日  録  引っ越しやつれ  

 2004年10月2日(土)

 早起きをして本棚の整理に着手する。古びた文芸雑誌は目次をいったん開くとなぜいまもここにあるのかがわかる。中上健次の「枯木灘(短期集中連載)」の載った『文藝』(一年間無料という懸賞に当たったのだった)、黒井千次の「風の絵本」が掲載されている『群像』など、単行本を持っているものもあるのに「初出誌」に愛着が湧いて捨てられなかったのだった。このたびもそうなりそうである。
『海燕』は創刊号からほぼ揃っている。相当黄ばんでいるがまだ読める。その都度パラパラとめくり、拾い読みをしていると、あっという間に時間が経っていった。新刊書評を7回ほど書かせてもらった『創』は、その部分だけを切り離していると端の方がポロポロと崩れ落ちた。中身の方は、なかなか清新(?)で自分の文章でないように感じた。二十数年はやはり長いのか。
 棚から取り出した本を紐で縛ったり箱に詰めたりしていると6畳の和室はたちまち古本屋さんの匂いが漂うようになった。軍手を穿いた手で表紙を撫で、汚れを拭っていると、店員になったような気分がする。愛好家なら(つまり自分ならということだが)すぐにも飛びつく本ばかりじゃないかと“自賛”。夜9時頃まで断続的に作業を続けやっと三分の一が片づいたのみとなった。まだ、先は長い。
 タイ旅行から戻ってきた女子学生からお土産に扇子をもらった。ゴツゴツしい十本の竹で組まれ二頭の象がタイシルクの上に印刷されている。すぐ気に入った。少し前にはシンガポールの扇子をもらった。2年前に奥州・平泉の扇子ももらった。そのあとに、娘まで父の日に扇子をくれたのだった。手元にいまこれだけの扇子がある。これは、自慢!

 10月7日(木)

 昨6日、夜の12時少し前に茨城南部を震源とする地震あり。ちょうど車運転中につき気付きもしなかったが、放送中の三田誠広の話(「団塊老人の老後」などというテーマの)が突然速報に切り替わったので知ったのである。震源地付近が震度5で、このあたりもかなり大きく揺れたらしい。はげしく降った秋の長雨が止んだ矢先のことで、まったく次から次へと何が起こるかわからない。自然よお前もか、である。変わらないモノと言えば、ここ数日ほどよい香りを振りまくようになった金木犀の花である。ほっとして、なつかしい。

 10月11日(月)

 神無月もはや中旬にさしかかった。月一回は手伝いに帰っているという姉からの報告によればことし兄が神主をつとめる鎮守では先頃“宮送り”の儀式が行われたという。
 早朝、出雲に帰る神様を三宝にのせて鳥居下から参道、境内を通り抜け、神殿下の川を渡り、その向こうの山の麓めがけて神主が走るのである。小さい頃に何度も見た記憶がある。参道にどんぶり茶碗を伏せたような盛り砂が一列に並び、神主はその砂を踏んで走っていく。いま思い出すと砂を蹴散らすという形容がぴったりする。何かかけ声を掛けていたのかも知れない。まさに神懸かりめいた勇壮な感じが伝わってきた。それが楽しみだったのにちがいない。
 三宝がふっと軽くなったときが、神様が旅立たれたときである。やや長じて「本当に軽くなるの?」とやはり神主をつとめたことがある父に聞いたことがあった。「どこまで走っても行かれないこともあるし、すぐに行かれることもある。年によってちがうな」そんな風に答えて、山を登っていく年もあった、と付け加えた。川を渡るのも大変だが、草をかき分けて山を登るなんて、と驚いたものだった。小さい頃の遊び場だったその山にいくつかの谷筋はあるが道らしき道はない。もっとも、道があろうがなかろうが神主は軽くなるまでまっすぐ走るしかないのである。ことしはどうだったろうか、と思った。
 また姉によれば、神主が踏んだあとの盛り砂を見物の人が競い合うようにビニール袋に詰めていた、という。昔はそんなことはなかったのに誰が、いつから、と考えると俄然別の興味が湧いてきた。次は“宮迎え”である。同じようにして三宝(方)に神様の重みを感じるまで神主が走る。

 10月12日(火)

 いまハワイで人気だという絵文字をお土産にもらった。気に入って早速写真に撮り、表紙にUPした。たった三分ほどで、花鳥風月を盛り込んだ絵文字に仕上げてくれるのだという。作者は中国系の若者で雅号はMOK。優しいタッチと極彩色の色合いが心を和ませる。

 10月16日(土)

 日の経過が俄然早くなったような気がしている。朝夕も肌寒い。あっという間に季節が変わるんだな。

 10月17日(日)

 早朝から夜11時頃まで職場にいた。ざっと14時間、これは夏至の日の昼の長さだと何の脈絡もなく思った。

  10月20日(水)

 まさかこの時期に、そんなに続けて…と高を括っていたら本当に来てしまった。台風23号のことである。22号が去って、すぐに発生したというニュースに接したときの感想は裏切られてしまった。昔のモノを整理していると吉岡良一の『暴風前夜』という詩集が出てきた。中身は改めて読みはしなかったがいい題をつけるもんだな、と感心した記憶が戻ってきた。もう、20数年も前のことである。かと思えば、古い写真やノートの束に紛れて配偶者からのメモ風の手紙が出てきた。たわむれに読んでみると、
〈昼下がりの陽射しの中で先生が言った。「まちがいありません。予定日は8月17日です。お産みになりますか」〉
 それだけでこちらの覚悟を促している。これはもう30年も前のことになる。
 段ボールが3箱あって、その中には、それ以前のものも詰まっている。「催し物・パンフ」と表書きされた封筒からはわら半紙にガリ版で印刷された「俺たちの黄色いマリア」演劇公演のチラシも出てきた。ノートも写真も、そして一度は姉の家にでも疎開させようかと思った手紙類も、この際すべて捨ててしまおうか、と。

 10月26日(火)

 土曜日に新潟・中越地方で地震。ちょうど授業中だったがあまりの大きさに蹲ってしまった。生徒が初期微動に気付いて教えてくれたあと大きな揺れが十数秒後にやってきた。震源が遠いわりには凄かったと思ったのはもっとあとの認識で、続いて何度も大きな揺れがやってきて「いよいよか」と背筋が凍る思いだった。棚からモノが落ちるなどの被害は幸いひとつもなかった。それにしても、居合わせた生徒たちの泰然ぶりには感心した。
 日曜日は朝からレンタカーを借りて娘の引っ越し、意外と荷物が多く翌月曜日に持ち越した。一ヵ月以上続いているわが家本体の引っ越しもまだ残っていて、私生活では「やつれ」が極まりつつある。今年ばかりは、秋の風情を愉しむというわけにはいかない。

 


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