日  録 梅はまだか  

   
 2005年2月1日(火)

 日中、日溜まりがあたたかい。大寒波の襲来で各地の雪模様、難儀の様をテレビで見聞きするも、この地だけは無縁かと思われた。それでも夜になると急速に冷え込んで、やはり、と思った。
 入試の季節に入って一気に緊張が走る。狎れを警戒しつつ、生徒にもその親たちにも対さねばならない。受験を終えた小学生がわれよりも若い父親に連れられて次々とやってくる。やんちゃだった男もこのときばかりはしょげ返って、歯が立たない問題がたくさんあった、と言う。健闘を祈り、試練に耐えて大きくなれ、と励ますも、毎年毎年緊張感を漲らせてこの季節を過ごすには、いささか老いたかとも考えた。

 2月3日(木)

 授業中の小学4年生が突然叫び声を上げた。はじめて経験する長い勉強時間をそろそろ持て余す気配はその少し前から感じられた。椅子から腰を浮かせたり、カバンの中を覗いたりと実に落ち着きがない。お腹も空いて、家に帰りたいのだろうと、可哀想にもなって進行を早めていた矢先だった。
「豆をまかなくっちゃ!」
「まだ間に合うよ。鬼の出番はこれからだから」
 と出任せを言って慰めると何となく納得したようだった。
 それにしても、都会で実際に豆を撒く家は何軒ぐらいあるのだろうか。この子の家などは稀ではないかと思われた。わが家では、例年の如く配偶者が庭に出て大声で叫びながら撒いたらしい。その話を聞いた娘は「恥ずかしいからやめなよ」と反応する。娘が家庭を持ったとき、この風習を引き継ぐかどうかは期待を込めて言えば五分五分とみた。

 2月6日(日)

 若葉駅前まで行ったついでに新しいショッピング街、といってもできてもう一年くらい経つだろうか、「WAKABA WALK」に足を運んだ。太陽の光はふんだんに降り注ぐが寒風が通り抜ける歩道の脇にいろんな店が並んでいる。北棟の端に本屋を見つけ宮内勝典さんの「焼身」(400枚)が掲載されている『すばる』3月号を買う。あとは時間つぶしにあちこち歩き回った。そろそろ時間も迫ってきたので帰ろうと急いでいると「コーヒー割引券」を若い女性から手渡された。ためらいなく入ってコーヒーを飲みながら、ふたりして携帯電話を取り出し、こちらは職場への到着が遅れる旨の、配偶者は留守番の娘に向けて、それぞれメールを打ち続ける。どちらが言うともなく「若者じゃあるまいに、話すでもなく、メールかよぉ」
 そんな実感の、日曜の午前だった。

 2月8日(火)

 朝から冷たい雨が降っていた。
 送電線の上を曲芸人のように軽やかに滑っていく電気工事の人をきのう何人も見かけたと思ったら、中継用の新しい鉄塔が右となりで建設中であることに今日気付いた。クレーン車が天高くアームを伸ばして塔を築いていく。
 その前は、こんもりとした丘である。広い畑をかぎるように100メートルほどの長さで横たわっている。来た当初は“古墳”かと思い、ぐるっとまわりを歩いたものだった。息子や配偶者と「埼玉にはたくさんあるというから、ここにあってもおかしくあるまい」とまことしやかな会話を交わしていた。ところがこれは“産廃の山”だと言うではないか。騙して農地を借り受けた悪徳業者が捨てるだけ捨ててとんずらしていく。こんな山があちらにもこちらにもあるのだと近所の植木屋さんが教えてくれた。ロマンなんか、ひとかけらもない話で、仰天した。

 2月14日(月)

 昨日近くのベトナム雑貨を扱う店で金属製のコーヒーフィルター、その名も「珈琲直流杯」を買ってきた。もともと陶器製のドリップ器具が欲しかったのだが、歩き回るうちに「待望の入荷!」というコピーの「待望の」の部分が気になって、ひとつ買うことにしたのだった。動機がミーハー的だから、淹れ方がわからない。あれこれいじくっていると、ネジ式になった中蓋がとれた。この隙間に粉を入れてお湯を注ぎ込むにちがいないと見当をつけて早速使ってみた。音こそしないが、少しずつ少しずつお湯が落ちていく。のんびりとした気分になる。ただし、急いているときは待てないかも知れない。
 庭の梅の木、通りかかる近所の人たちは口々に「そりゃ、きれいなものです」と話しかけていく。当方らにははじめての梅の花、いつ蕾が開くかをのんびりと待ちたい心境だが、ここ数日は深夜遅くまで職場にいたり、早朝に出かけたりとなかなか慌ただしいのであった。とうとう風邪気味となって、ルルに手を出した。「何錠?」と聞けば、「昔から決まっている」とのつれない返事に笑う余裕もない。
 かと思えば、備え付けのベッドの端に立って天井の電球を取り替えた拍子にこてんと床に転がってしまう、ひとり暮らしの若い女性からそんな笑い話(?)を聞いて、いつかどこかで目にしたような気がする。
 玄関のそれを筆頭にわれはこれまでいくつの電球を取り替えてきたことになるか。業を煮やして、少々高価だが寿命8倍の電球を求めたこともあった。一度くらい転がり落ちそうになったことがあったのかも知れない。いや、そういうことではなく“既視感”をともなう話は聞いていて心が休まる、という感想を書きたかったのである。

 2月16日(水)

 夜来の雨が昼前には雪になり、あたり一面があっという間に白くなった。気もそぞろとなって、出かける準備にかかった。その後雪は冷たい雨に変わっていったが、合格発表の時刻が近づくに連れてこちらも平常心を失っていった。濡れそぼちながら坂を上って、正門をくぐり、掲示板に辿り着く15歳の受験生の姿ばかりがまぶたの底に映し出されるのであった。がんばった彼女にとってはどんな雨になるのだろうか。待つ時間の長さを久々に思い知った。

 2月23日(水)

 18日頃から喉や頭が痛くなり、21日と22日の2日間はまるっきり寝て過ごした。熱こそ出なかったが体がふらふらした。煙草を吸うとむせかえって肋骨に負担がかかるので、控えた。その禁断症状か風邪の症状かわからないが、無気力そのものとなってベッドに倒れ込む、その繰り返しだった。しかし今朝などは、強い陽射しの中で少し汗をかいて目が醒め、試みに吸ってみた煙草もなかなかいい味がした。確実に元に戻っているなぁ、と実感した。

 2月25日(金)

 昨日は一転、今にも雪が降りそうな気配である、というのが午前中、起き抜けの感想だった。予感があたったのか、日中は穏やかな気候だったのに夜は雪の嵐となった。ちぎった綿のような雪が已むことなく、舞うが如くに降りてくる。異変を愉しみながらの運転となった。
 家に辿り着くと同時に携帯が鳴ってメールを受信した。「わーぃ、雪だ(顔文字)あした積もるとぃぃね(顔文字)」の文面。この女生徒には「雪の重みで笹竹が道路に垂れていた。前の畑も真っ白だ!」と雪明かりの中ですぐに返信した。
 その雪も今日はほとんど名残りをとどめていない。
 いつもの通り道にある小さな郵便局で用事を済ませて駐車場に戻ると一台の車が目の前に止まった。運転席からかつての教え子であるTがにこやかな笑顔で呼び掛ける。こんなところで、とびっくりした。「お姿をみつけたのでUターンしました」と言う。互いの行き先は逆方向だったのだ。飲み物でもご馳走したかったが近くには何もないたんぼ道である。寒風に吹かれながらの立ち話となった。こちらにはまだ十分“ニュース”で有り得る携帯電話のことを持ち出すと「へえぇ。教えてください」と言ってくれる。近くみんなで集うことを約して別れた。

 2月28日(月)

 ほぼ2ヵ月遅れで初もうでを済ませた。行き先は、正月4日に渋滞で辿り着くまでに長い時間を要し、長蛇の列に嫌気して大名焼きを頬張りながら引き返してきた高麗神社である。梅のほころびかけた境内は人もまばらである。神殿に向かって神妙にお祈りをして、子供たちのお守りを求めて帰ってきた。宿願を果たしたような気がしたが、一年の歩みはまだまだこれからであるのだった。    
 


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