては記憶のありかをかきまわすことだ。こちらも、生滅を繰り返すはずである。

 6月5日(水)

 紫陽花がいつの間にか満開になっている。庭のあちこちに無造作にいくつか植えられていて、どの木も豪勢に咲き誇っている。一気に、季節が変転した趣がする。ベランダのすぐ向こうにある木は、真っ白な花をつけている。こんな清楚な紫陽花もあるのか、としばし見入った。それでいて、葉の間からすっくと伸びた茎は、なかなかに頼もしい。まるで芍薬のようであった。

 6月8日(土)

 一歩も動かず、の感あり。プロ野球のあとは、W杯サッカー(中国−ブラジル戦)をテレビで観戦した。さりとて、釘付けというのでもなかった。贔屓チームのカープが大量点を入れて勝利を確実にしたときと、中国が“あわや一点”のシュートをいくつか放ったときに、わずかに心が奮い立った。これでは、身体的に同じ所に留まるばかりか、思考・情緒までも硬直している、ということである。何とも、情けなし。夜は、数日前に届いた『midnight press』16号の詩何編かとコラムを読んで過ごした。佐々木浩の「冗談」はなかなかのものと感じ入った。酒脱な作風ながら、深い思考に支えられている。福間健二は連載評論「そして、いつも何かが欠けている」の3節目でガンで倒れた友人を追悼している。この人の追悼文は心の根元に響く。10年ほど前の佐藤泰志氏の時には、こんないい友を持ちながら自死とは、と口惜しい気持ちになった。このたびは、こういう風におくられる者は果報だと、不謹慎ながら思った。

 6月10日(月)

 去年のいまごろは、すでに梅雨に入っていたようだが、今年はまだその気配はない。予報では、明日あたりから雨催いとなり、いよいよかと言っている。それは本当かも知れないが、ここ数日真夏を思わせるような暑さと晴天が続いたので、にわかには信じられない心境である。とまぁ、暢気なことを記述しながら、心の底に大きな空洞を抱え込んでいる。そこには言葉と実体をバラバラに引き裂く“鬼”が巣くっている。本当のことを本気で書いてみろよと迫ってくる。人の考えていることを即座に言い当てるオモイという怪物のことをどこかで読んだ気がするが、その鬼もこの鬼も同じ顔をしている。すなわち、自分自身に似ているということである。もっとも、こんなレトリックもいまや嘘そのもので、誰も本気にはしてくれないだろう。本当のことを書くのはまことに難しい。

 6月12日(水)

 梅雨入りを象徴するかのような昨夜の蒸し暑さから一転、爽やかな風が吹きわたった。肌寒いくらいの一日であった。この日未明のこと、配偶者の迎えに参じて、公園脇のいつもの場所に車を停めて一時間ばかりうとうとした。目が覚めると午前5時、夜はとうに明けているのに“待ち人”はいない。4階の事務所に上がって訊くと3時過ぎに帰りましたとの返事。またか、と唖然とする。3度目のすれ違い事件である。配偶者は2時間近くかかる道を歩いて、すでに帰宅していた。取ることができたあれこれの方策を忖度してももはや甲斐なく、ただこの事件は忘れてしまうにしかずと観念する。それぞれまんが悪かったのだが、同じあやまちを繰り返すとは! 焼きが回ったものである。それに比べれば、売店で他人の忘れ物に気付いて、つまり人助けをしておきながらその直後に自分の大事な物を忘れてきたという学生のおおらかさは“絶品”であると思えたのであった。

 6月14日(金)

 野暮用にて立ち寄り、ほんの数分後に退出しようとすると「さようなら、もう一生逢うことはないでしょうが」と娘から言われてしまった。おいおい、と思わず叱責の言葉が出たが、心の底では洒落たことを言いやがるとその“成長”を喜んでいた。本気ではあるまいという大前提があって、ドラマフリークらしい非日常の台詞のように聞いたのであった。ところが、少し時間が経ってみると、本音もかなり混じっているのか、と思えてきた。常日頃父親失格の烙印を押している配偶者に報告すると嬉しそうに笑った。「父の日」を前に、とんでもない贈り物ではあった。
 実の娘はそんな風だが、女子学生のひとりは、たったひとつ残ったモノを「半分こ、しますか」と言ってくれ、レポート用に内田百閧フ本をあちこちの図書館のインターネット検索でやっとみつけ近く都心のその図書館に行かねばならないのだと話してくれる。前者はいまどきなかなか得難い心根だと感心し感謝もしつつ辞退したが、後者の方には“食指”が動いた。「全集(福武版)の第一巻だけはあるな。あとは買えなかった」と十数年前のことを思い出していると、必要なのはその第一巻だと言う。「『冥途』は凄いぞ、しっかり読み込んで見ろ、いまも新しい」寺田さんの当時の言葉も思い出された。その通りにして、裏切られなかった。そして“第一巻”はひょんなところで役立つのであった。

 6月15日(土)

 テレビの映像を見ながら青いユニフォームを着たサポーターとはいったい何者なのだろうと思った。あんなにも多くの若者がどこから現れ、そしてどこへ行くのか、と。小学生がメディアに煽られて「がんばれ、ニッポン」と言うのは他愛もなくて、ふと笑みを誘われることもあるが、二十歳前後の若者たちが抱き合って喜んだり泣いたりしているのを見ると好悪相半ばする。“ニッポンへの熱狂”は少々胡散臭い一面もある。新聞記事によれば石原慎太郎がこの熱狂に触れて「国家や民族を体感する非常にいい機会だ」とコメントしている。こうなるといよいよ、きな臭い。数日前から「6.15」が何の記念日だったか気にかかっていた。今日になってぼんやりと思い出したが、今度ばかりは調べる気にもならない。「安保」は遠い、とのみ。

 6月18日(火)

 雨が止んで、暖房がふいに恋しくなった深夜、南西の空に上弦の月が見えた。沈むまでにはあと数時間、弦はまだ立っていた。早起きをして練馬の中村橋へ今年は車で出かけた。思ったよりも順調な走行だったが、到着するまでの2時間も帰り道もずっと激しい雨が降り募っていたのだった。数日前、若い知人からメールが届き、近頃入籍したと書かれていた。「挙式は来年」と簡潔に添えられている。その日夕刻には、その知人と同じくそろそろ三十歳になるはずの卒業生が姉を伴って職場に来た。ふたりともすでに所帯を持ち、子供もいると報告していった。月日は確実にめぐり、いずこかで新しい生活が始まる。ひとときの感傷に落ちた。そのメールには「おめでとう」と早速返信しておいた。

 6月19日(水)

 記憶に誤りがなければ「6.19」は桜桃忌である。大学に入って間もなく、帰省の折に腹違いの長兄がくれた小遣いを全部はたいて全集を買った記憶がある。いつしか古本屋に流れて、いま手元にあるのは文庫版全集である。ときおり読み返したくなる。あぁ、あの作品、と記憶をかき回す。さて題名は? ここで途方に暮れるのである。本気で探せば見つかるはずだが、つい他のことに取り紛れて、思い出せた試しはない。この間などは、地元の研究者が話し、ときおり朗読も混じるラジオ番組を聞いていて、いいなぁ、と思った。このときは題名に悩むことはなかった。「津軽」「思ひ出」であった。原文にあたるに如かず、と考えたはずだが、いまだに実現していない。何が再読を阻んでいるのだろうか。つくづく奇特な作家ではある。

 6月21日(金)

 昨日は、日中何度か豪雨に遭遇し、夜遅くまで、降ったり止んだりを繰り返したのに今日は晴れて真夏の装いだった。これが季節の“ならい”とはいえ、腑に落ちるというところまではいかない。翻弄、狼狽などという熟語が浮かぶのである。せいぜい変転を愉しみたいところだが、歯・頭・肩の三痛にも悩まされて、いいところなし。

 6月22日(土)

「思ひ出」を読み終え、『津軽』本編にさしかかった頃昨夜に続き歯痛に見舞われる。右上奥歯の親不知にいつしか空洞ができていてそこがしくしく痛むのであった。1、2時間歯磨きを繰り返し、塩を擦り込んだりしたが、それでも埒が明かないので鎮痛剤を飲んだ。痛みがときおり間遠になって、このまま眠りに入れるかと期待したが、ダメであった。やけくそでふたたび『津軽』を開いた。すぐにそれどころではなくなる。言葉が脳を擦り抜けていくのである。近くで開業している随分昔の卒業生の歯科医の顔が思い浮かんだ。つい最近、偶然道で擦れちがったのである。大きな体躯で、信頼の置けそうな男になっていた。ついに、厄介にならなきゃいかんかと観念したのがさらに数時間後の午前5時頃であった。翌朝電話で起こされたときは午前11時を過ぎていた。その間6時間ほどは、あれほどの痛みの感覚が消えていたわけで、不思議な経験をした。ちょっと得した気分か、とこれは負け惜しみ。

 6月24日(月)

『津軽』に“オズカス”という言葉が出てきた。三男坊、四男坊をいやしめて言う言葉と太宰治の註が入っている。いつ頃だったかは忘れたが、田舎の往還で出逢った老婆に挨拶をすると「あんた誰やったかね」と逆に訊かれた。「庄ざの、まさるの子や」と田舎の風習に倣って名乗ると、手を握り締めてくれた。「おお、おお、冷や飯食い、か。つらいだろうけどがんばらなあかん」と言われたことがあった。オズカスも冷や飯食いも同じ発想から生まれた言葉であろう。当時、田舎を離れてつらいという意識は皆無だったが、そのときの情景をしっかり覚えている。秋色の濃い青空だった記憶もある。長男がチェーンソーで首を切って自殺したという報せをその何年かあとで聞いて、老婆が、祖母の妹、つまり母の叔母であることをはじめて知った。当方にとっては大叔母である。田舎の人間関係はすべてがこんな風に網の目をしているが、不都合よりも、なつかしさのみが強く湧く。『津軽』再読は大正解であると思った。

 6月27日(木)

 同じシチュエーションの、連続した夢を見て、驚いた。怖い場面で目が覚めてほっとすることはもう久しくないが、続きが見たいと思う“愉しい”夢は間々あった。 通例により、都合よく見られた試しはなかった。それが今回は、同じ人たちが現れて、続き物らしく振る舞うのであった。所詮は夢の話で、語るに落ちるということだろうから中身は書かないが、昨夜遅く、教室に入った若者らがメッセージのつもりで黒板に絵を描いた。出勤してすぐに気付いた。絵に添えられた、数人しか知らないことばが謎を煽った。そのことばは前夜はじめてみなの間で流通したものだった。誰が、何のために書いたのか、あれこれ推測を巡らしたが、ことごとく外れていたのであった。夜、書いた本人から「わかりましたか」と言われて、合点すると同時に、口惜しかった。夢の遠因は、黒板に残されていた絵の謎を解明できなかったことかも知れない。

 6月29日(土)

 “夏”を前に特別出勤、昨夜に続いて、午前1時の帰宅となった。とりわけ今日はよく働き、数日来の歯痛もどこかへ飛んでいった。こうなると、歯医者に行くのが先送りとなってしまう。痛んでいる最中は絶対行くぞと誓ったりするくせに現金なモノである。昨日などは「いやだよなぁ」と歯医者の話をしていると小学生に「全然痛くなんかないよ」と慰められる始末だった。大雨の中を帰宅すると「県政世論調査のお願い」という葉書が届いていた。「住民基本台帳から3000名を無作為に選んだ」と書かれているから、それが本当だとすれば(ほんとうだろう!)すごい確率である。ついこの間もこの種のアンケートをやった記憶があるから、このところよく当たるというほかはない。テーマは「農林業の役割」「屋外照明による生活環境への影響」らしい。先回の「金融資産云々」よりは身近な気がする。世の中との接点が年々薄れていく身であるだけに、ちょっとは社会参加をしろという天の差配だろうか。

 6月30日(日)

 夜遅くなってから雨が降り出した。例の如く、ガラス戸を開けて、雨音に耳を傾けている。西日本では豪雨と伝えられているがここは静かな雨足である。数日前の朝、羽が揃ったばかりの雛鳥がベランダに遊びに来て家の中にまで入ろうとする勢いだったと配偶者が話した。大木の枝に親鳥が隠れていて雛がこちらにいる間中鳴き通しだったともいう。布団の中で確かにそのギャーギャーという鳴き声は聞いた覚えがあった。配偶者によれば“訓練中”ということだが、雛とはいえまさかそこまで怖れ知らずではあるまいと半信半疑でいたところ証拠写真が昨日でき上がってきた。カメラを向けても逃げる気配を見せなかったと言う通り、黒い鳥が少々間抜け顔で写っていた。椋鳥らしかった。庭とはいえいまは小さな森のように雑然としているから、恰好の訓練場所と思えたのだろうか。武田泰淳の長編小説『富士』の冒頭部分をふいに思い出した。庭をさまようのは確かリスだった。神の餌という副題が付いていたはずだ。ともあれ、一年の半分が終わった。     


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