日  録 晩秋にお盆を想う    


 2003年10月1日(水)

 階段の入り口に植えられている金木犀から強烈な匂いが漂ってきた。深夜に近い時刻、いよいよほんものの秋だと感じる。この日、かつての同僚が平塚からはるばる訪ねてくれた。一緒に仕事をしたのは20年ほど前だと言う。これにはびっくりした。当時20代前半の青年も、いまや40を超えており、当然当方も同じだけの歳月を経てきたということである。養護学校で誠実に仕事をこなしている、この“プリンス”(生徒が付けたあだ名)と向かい合うと時の隔たりを感じないから不思議であった。まわりでは風邪が流行っている。少しばかり喉が痛い。これも秋の風のせいか。

 10月4日(土)

 早朝から職場に出て時間に沿っていくつかの仕事をこなしていった。思い通りのことができたとは言い難いが、雨がパラパラと降ったことも知らず、いつしか夜になっていた。その頃、8年前の卒業生が訪ねてきた。いつも三人組で行動していたうちのふたりだった。顔はよく覚えているが名前が思い出せない。しばし格闘したがすぐに諦めて名乗ってもらった。話しながらついつい重なってしまう数年分の記憶をスライス状に切り刻んでいくと1時間後にはちゃんとしたものとして立ちあがってきた。神奈川の市役所と都内の信用金庫に勤めているというふたりはいたくなつかしがってくれたが、こちらもまた、同じ思いであった。

 10月5日(日)

 暇にまかせて数えてみれば38日ぶりの休日となるので驚いた。NHKの『のど自慢』に富良野の義理の叔母が出場した。86歳には見えない歌いっぷりで、鐘こそ鳴らなかったが、大したものだと感心した。夕方、上の階の若い夫婦が〈男児誕生〉のあいさつにやって来た。上の子を父親が、生まれたばかりの赤ちゃんを母親がそれぞれ抱いて「また騒がしくなると思いますがよろしくお願いします」という。賑やかになるのは大歓迎、それにしても律義な人たちだとまた感心する。どちらも、休日でなければ経験できないことだったと思った。

 10月9日(木)

 早起きをしたのでおよそ半年ぶりくらいに近所の床屋さんへ行った。前2回は職場に隣接した床屋で済ませていた。所要時間10分、おまけに安いとあって、伸びてくるにつれて雑駁さが目立つ。それを気にする柄ではないが、今回は1時間以上かけて丁寧に切ってもらった。床屋の良さをも堪能したというべきか。「今日は休みか」「どこまで通っているのか」さかんに話しかけてくるのには閉口したが鋏を持つ25,6歳の若者の器用な手捌きを鏡の中に見て過ごした。と書きつつくしゃみが数回続けざまに出てきた。
「約1800平方メートルの田んぼのうち、中央部分だけを箱形に残して約1000平方メートルのイネがコンバインのようなもので刈り取られていた」(asahi.com)という『窃盗事件』にはびっくりした。犯行に必要な推定所要時間は1,2時間とも書かれていた。まさか同業者ではないだろうなぁ、とあらぬ心配もさせられる。口に出すと「そんな馬鹿なことがあるものか」と傍にいた人にたしなめられた。

 10月11日(土)

 生まれたばかりのカメムシやバッタが窓に張り付いていることが二度ばかりあり、黄色い車というのは彼らにとっては巨大な花びらにでも見えるのかと想像を駆り立てられた。そのまま走っていってもなかなか落ちない。丈夫なものであった。

 10月13日(月)

 当地は朝から雨が降り、少し風も出ていたが、昼過ぎには厚い雲の間から抜けるような青空が覗くようになった。ちょうど県南部に「大雨洪水警報」が出たとラジオが報じていた頃である。雷の予報もあったがついに鳴らなかった。
 東京や千葉では洪水・突風の被害があったというが、平穏な休日となったわが家の話題は「地デ爺」のことである。この、地上デジタル放送についての広報番組(NHK)のキャラクター人形(指人形)を息子が操っていたと聞いたからである。ナレーションに口を合わせ、腕やからだの動きをつけるわけだから「そりゃ、大役だ」とビデオを見ながら思った。ずっと担当かと訊けば「そうだ」と答える。大げさに言えば人形浄瑠璃、はたまたいまをときめく「パペット・マメット」、練習して技を磨き、それなりのオリジナリティもいるのではないか、と余計な忠言も飛び出したという顛末である。

 10月18日(土)

 9月から土曜日が“早朝”の出となったせいで、体内時計のリズムが少しずつ変わってきている。正確な分析はできないが、とにかくこの日だけがやけに長く感じられる反面、一週間の過ぎゆくのがこれまたとても早く思われるのである。この矛盾はいったいなんだろうか。年齢的なものもきっとあるのにちがいない。危ういことであると、少し気になっている。
 刊行当時話題になった『永遠の仔』(天童荒太著)の上巻が手つかずのままに本棚に入っていたので数日前から読み始めている。はじめて読む作者だが、フレームの大きさに引き込まれる。この分では、下巻を買っておく必要がありそうだ。

 10月22日(水)

 想像だにできない事件が次々と起こる。思わず目を覆い、耳を塞ぎたくなるものも多い。人の世って昔からこんな風だったのか、それとも“いま”が特別なのか。ラジオでノンフィクションライター某が最近の青少年に触れて「引き籠もられるより、非行に走ってもらった方がいい。仲間との関係で社会性が芽生え、補導されたあとはいい保護司に巡り会えるかも知れない」と語るのを聞いて、公共放送でこんな言説が堂々とまかり通るようになったのかと改めて愕然とした。社会の敗北宣言のように聞こえたから、すぐにスイッチを切った。人を傷つけたり、ましてや殺めたりの非行とは次元のちがうところで「堕ちろ堕ちろ、とことん堕ちろ」とぼくならば言う。『永遠の仔』上巻やっと読了。ここにもきな臭い人間の業はあるが生きていくことのけなげさが溢れていて救われるのである。いざ下巻へ。

 10月23日(木)

 季節はずれの夕立ちと雷に遭遇。突然空一面が黒くなって、地を揺るがすほどの野太い雷鳴に続いて、激しい雨が降り始めた。すわ天変地異、気がざわめいた。雷は久々であった。止んだあとはいっきに気温が下がった。風が強くなった。はやくも木枯らしかと思った。これが秋雷か、と。

 10月28日(火)

  路上で枯葉が舞うようになった。まちがいなく晩秋を迎えている。夜来の雨が止んで、気温もぐっと下がっていた。庭のモミジも緑と黄緑と赤のまだらを織りなす。『ラジオ深夜便』で子供が幼稚園の時の園長が「漢字教育」について話すというので起きていられたら聞きたかった。この石井勲氏は園児に漢字を教えるというので当時から名高い人だった。あれから20年、園長を退いたあとも漢字の普及に努めてきたのである。番組の予告を聞きながら、われのこれからの20年がなんとも想像しにくいことにちょっと滅入った。目の前のやるべき事に汲々としているだけだからだ。配偶者の帰りを待つ千代田公園の木々もやがて葉を落として一面が枯葉で埋め尽くされるのだろうと、放送開始の午前4時を前に思った。

 10月29日(水)

 写真を焼き増しする必要があってデジカメから落としたCD−ROMを持って優勝セールで賑わうダイエーに出かけた。行く前に約1時間かけてインデックスと照合しながらファイル番号と枚数を記入しておいた。全部で四百二十数枚になった。一応時間に追われる仕事をしているので貴重な1時間だったと言わねばならない。カウンターでCD−ROMと先の用紙を差し出すと「機械での注文となりますので、画面に従って枚数を打ち込んでいってください。終わったら呼んでください」とアルバイトと思しき店員に言い渡された。うんざりしたが、そういうことなら致し方ない、さっきほどには時間はかからないだろうと作業に入った。二十枚目くらいにきたとき、画面に出ているものとインデックスのものとでファイル名(番号)がずれていることに気付いた。つまり用紙を見ながら機械的に枚数を入れていくことができないのである。あわてて店員を呼ぶと「そうですね、ちがってますね。ひとつひとつ、写真を見ながらやって見てください」。ここで一からやり直せと言われても、四百二十数枚である、さすがにそんな余裕はない。“中止”のボタンを押してダイエーを出た。
  ふと思い立って道路ひとつ隔てたところにある、100円ショップから転進した写真屋さんに駆け込んだ。事情を話すと「またやりましたか。同じことを言ってきたお客さんが前にもいましたよ。抗議した方がいいですね」と顔見知りの店長が説明してくれた。それによると、インデックスに書かれているファイル名はデジカメ用のもので、CD−ROMに入っている写真とは別である、本来は後者の方をお客さんに渡さないといけない、というのである。CD−ROM対応の新しいインデックスを作ってもらって、ファイル名と枚数を表にして、こっちの店で無事四百二十数枚、焼き増してもらった。
  結局二回同じ作業をする羽目となったばかりか、思いがけず汗ばむ日中、行ったり来たりで、大半を費やしてしまった。こんなまんの悪い日があるものだと、まるで人生の縮図を生きたような感慨を持った。別段腹は立たなかった。むろん“抗議”にも行っていない。

 10月30日(木)

 ウォーターボーイズ(男のシンクロ)で全国的に有名になった川越高校と川越女子高校の合同説明会に行った。来年度から学区制が撤廃され全県一区となるのにともない、学校の実状をより広く知って欲しいという意図で企画されたらしい。県立高校でこの種の会はめずらしい。4倍以上の競争率となる推薦入試の選考方法、とりわけ合否の決め手になるのは何か、大いに知りたいところだったが、きまりきった回答しか返ってこなかった。そういえば「県立高校の立場上、答えられることに制約がありますので……」と会のはじめから煙幕を張っていたのだった。

 10月31日(金)

「変な恰好をした人が、前の通りで誰彼にものを配っている」という報告を受けて何ごとならんと色めき立ったが、聞けば今宵がハローウィンでそれにまつわるパフォーマンスだという。そのうち、やってきた子供たちがお菓子をみなに配ったり、ねだったりするを見て、去年まではこんな事はなかったのに、と思った。クリスマスのように“定着”していくのだろうか。Halloween(万聖節)とは日本のお盆みたいなものだとどこかに書いてあった。お盆には三夜連続で盆踊りがあって、そういえば仮装コンテストというのもあった、と小さい頃を思い出した。ハローウィンと、意外と同根かも知れない。それにしても、神道系・仏教派にはクリスマスだけで十分な気はする。       
           


行逢坂に戻る
メインページ