日  録 「切れるものは切れる」

 2003年12月2日(火)

 日中は比較的暖かだった。台風が東京湾のはるか沖を掠めた一昨日から昨日にかけては、雨も降って、風も強かった。それが随分前のことのように思えた。『midnight press』22号が届いた。「連載対談」をはじめ読みたい記事がたくさん詰まっているがとりあえず編集後記と、詩を何編か読んだ。若い詩人の「元山舞」の感受性に惹かれた。これは、わかる気がした。

 12月4日(木)

 寒い日ではじめてコートを着た。これが普通の12月か、と納得させられる。

 12月7日(日)

 北の方は荒れ模様だという。昨日配偶者は義妹の一周忌法要のためにその雪の北海道へ行ったが、こちらは朝から小春日和。ベランダには暖かい日溜まりができていた。キイロの水を取り替えてやり、例によってへたくそな水浴びを見て出勤前のひとときを過ごした。車の中では『日曜喫茶室』(NHKFM)の池内紀氏の控えめな、それでいて説得力のある語りに感動した。夜になって、氏の連載評論「カフカの書き方」を読み忘れていることに気付いた。文章と話し言葉(口調)が見事に一致している稀有な例ではないか、と常々思っている。ちがうだろうか。

 12月10日(水)

 先日は久々にやってきた娘を駅まで迎えに行って、その顔が見分けられなかった。階段を降りてくる人波を見遣っているとふいに前に立った女性が声を掛ける。それが娘だったというわけである。痩せたぞ、ちゃんと食っているかなどの言葉を飲み込んでいろいろ話してみれば相応のストレスもあるらしい。かつて小さい頃に父の無意識を臆面なく言葉にすると感じたことがあるが、子とは、親とは何者か、と考えさせられる。寒い夜にて、北風がひときわ身に沁みたが、この日届いた“義父のコート”が早速役立った。ほかにも、上物の背広が数着入っていた。少なくとも「明日何を着るか」には思い煩うことがない。「聖書」の意味するところとは、ちと違うけれど。

 12月11日(木)

 帰途、深夜12時まで開いている古本屋に立ち寄った。何冊か“掘り出し物”が見つかったが、閉店時間も迫っていたので、とりあえずその中から『村の名前』(辻原登)を手に取った。最後のページに鉛筆書きで350と殴り書きがしてある。少々汚れているが奥付けを見ると初版本であった。レジに差し出せば「210円です」と言う。引かれた140円が何割にあたるのか咄嗟に計算できなくて、辺りを見回す。スーパーならば「全品○割引き大サービス」などとあたりかまわず書かれているのに、ここにはそんなモノはなかった。言われた通りのお金を出して、ちょっと複雑な気持ちになったのも事実である。というのは、十数年前に芥川賞を受賞したこの作品、もう記憶も薄れているが、傑作だったはずだ。安く見積もられたものである、と筋違いとは思いつつ、がっかりした。ともあれ、再読。

 12月14日(日)
 
 午後、イラク派遣反対のデモと美術館と、そしてわれは仕事へと三者三様に出立。まっすぐ職場、では芸がなさすぎると考えて近所のGS(ガソリンスタンド)に立ち寄った。オイル交換を依頼したところ、約一時間を費やしてしまった。20分もあれば終わるだろうと高を括っていたので、とんだ誤算となった。その間、備え付けの『つげ義春全集』を何巻か読んで過ごした。60年代末から70年にかけて書かれたものだと思われるが、独特の感性がなつかしかった。数年前のブーム再来のおかげでこんなに気軽に読めるのだと感じ入った。
 夜、フセイン元大統領拘束のニュースが流れていた。「このあと日本企業も進出していくでしょうから、(自衛隊が)いい印象を与えねば」と識者のひとりがコメントしていた。軍隊のあとは利権、絶対王政時代の“侵略”とどこも違わない。

 12月16日(火)

 午前3時すぎ、流れ星を見た。太く長く尾を引いて建物の向こうに消えていった。わずか1秒ほどの出来事だった。夏のダブルレインボーに続いて、いいものを見たと思った。3年前しし座流星群から大量に降ったときは、小学校の校庭で義弟の快復を祈りながら見たものだった。この年末は、どんな願いを呟くか、と咄嗟に考えた。もちろん間に合わなかった。

 12月19日(金)

 志木駅前の『長屋門』にて忘年会。はじまりが遅かったのに、三々五々駆けつけてくれて、20名を越える人数となった。賑やかな会になってよかった。この店は、かつての生徒の父親が脱サラで始めたもので、今はもう26歳になる当の生徒と母親がたまたま居合わせて、いっとき懐旧談ともなった。若い者らはもちろん知らないが、ある種の歴史を感じて“格別の味わい”となった。他にも逢いたかった者が何人かいた。それぞれの事情で来られなかった。他日を期すしかないとこちらは“しんみり”の部分である。

 12月20日(土)

 午後3時頃から急速に冷え込んできた。風も強かった。夜遅く職場を出たとき前の通りを行く人はみな前屈みに歩いていた。上福岡を過ぎたあたりから雪が舞うようになった。以後一時間ほどは小さな吹雪のようであったが、それっきりとなった。はかない初雪であった。

 12月22日(月)

 「何日ぶりですか」と昨日訊かれたが数える気にもならなかった。
 今日が冬至であることをカーラジオで知りカボチャはともかくゆず湯だなぁと所用で立ち寄ったコンビニから電話をした。何回コールしても誰も出なかった。戻って電話鳴らなかったか? と聞くと「鳴らない」と答える。ゆず湯だと教えたかったのだが、と弁解めいて言うと「買ってきているよ」との返事であった。電話は、子機につながる線が一本はずれていることを突き止めてこちらも落着。いつからかわからないが留守だと諦めた人がいるだろうかと思った。
 深夜近くにゆずをもみほぐして果汁を絞り出した熱めの風呂に入った。美容と健康のためにいろいろ工夫を凝らして1時間以上風呂にはいるという女子学生の話を思い出しながら、こちとらは相変わらずの烏の行水。5分と湯船につかっていない。他ならぬ健康のためには少し見習った方がいいのかも知れない。
  かくして「久々の休日」も終わった。

 12月24日(水)

 今夜はクリスマスイブ。いや、そのことよりも大晦日まであと一週間であることに吃驚する。

 12月26日(金)

 夜半過ぎにみぞれまじりの雨となった。『詩の話をしよう』(ミッドナイト・プレス刊)が送られてきた。2000年1月に急逝した詩人・辻征夫氏の聞き書きと詩抄で構成されている。聞き手と選者が山本かずこさんで、追悼の思いに溢れていて、胸に深く届く本だった。配偶者の送り迎えをこなしながら、夜明けにかけて読み継いでいった。すると、野っ原はうっすらと雪化粧ではないか。

 12月30日(火)

 昨日は懐かしい人が二組職場にきた。そのうちの一組は陣中見舞いにと鎌倉みやげを置いていってくれ、1年以上前に貸した本を持参してくれた。律義なことであった。あとから来たのは、今年八月に結婚したという“元生徒と先生”のカップルである。この稼業も長くなるが、これは唯一のケースである。また一昨日は、退塾すると決めた小学生が母親に連れられてやってきたが、母親と立ち話をしているうちに傍らでおいおいと泣き出してしまった。「ここがいい! やっぱりここが」と切れ切れの声で訴えるではないか。そのうち母親までが目頭を押さえる。ついこちらまでもらい泣きの仕儀に至った。
  もう何年かぶりにかみそり用の「ハイステンレス両刃」を買った。値段が倍以上になっていた。取り替えて使う段になってちょっと緊張した。肌を傷つけるのが通例だったからだ。慎重に事を運んだ。が、ダメであった。“切られ与左”になってしまった。どんなに注意を払っても、切れるものは切れる。
 あと1日で、今年も終わる。とても早く感じた。(みなさん、よい年をお迎え下さい。)                 


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