日  録 時のスピード   


 2003年7月2日(水)

 住宅街から大通りに出る交叉点で列を連ねた右翼の街宣車が行き過ぎるまで信号待ちをさせられた。警官が向こう側の住宅地への入り口を塞いでいる。すぐ右手には、小学校があり、その奥に教職員組合の大会が行われる市民会館があるのだった。何台が目の前を通り過ぎただろうか。途轍もなく長い時間“赤”のままだったように思われる。夜、『ミッドナイトプレス20号』所載の「花筏は心のなかを流れる」という井上輝夫氏のエッセイを読んだ。都幾川村の名刹に佇む筆者の姿が書き込まれていて、そこならば何度も行ったことがあると妙になつかしい感じを覚えた。氏のエッセイは深い思惟と自然への慈しみに彩られて、面目躍如たるものがあったが、われは若い頃、毎年のようにあの山に登ってただ騒ぐだけだったと、苦笑いがこみあげてきた。右翼の街宣車がスピーカー越しに叫んでいたきまり文句が、当時の所行と重なっている。

 7月3日(木)

 夜半過ぎになって大雨になった。煙草のけむりを逃がすためもあって窓を開け放ったままにしていると、だんだんと雨音が大きくなってきた。心配の種はいくつかあれど、一瞬の忘却が果たせるから、嬉しい。

 7月5日(土)

 集結した右翼の街宣車対策のために一部道路が封鎖されていてすぐ近くまで来ているのに職場になかなか入れなかった。市役所手前の交叉点で混み始め、ここではしばらく並んでいたが、牛歩以下でついに迂回する決心をした。いつもの道に出たが、これが大誤算。時間だけが刻々と過ぎて、たまらず、スーパーの駐車場に車を置いて職場まで走った。ぎりぎりセーフという有様だった。普段の倍もかかってしまった。予想されたことだったとはいえ、混んでいる方へ混んでいる方へと進み行く心性はいったい何なのだろうか、とあとで思った。

 7月6日(日)

 夕方になって若い男女二人連れがやってきた。物売りかと怪訝な気持ちで応対に出ると「全教です!」と言う。ビラを一枚渡して「ご迷惑を掛けましたが、おかげさまで無事終了しました」と頭を下げた。ビラには、右翼の妨害に屈せず集会の自由を守り抜いた、と書かれていた。一軒ずつ挨拶に回っているのかと思うと、ちょっと頭の下がる思いがした。

 7月11日(金)

 とても蒸し暑い一日だった。『図書』の編集後記を読んでいると、「行く」と書いて「いく」と発音するのか「ゆく」と読むのかで迷う、とあった。学者の研究によれば両方とも上代から使われてきた表現で自ずから使い分けがなされていた。いまは「文語的な表現やある程度固定化した表現では『ゆく』のほうが自然な形で落ち着いている」(孫引き)という“見解”らしい。
  実はこのホームページのタイトルも「いきあいざか」か「ゆきあいざか」かで迷ったのである。漢字を自由に読んでもらえばいいことだったが、どう読むの? と訊かれてついに「正統的」な方にしたのだった。「ゆく」は「行く春」や「逝く」のように「時間が過ぎ去って行く」「死亡する」ときに使うそうである。「歩いて行く」ような感じが出るので前者の読み方が好きではあったが。
  とまぁ、些末なことに気が乗っていく日々である。「ええか」と言うのが口癖だと最近小学生に指摘された。「いいですか、わかりましたか」との意味で使っているのだが、「いいかい」とどうしても発音できない。これは方言の類なのだろう。そう言えば「ええで、ええで」とさかんに選手を鼓舞する野球監督がいたなぁ。

 7月13日(日)

 ゴミ出しのために大通りに出ると近くの喫茶店の一人息子に声を掛けられた。しばし立ち話をする。今日教員採用試験を受けてきたという。この春に地元の国立大学を卒業しているので、二度目の挑戦になる。「首尾はどうだった?」と聞けば、「倍率が高いので何とも言えません」と答えた。父親のマスターに似て、もの静かで、誠実そうな青年に成長している。本格的になってきた雨に当方が濡れるのを気遣うように傘を差しかけてくれもした。
 三年ほど前から課せられている「社会福祉施設等において5日間,盲・聾・養護学校において2日間,計7日間の介護等体験」は教員免許を取ろうとする人をふるいにかけるためだと言われる。学生らの体験談を聞くと腹立たしくなることもある。いわゆる「デモシカ先生」(いかにも古い表現だが、死語ではないことを祈る)は困るという発想であろうが、なお100倍以上の難関とはなんとも悲しいことである。この青年のように、ふるい(いやがらせ)をかいくぐってきた者の“信念”が報われるようでなければなるまい。

 7月16日(水)

 NHK・夜のドラマ『ブルーもしくはブルー』の4日分の再放送を2回続けて見てしまった。そのこと自体は偶然みたいなものだったが、ボーの「ウィリアム・ウィルソン」を読み直すきっかけにはなった。山本文緒原作のこのドラマはうりふたつの女性が入れ替わってちがった人生を生きようとする話で、あと4回分を残してはいるがどこか悲劇の結末が予感される。といっても現代のありふれた風俗をなぞっていて“ぞっ”とするところがあるわけではない。そこで、ボーの“普遍性”がなつかしくなったのであった。存在を根底から揺るがす「分身」というテーマは人間の謎に通底している。67年製作の三人の監督によるオムニバス映画『世にも怪奇な物語』の第二話が「ウィリアム・ウィルソン」を元にして作られていた。『影を殺した男』の邦題通りアランドロン演じる「分身」は「消えていく」のだった。数カットはまだ記憶として残っている。これも、活字ほどの衝撃はなかったように思う。

 7月19日(土)

 まったく月日の経つのは早いものである。数えてみれば、5月31日以来49日ぶりの休日となる。数日前からこころが弾んでいたから、やはり休みはあらまほしきものか、と思う。「労基署に訴えられる」とか「死にますよ」と若い者に言われ続けたが、こちらとしては必然性があって「出勤」していたらこうなったまでで、苦であるはずがない。雨もよいの休日、さて、何をして過ごすか。

 7月20日(日)

 夏祭りのために通れない道がいくつかできていた。迂回してひとつ内側の道路を反対向きに走って行くと、また通行止めの標識である。これではぐるぐると回り続ける羽目になる、と閉口し、数十メートル右手に見える駐車場めがけて一方通行の道路を逆走した。緊急避難みたいなものであってみればこの程度の違反は許してもらえるだろう。かといって祭りを厭う気持ちはこれっぽっちもない。午後10時を過ぎた帰り道では、神社から戻ってくる浴衣姿の家族連れや甚平姿の若者らにわんさと出喰わした。そぞろ歩きが、うらやましいかぎりであった。
 このところ九州で大事件が続く。こんどは“湿舌”による大洪水だという。まさに受難である。

 7月23日(水)

 冷たい雨が降っていた、などと書くといまがどんな季節なのか錯覚に陥りそうであるが、実感としては“長い”梅雨寒が続くのである。去年も、一昨年も、いまごろは記録破りの暑さに唸っていたはずなのに。いつ明けるのだろうか。
『新潮』8月号掲載の島田雅彦氏の「美しい魂」を読み始めた。630枚というが、なかなか面白くて、ぐいぐい引き込まれていく。三部作のうちの第二部だという。先に発表された第三部「エトロフの恋」は、『新潮』1月号で読んでいるが、それほどのものとは感じなかったから、不明と言わざるを得ない。第一部『彗星の住人』も手に取りかけて止めたのが悔やまれる。全作を通読すれば、意図はより鮮明になるのだろう。そんな話を娘とメールで遣り取りしていたら最後に「読みたい気がするー」と返事があった。

 7月26日(土)

 3日前から朝から夜までの仕事に入った。合間にいくつかの休日を挟むことになるが、こんな勤務体勢が8月いっぱい続く。毎年の巡り合わせとはいえ、生活のリズムに慣れるまで長い時間がかかるように感じる。それが憂鬱の種になっていないとは限らない。雑務も増える時期である。そんななか、先に仕事が終わった若者らに合流して、最後の数発の花火を屋上で観た。ビルの影に隠れて花模様は半分しか見えなかったが、音も色もどすんと臓腑に滲みた。ひときわ大きな花火が夜空に高く散りばめられると、思わず椅子から立ち上がって拍手していた。そうせずにはいられない気分だった。すると、あちこちから歓声と共に手を叩く音が聞こえたのだった。この一瞬、思うことはみな同じか。

 7月27日(日)

 午前1時過ぎ、終電に間に合わなかった息子を10キロ先の川越市駅まで迎えに行く。午前3時、配偶者を6キロ先の職場まで迎えに行く。午前7時、息子を2キロ先の駅に送る。ゆうべはほとんど寝ないで編集作業をしていたという息子はほんの少し眠るためにだけ2日ぶりに帰って来たのだった。われは心おきなく眠ってやろうと不埒なことを考えていた。目が覚めたのは午後1時半であった。
「美しい魂」読了。恋あるいは禁忌の対象が「皇太子妃」である必然性は感得できたが、読者の想像力を限定してしまうという瑕疵が残る。それも戦略なのか。しかし、この文体は“クセ”になりそうである。第三部「エトロフの恋」再読。こちらの方は作品として自立しているが。

 7月31日(木)

 月の最後の日に何も書くことがないというのは淋しいものである。
 ほんものの夏到来の予感の中を午後出勤する。それでも去年の記録には及ばない。ここ2,3ヵ月の時の速さは異常である。振り返っても跡形を留めていない。どうしたことだ。この4月から広島に住んでいる姪から暑中見舞いが届いた。生後4ヵ月の子供の写真が印刷されていた。誰かに似ているとそのふくよかな顔にしばしみとれた。結婚してからもう2年近く経っているのだった。ついこの前のような気がするから、やはり“時のスピード”は侮れない。
           


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