日  録 暢気なトンボ

 2004年6月2日(水)

 湿度30パーセントと聞いて、過ごしやすいはずだと思った。夕方、職場のベランダに出て燕の巣を伺うと、親鳥が戻っていて雛に餌を与えていた。決定的瞬間をなんとかカメラに収めたいと思ってきたがもはやうす暗くてだめなようである。シルエットを肉眼に刻みこんでこの日はよしとした。それにしても雛の鳴き声は、殺伐とした気持ちを癒してくれる。佐世保の事件に唖然とする。

 6月4日(金)

 午前4時前、西南の空に満月を認める。高速をまたぐ橋にさしかかると空も月もぐーんと近くなって、このまま飛んでいけば『E.T.』の宣伝写真みたいになるぞ、と一瞬考えた。おりしも空全体が白みはじめ、厳かにして、幽。得した気分になるから不思議だ。

 6月6日(日)

 道草を食ってみたくなって、一昨晩帰り道でたまたま目に留まった小さな看板(巾10センチ、長さ30センチほど。かえって気になる小ささ?)『花しょうぶ・山崎公園→』に導かれるままに車を走らせた。要所要所に同じ看板があって、くねくねとしたかつての農道を上ったり下ったりして、かれこれ一キロ近くも行った時、右手の丘に広がった住宅街の入り口に、いきなり3度か4度目の矢印であった。この坂を登れ、という意味だったが、もう曲がれない。そのあとも細道に紛れ込んで、見慣れた道に遭遇するまで十数分を要した。花しょうぶにお目にかかれなかったばかりか、道にも迷ったということになるのだった。すぐそこだろうと高を括っていた自分と、そう思いこませた小さな看板が憎い(笑)。
 細かい雨の降る中を帰り急いでいると、ところどころ霧が立ちこめるようになった。自宅近くまで来て、前方の道が太鼓橋のように白く浮き上がっている。通い慣れたところなのにしばらく、まぼろしのこの道を否定することができないでいた。つまり、この坂を越えればじきに踏切だと信じたのである。

 6月7日(月)

 昨日早々と梅雨入り、今夜は田んぼの中を走る道でユカタ姿の婦人ふたりとすれ違った。大きな左カーブの曲がりっぱなだった。ひとりは自転車を押していた。集会所か公民館かで盆踊りの相談をしてきた帰りだったろう、と思う。もうすぐそんな季節がやってくる、と驚かされた。今年はじめてのユカタ、顔など観察する余裕はなかった。

 6月8日(火)

 雲霞の如し、というのをいつからか「ウンカが群れる様」と勘違いしていたようだ。漢字ではこう書くのだろうとイメージできていたはずなのに、なぜ昆虫の名にすり替わってしまったのだろうか。
  ウンカとはセミを小型にしたような小さな虫でヨコバイともよばれるらしい。燈火に大量に集まる習癖を持つ。こっちの方が現実感があって、雲霞=ウンカと思いこんだ。思い入れ、という悪癖が出たひとつの例だ。

 6月12日(土)

 夜8時頃電話が鳴ると「はい☆☆です」と勤め先の名前を言ってしまった。数秒の沈黙のあとにクスクスと笑う義妹の声がした。我に返ると「久しぶりの休みなので、カンが狂っているんだ」と言い訳して、取り次いだ。いまどこにいるのかを見失った瞬間だった。
 その1時間ほど前に、梅雨の晴れ間とも言えないぐずついた天候なのに、ましてや大晦日でもないのに、障子紙を張り替え終わっていた。黄ばんだうえに、ボロボロになっていた。破れ目をふさぐだけではもはや間に合わないと覚悟はしたが、できるだけ簡便に終わらせたい。そんな不埒な気持ちが覿面となって、1枚目は3回もずれを直す羽目となった。できあがりはしわくちゃだらけである。これはならじと心根を入れ替えて2枚目に挑戦。こんどは満足のいく仕上がりとなった。
 ところが、である。外すときはちからずくでなんとかなったが、なかなか敷居に入ってくれない。てっぺんをノコギリで数センチ削りとり、丸太棒をテコのように使ってやっと押し込んだ。1時間ほどを費やした。汗だくとなった。そして、これがこの障子のクセだったのを2年半ぶりに思い出した。

 6月17日(木)

「犬が人を咬んでもニュースにならないが、人が犬を咬んだらニュースになる」と教えられてきたが、もうそんなことは言えないご時世になったのかも知れない。NHKはラジオでもテレビでも、どこやらの街で土佐犬が何人かを襲ったと報じていた。狂犬病の恐怖はあったが、野放しの犬たちと共生していた時代がたしかにあったのである。思えば、のどかだが、みなが元気な時代だった。
 午後3時過ぎに栄史が突然現れ、二人で住むところが決まったのでその報告に来た、と言った。3月の飲み会の席であらましは聞いていたのですぐ合点した。お嫁さんは目下母国ロシアに一時帰国中で、首尾良くビザが下りれば来週末にはその新居に合流するという。いよいよ新婚生活が始まるわけである。秋には赤ちゃんも産まれる。
 ところでどこ? と訊けば不動産屋のチラシを差し出した。職場のすぐ近くである。「帰れなくなったときは泊まりに来て下さいよ」と言ってくれる。そんな野暮なことをするわけにもいくまいが、“見学”に必ず一度は訪ねると約束した。国際結婚とは、当方にとっては大きなニュースであった。娘の名前をロシア語から付けたところまでで学習を放り出したとはいえ、相手の女性がロシア人ならばなおさらである。
 2時間近く話し込んでいったが、栄史は昔と変わらず、元気そのものであった。

 6月20日(日)

 暑い一日だった。夜は風が強く、蒸し蒸しする。雨こそ降っていないものの台風が確実に近づいていることを予見させた。テレビで何度もお目にかかる進路予想図が一瞬脳裏を掠めた。あの北上する台風の目から日本列島はどんな風に見えるのだろうか。逃げまどい、通り過ぎるのを待つ米粒のような人間をその目は捉えているのだろうか、と。
 帰りがけに立ち寄ったディスカウントショップで見覚えのある女性(卒業生)を見かけた。もしやと思いながら、それとなく姿を追いかけていると、一度だけ目と目が合った。向こうは無反応だった。すると、他人の空似か。買い物を済ませて店を出るとき、前方にその女性がいた。外に出るとすぐに連れの男性に(男性の方から!)腕を組まれたが「○○なんですね」とよそよそしい、つまり他人行儀な口調で話しかけていた。その声も似ていた。
 すぐあとにもうひと組、これはたしかに見たことがあるぞ、まちがいない、と思ってすれ違った。はて誰だったかと首を捻っていると、一緒にいた学生が「ポプラ(近くのコンビニ)でバイトしている人たちでしたね」と教えてくれた。一昨夜にも見知った人のような気がしたことがあって、ここはいよいよ、夢幻の世界に入りつつあるか、と自省少々。

 6月21日(月)

 たしか今日は夏至だったと夜になってから思い出し、朝刊をひっくり返してこの2文字を探した。さしたる理由はないが、見つかれば嬉しい、と思った。コラムでなくとも、暦でも天気予報の欄でも、どこでもいいから触れていて欲しい。そんな気持ちで隅から隅まで目を通した。ない。次いでWeb版に移る。こちらは丹念に探す気にもならなかったが、ほどなく目に飛び込んできたのが“南極の昭和基地で冬至を祝う「ミッドウインター祭」”という記事だった。うーん、まちがいなく北半球は夏至だ、と納得した。ひねくれ者になったような気分がした。
 チェキラ、という言葉が流行っているそうである。語源の見当が付かず、メールにこの言葉を使ってきた女子大生に訊くと「check it」が元で口語特有の語尾変化をともなったものだと教えてくれた。こっちの若者の言葉もわからないのに、いわんやむこうの若者の言葉においてをや、であった。同じ文面に「プチ流行っています」とあったので、当方は広島の方言「ぶち」を久々に思い出して憂さを晴らした。これは英訳すると「very」であり「ぶち可愛いのぉ」などが用例。学生の頃、よく使っていた。内輪での流行だったから程度は「ぶちプチ」かな。

 6月24日(木)

 夜は蛙の鳴き声を聞きながら車を走らせた。あれはウシガエルです、と同乗者が即座に言い当てるので「よく知っているね」と驚くと「小さな頃、田舎のおばあちゃんに教わった。遊びに行くと、それはもううるさいくらいに鳴いて……。いま都会で聞くとほっとするんですけどね」という。まったく同感だった。ふと、カエル博士の異名を持つ川村智次郎氏のことが思い出された。帰り着いて調べると去年の1月に亡くなったと書かれていた。「団交」の場で話されるのを遠目に見ながら、学生の側にいながら「不運だなぁ。こんな時期に学長になるなんて」と同情したのを覚えている。同郷ということもすでに頭の中にあった。しかもそれは、カエル一筋の人生に対する驚嘆に通じている。なんて素晴らしいんだ。
 数日前にインターネットで調べてカタログを所望する旨のメールを送ったところ早速『小西陶器輸出商会』から立派な本が2冊送られてきた。信楽焼の花器・花入れとカップ・コーヒー茶碗・小皿などが何百点も載っている。まるで美術展の図録の趣がある。この中からたった一点を選び出して栄史への贈り物にしようという心積もりだが、大いに悩む。

 6月27日(日)

 一両日という死語になったような言葉を使ってしまった。書いているときはなぜか3日以内というほどの意味だった。今日を挟んで昨日と明日、合わせて3日という計算をしたのにちがいないが、あとでやはりヘンだと思い直した。過去である昨日は、前後の文脈からいって関係ないのではないか。簡便な辞書で調べると「一日または二日。一、二日…」とあった。この「…」が曲者だとしても「やはり3日は無理か」と観念した。
 その昨日は久々の土曜出勤だった。一日中「夢のお告げ」について考えていた。明け方に見るさまざまな夢のほとんどが現実との境目のない夢ではないかと思い始めたからである。

 6月28日(月)

「一両日中に来て欲しい」と書かれたメール(書いたのは当方だが)を受けた女子学生が今夜やって来て、手際よく頼まれ事をこなして帰った。この言葉を正確に聞き分けて「一日目に…」ということになるのだった。勘違いで使ったとはいえ、早いお成りに、嬉しくなった。

 6月30日(火)

 バイパスが大きな国道とぶつかるところに、三角州のように広がった中央分離帯があり、不埒な運転者の仕業で空き缶やゴミ袋が投げ捨てられて常には“見苦しい場所”であるが今日、生い茂る雑草のうえを数十羽のトンボが気持ちよさそうに舞っているのを見かけた。この時期さすがにアキアカネではあるまい、近くに池があるわけでもないからシオカラトンボか、などと推測してみた。他に知っている名前といえば、ギンヤンマ、オニヤンマぐらいのもので、これもまだ早い。まあ、名前などはどうでもいい。小さな、あまり目立たないトンボだった、というだけで十分か。もうひとつ付け加えると、暢気に飛んでいる、と他人事ではなく思えるのだった。
         


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