日  録 寄り道から寄り道へ    


 2004年7月3日(土)

 ゆうべ、残った仕事を片づけ、少し寄り道などもしていたら帰宅が午前1時をかなり過ぎた。おかげできれいな満月を長時間愉しむことができた。明け方4時前には、東の空に白く輝く金星、これは否応なく目に飛び込んできた。一番星見つけた、というところか。いつの間にか7月になっている。

 7月4日(日)

 忘れっぽくなって、大きな失態には至らないが、思い出すまで気になって仕様がないということが間々ある。昨日は、「ヘンな言葉」を研究している、つい最近テレビでも見た大学の先生のことであった。それより以前に聞き知っていて「すごいものだなぁ」と感心したことは覚えているのに、肝心の「研究の中身」が出てこない。数時間後「擬音……」というところまで甦ったのでインターネットで調べてみた。
 曰く、《今まで幼稚な言葉としてあまり重要視されていなかった『擬音語・ 擬態語』を初めて辞典としてまとめたという埼玉大の山口先生。イヌが「わんわん」、ネコが「ニャーニャー」鳴く、擬音語。「バリバリの営業マン」「電子レンジでチンしておいて」という具合で使う擬態語。この本によると、英語では350種類しかないの に、日本語には1200以上あるとか、5倍も多いなどの調査結果が紹 介されている。著者の調べによると、約半数は900年以上も永続する古い言葉であり、単なる流行語というわけではないらしい。》
 と、とりあえずは、自分の記憶に対して面目を施した。

 7月7日(水)

 何日か前、幼なじみから電話があった。用件はわかっている。十何年も前から、国政選挙の前には必ず入るのだった。たまに帰省しても顔を合わせることもなくなった幼なじみからはじめて電話があったときたまたま不在で、またかけ直すという伝言を訊いて、何ごとだろうとあれこれ想像を巡らしたものであった。その何日かあとに「○○党に是非一票を」と直接聞いて合点がいった。○○党は眼中になかったので、なんて人騒がせなという気持ちもどこかにあった。今回は、つい最近京都であったという同窓会のことを教えてくれたり、こっちからもいろいろ誰彼の消息を質問したりした。
「伯父がそっちに住んでるのよ」と幼なじみは言う。
「伯父って誰?」
「母の兄で、銀次や」
 村の俯瞰図を頭に描いて、そう言えばそんな風に呼ばれている人はいたかも知れないなどと考えていた。もちろんたしかな記憶には結ばれていかなかった。
「へえぇ、知らなかったな」
 ○○党に一票を投じる気持ちにはやはりなれないが、“ふるさと”がぐーんと近くなっていることを自覚させられた。

 7月8日(木)

 連日暑い。涼しいはずの明け方に汗をびっしょりかいて二度三度と目が醒める。この暑さはただモノではない。梅雨なのに雨も降らない。いろいろな変化があってこその“明日”ではないかと恨み言を呟きながら帰り急いでいると北方の空に幾度となく閃光が走り、雲が割れる。今年はじめての遠雷に、恨みが少し消えていった。近づいているのに、ついに音は聞こえなかったけれど。

 7月10日(土)

 木曜日にメールで注文を出した信楽焼の花瓶が今朝方届いた。昨日支払い方法について問い合わせの電話があったことをあとで知らされたが、それにしても早い。おまけに、カタログで表示されている料金よりも4割方安いのであった。同姓のあの男が経営者かと高校時代の友人の顔を思い浮かべた。ずっと音信はないが片隅にこっちの名前を覚えていて特別の計らいをしてくれたことも考えられる。早速電話すると、「ああ、着きましたか」と若者の声であった。
「随分安くしてくれましたね」
「産地直送ですから、当然ですよ。また、これを機会によろしくお願いします」と屈託なく言うので、
「ああ、もちろん」 と答えた。
 緑の釉薬を生かした長楕円形の花瓶をいったん出して眺め入った。信楽焼らしくはないが、華やぎはあると思う。新婚所帯には似合うだろう、と。

 7月11日(日)

 昼前、いまにも雷雨が襲ってきそうななかを、参院選の投票に出かけた。当地は雨らしい雨が降らないまま梅雨明けを迎えようとしている。今日もまた本格的な雨にはならなかった。
 今回議席を分け合った自民も民主も“同じ穴の狢”、イラクから自衛隊を撤退すると主張する党、憲法を守るという党になぜ票が入らないのだろうか、不思議である。と言いつつ、比例区って候補者名を書いて投票してもよかったことをテレビを見ながらはじめて知った。われも、同断か。

 7月15日(木)

 午後2時過ぎ、久しぶりに車を洗ってもらってGSから出た途端に激しい雨と雷に見舞われた。待ちに待ったと言いたいところだが、新潟では亡くなった人が何人にも上っているというニュースを聞いていたので、梅雨明け後の、本来逆のこの現象を素直に愉しめなかった。現に、道路にはみるみる水が溜まり、ワイパーは利きもしない。いつもの狭い橋を避けて、高台の方に回って行こうか、と考えたりした。しかし、30分ほど走ると、急に青空の下に出た。豪雨のトンネルだったわけで、肩の力もぬけ、煙草に手を出した。窓も開けることができた。

 7月16日(金)

 ここ数日、何回か新聞を手に持ってほとんどの記事を精読していることが多くなった。三面記事といわれる“日々の事件”はもとより、欠陥車リコール隠し、ジェンキンスさん、UFJと東京三菱銀行の合併からプロ野球の1リーグ制まで、内的な欲求として知らずには済まされない。よくもまあ、こんなに次々と、と思う。追っかけるのにも体力がいる。

 7月18日(日)

 昨17日は何年ぶりかで電車に乗って、久しぶりの池袋へ行った。もっと多くの人が犇めいているかと思ったがそうでもなかった。暑い盛りだったから屋内や地下で涼んでいたのだったろうか。栄史の『結婚お祝いパーティ』が終わったのは夕方6時過ぎだったがまだ昼間の熱気でムンムンしていた。ロシア人の新婦はただ笑うのみで、ひと言も言葉を発しなかった。それがちょっと物足りなかった。しかし、日本語に不慣れなことに加えて、今後生活習慣に馴染むまでに相当の時間を要することに同情するならば、むしろいい笑顔だよとエールを送るべきだろう。パーティも友人たちが急遽企画したものだと聞いた。参加者は30名足らずだったが、心のこもったいい会だった。
 帰りは途中まで力也と一緒だった。前日未明に2軒先で火事があり、大きな音で目が覚めた。鎮火までずっと眺めていたが、震えましたよ、と言うから「不審火かな。物騒だな」と応じた。車内で別れの握手をして、電車が動き始めた頃にロシア語ならば「ダ・スヴィダーニヤ」とでも言うのかなと思いつつふと窓越しにホームを見るとまだ力也がいて、片手を振りながら、何度も頭を下げている。前夜、家の前まで送っていった女子学生も、後続車のためになかなか出発できない車の横に長い時間直立したままだった。自分が彼らの立場なら長幼の別なく同じようにするだろうなぁ、と思った。だから、そんな人間が好きである。見えなくなるまで見送り、手を振り、走り出すことだって厭わない、などとちょっとウエットなところにまで想いは駆け抜けた。
 夏休みの宿題の“先生手書きのプリント”を持って生徒が質問に来た。もうそんな時節である。どうにもわからない問題のひとつが「参議院の別称は?」というモノだった。選挙があったばかりで、そんなものがあるのなら新聞・テレビで言っていてしかるべきなのにとんと聞かなかった。はてはて、と居合わせたみんなが首を傾げた。家に戻ってインターネットで調べるといくつかの死語を集めたサイトがヒットし「良識の府」とあった。ここ10年以上、いやもっとか、聞いたり言ったりした覚えはない。教科書にはまだ出ているのだろうか。

 7月19日(月)

 創部6年目にしてはじめて初戦突破、3回戦も勝ち抜いて今日“強豪”と対戦するというのでテレビを付けた。部員はマネージャーも入れて15名、全員がベンチ入りしている。「真面目にコツコツと練習を積み重ねて、ここまできました」と同じ高校の陸上部顧問がコメントしていた。2回戦で勝ったあと、ふらっと立ち寄ってくれた卒業生の顔が浮かんだ。勉強はあまり得意ではなかったが、人が嫌がるようなことにもねばり強く取り組む男だった。いま捕手として試合に向かっている。前半、劣勢は劣勢だが、守備にいいところがいくつか見えた。これぞ“努力のたまもの”だろうと思った。出勤時間が迫ってきて最後まで見ることはできなかったが、奇跡を起こせと祈らずにはいられなかった。

 7月21日(水)

 土用丑の日。昨日、今日と、猛烈な暑さである。汗まみれで起き出してからは、駅前まで車で出かけただけで、クーラーを利かせた室内から動けなかった。せっかくの休日もあとは“ウナギ”を残すのみである。25,6年前にはイラクへ赴任する友人から「日中は40度」と聞かされて仰天したものだが、いまや他人事ではなくなった。
  K女史から転職したというメールが届いた。みなが羨むシンクタンクに「5年余り勤めたことになるが、やりたいことにより近づくと思う」と書かれていた。少し前には、ノンフィクションライターをめざすKがやってきて「とりあえず大手新聞の子会社に職を見つけました。こんなちゃんとした会社ははじめてなので緊張していますよ」と話していた。二人の前途にビールで乾杯、といきたいものだ。

 7月23日(金)

 耳を動かすことができると言って実演してくれた女生徒にも驚かされたが、こんどは左手の親指と人差し指の間で脈拍を計ることができると聞かされて信じがたい思いがした。思春期の恥じらいを捨ててでも“本当だ”とわかって欲しかったのだろう、二つ返事で触らせてくれた。たしかにこちらの指先に鼓動が伝わってくる。手首でもなかなか感じづらいのに難なく“生命のリズム”に行き当たる。怪我をして血が流れて、以来、こんな風だという。動脈がせり出すなんてことがあるのか。これも特技だろう。
 これは数日前のことだったが、いまなお不可思議な思いは残っていて、気が付けば、自分の指の股に右手人差し指をあてている。もちろん、何の気配も感じられない。

 7月25日(日)

 耳を動かす云々と書いたら昨日の夜、当の生徒に往来で出くわした。街あげてのお祭りの夜で彼女らは浴衣姿だった。屋台が軒を連ねる商店街通りを歩いて2キロほど先の敷島神社まで行くんだと言っていた。同じ方向に向かう人の波を縫ってそろりそろりと車を動かしてきたが、街を抜けたあたりで「まだ8時、見知らぬ人たちと一緒に歩いてもよかったんだ」と思った。惜しいことをした。

 7月28日(水)

 勤務時間が“早朝”にシフトして4日が過ぎた。早くも、あしたが休みならば……と思うようになった。猛暑のせいでもあるまいが、気力・体力の減衰を予感する。左肩が、少々痛い。小学生に体当たりされたためか、例の症状か、見極めることもできない。こんな時は、いい小説を読むにかぎると、本屋さんに連夜の寄り道。


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