日  録  「鈴渡し」のすずは?    


 2003年11月2日(日)

 巷は連休、こちらは山積した仕事をひとつずつかたづけるべく出勤。案内用の小冊子を手付かずのまま残したが、外堀ともいうべき細々としたその他のものは順調にハカが行った。と思わず書いてハカとは何だろうか、と気になった。広辞苑には「計・量」の漢字が当てられている。ちょっと違うな、と思いながら読み進むと、《B(「捗」とも書く)仕事の進み具合。やり終えた量》とある。ここでも、まだ感覚的な異和が残った。確かに「捗(はかど)る」のハカならわかりやすいが、もっと強烈な謂われが欲しい、などと半ばないものねだりをした。これもまた、鬱屈の一形態であるのだろうか。

 11月4日(火)

 周回道路沿いのサザンカがいくつか咲き始めている。このところ暖かい日々が続くが確実に冬に近づいているのだろう。垣根が途切れたあたりに選挙用の巨大な掲示板がある。候補者三名のポスターが隅に張られているだけであとはベニア丸出しであった。小選挙区制とはつまらない制度だ。完璧にサザンカに負けている。深夜、昭和の初めから戦後数年までの「カラー映像フィルム」の特集番組(再放送)を見た。「白黒」を見慣れてきた「眼」に戦争の悲惨さを改めて認識させてくれた。せめて憲法擁護を唱えている政党に投票しようと思った。

  11月6日(木)

 視界10メートル程度の濃い霧の中を走ってきた。幽玄な雰囲気にいっとき酔った。昼間にセイタカアワダチソウの群生を見つけた、その同じ道である。田んぼ一反ほどの広さにわたって尖端に筒状花を付けた茎が揺れていた。日々褪せていく花の色は毒々しいまでの黄である。綺麗とはいえないが、風に靡く様は堂々としている。他の種子の発芽を押さえる物質を持っていて“純粋に群れる”ことができるが、ススキにはやがて負けていくと、どこかの本に書いてあった。アレルギーの原因ではないかと“謂われなき嫌疑”を受けていた頃、借家の裏の空き地に、こちらは小さくかたまって咲いていたのを思い出した。熊笹も好きだが、こんな、野暮なくせにみかけは派手やかな花も好きであった。どこかで自身に似せたいと思うからなのか。自宅での作業の成果を記録したフロッピーディスクを忘れたために仕事の段取りが狂った日であった。

 11月10日(月)

 急に気温が下がって、寒い雨の日となった。昨夜から今朝にかけてやけに躯が重いと思っていたら、風邪だった。葛根湯を飲んで出勤した。鼻水と、咳が大敵である。こんな状況でも煙草は吸いたくなるもので、マスクを外して、プカプカやっていると、「こういうときこそ、お願いだから減らしてください」小学生らが頼み込むではないか。本気で当方の健康を気遣ってくれているとわかり苦笑。悪ガキとはいえ、根はすくすくと育っているということか。

 11月12日(水)

 左手の指先に煙草を挟んでライターを探していた。たしかにここに置いたのになぁと首をかしげる。記憶に疑念が湧いて自信を失いかけた頃、右手にしっかりと握りしめていることに気付いたのだった。誰もいない部屋での、情けないひとり芝居となった。また、咳き込みながら「夏の……」と何度も口に出して「大丈夫ですか?」と逆に面接の母親に労られた。ときおり耳鳴りがするほど頭も痛く、最悪の一日、と思いきや帰り道、立ち寄った二軒目のコンビニでついに“中村屋のあんまん”をみつけた。深夜まで残っていることは稀であると経験的に知っていたから、いささか嬉しかった。このときすでに風邪は快方に向かっていたのである。ずいぶんと楽になった。今週末に結婚式を挙げる甥に送るレタックス用の文面を考えねばならない。

 11月16日(日)

 深夜、東の空に下弦の月が輝いて見えた。星々がそれに負けず煌めいている。夜空が楽しみな季節になったものだ。一方地上では、木枯らしに煽られて落ち葉がときおり舞い上がり、歩一歩冬に近づいていくかとの感興が湧いた。
 久々の休み、目が覚めたのは東京国際女子マラソンで高橋選手がゴールする前後だった。高い気温が敗因だとの解説に、おやそうなのか、と外に出てみるとまだ名残りはあってすぐにジャンバーが邪魔になった。夜になって駅前の本屋に走り『新潮』を買う。堂垣園江の「うつくしい人生」の冒頭の一文が「この数日、夢の中で凍えている。」とあって、本気で読んでみる気になった。「筋ではなく表現ですよ、大事なのは」という声がこのところずっと聞こえていたからである。その声の主だったかも知れない寺田博さんをNHKBSの「週間ブックレビュー」で見た。司会の藤沢周氏が「今日は格別緊張しました」と最後で述懐するのを聞いて、原稿を持参していた頃の、やはり身のすくむような心持ちを思い出した。表現することでしか恩に報いる道はないのに。書かねば。

 11月17日(月)

 やっと木枯らし一号が吹いたという。もうずっと前に観測されていたと思いこんでいたから意外な感じがした。去年より15日遅かったらしい。夜風などはもう十分に木枯らしだった訳で、外に出ると、肌がぴりりと震えた。

 11月20日(木)

 昼過ぎには霧雨だったものが夜にはいると本降りとなった。傘を忘れたと言う直人を自宅まで送って行った。丘の上に建つ洒落た家の塀一面にピンクの小さな花が咲き揃っていた。無数の花々がかたまって、なんとも可憐である。窓から手が届く距離だったので「ひとつ、取っちゃえ」と助手席の新人をそそのかすも、そんな無粋な花泥棒はできないと思ったのか(雨音でよく聞こえなかっただけかも知れない)、高い位置にある玄関まで登っていた直人を大きな声で呼び戻すではないか。仕方なく「なんという花?」と聞くと「知りません」と答える。そのまま別れてしばらくすると「ランタナだそうです」とメールが入った。母親に訊いて早速教えてくれたのだと察しがついた。そういえば『ランタナの咲く頃に』という沖縄を舞台にした長堂英吉の小説があった。花がどういう効果音を奏でていたのか、いまはもう忘れているが、きっと大事な何かではあったはずだと再読を促された。夜目にもそれほど印象深い花であった。

 11月24日(月)

 22日夜「鈴渡し」が無事終わったと姉から報告を受ける。5年間の修業を経て、来年一年間神主を務める兄は威厳に満ちていたという。鈴渡しとはどんな儀式なのか、是非一度見てみたいと思っていたが、機を逃した思いでいる。似たようなものの記述がないか柳田國男あたりを漁るがみつからず、あとは様子を聞いて想像の中で再現するしかない。それはそれで楽しみだが、そもそもこの興味は、20年近く前叔父が神主になるときに立ち会って「感動した!」と言った当の姉の言葉に由来している。一種の刷り込みであろうか。

 11月25日(火)

 激しい雨の中、車を駆って出勤。すぐにパソコンをつけ、30名分60枚の答案を画面上に送っていく作業を続けた。明日から3日間北海道を旅する新人が「手伝いましょうか」と言ってくれたが「切りがいいところまでやってみるよ」と結局ひとりで片づけた。2時間ほどかかった。一仕事をこなした気がして、本編の授業まで、ぐったりしていた。
  夜、帰り道で、危うく猫を轢きかけた。2匹が塀を越えていきなり道路に飛び出してきた。一匹は危険を察知して引き返したがもう一匹が猛スピードで前を横切ったのである。ブレーキをかけたおかげなのか、うまく抜けてくれてほっとした。
  この2匹、ケンカでもしていたのか。ならば、水ならぬ、車が入ったというところである。もし恋人を追いかけていたのだったとすれば、仲を引き裂くことに……などと下世話なことを思うのは、ひとえに轢かなかったからで、ついていたと改めて胸をなで下ろす。

 11月27日(木)

 朝、別のことで大阪の弟に電話をして「鈴渡し」の様子を聞く。いまの神主から装束を受け継ぎ、自分の物を箱に仕舞う儀式で、前者を「大衣装」、後者を「小衣装」と呼んでいた、と教えてくれる。「鈴はあったかい?」と訊けば「いや、そんなものはどこにもない」という返事であった。「鈴」というのは、鳴る鈴、賽銭箱の上に垂れた縄紐の根元にあるあの鈴などではないらしいのである。
  このとんでもない勘違いに何とか正解を見出そうと今日一日を費やした。当事者たちは自明のこととして知っているんだろうなぁと思いながら夜帰り着いてすぐに広辞苑を引くと「篠懸・鈴掛衣」の項があるではないか。「@修験者が衣の上に着る麻の衣。A能楽で、山伏の扮装に付属する結袈裟(ゆいげさ)のこと」とある。インターネットで検索すると写真があり、一般にも販売されている。山伏というのは密教系の仏道だから、天照大神を祀る神社にはそぐわない気もするが、そこは本地垂迹の国柄、衆生には神も仏もおなじもの、これが鈴渡しの由来か、と一応の結論を出した。

 11月30日(日)

 もう2ヵ月ほど前の風が強く吹いた日にビニール傘が一本ダイエー通りに落ちていた。往来の邪魔にもなろうかと拾って職場の中に持ち込んでおいた。その傘がこの2週間で家と職場を何回か往復した。「道路に落ちていた傘だよ」と誰彼となく釈明していると「拾い物とはいえ役立ちますね」というので「そうさ、まさに拾いモノだよ」などと答えて悦に入っていた。ところが、ゆうべついに柄が真っ二つに折れてしまったのである。これは捨てるしかないのだが、ひと雨毎に寒さが増していく、と実感した。明日からは12月である。   
           


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