日  録  中世的な夜明け    


 2005年3月4日(金)

 日付が変わった頃から降り始めた雪が昼前のいまも降りつづいている。何度目の雪景色だろうか、あたり一面真っ白である。早朝、合格しました、というメールを受け取る。この雪の中を発表を見に行ったのかとその難儀を思う。が、掲示板に自分の番号があったのだから、またひとしおの雪景色だったにちがいない。
 移植してもらった紅葉、金木犀も枝に水気の多い重い雪をのせてなお屹立している。いまだ蕾の梅の枝はかなり垂れている。融ける前にと、写真に撮った。ピンぼけの雪景色が写し出された。もう春だからこんなものか、と一枚だけで止めた。

 3月6日(日)

 近くのスーパーに行くと入り口付近の“にわか園芸コーナー”に姫榊(ひさかき)が99円で売り出されていた。発作的に手に取ってレジに急行した。しおれかけている神棚の姫榊を思い出したからである。毎朝でも新しいものに取り替えてお祈りするのが筋だが、年末に飾ったままにしている。都会ではなかなか榊が手に入らない、鎮守の神様だから許してくれるという甘えもあった。そこで、いっそ庭に植えたらどうかとふと思った。JA農産物センターにはたしかに苗木が売られていた。
 昨日(5日)は夕方から板橋にて『祝賀会』、夜は志木に戻って「2次会」に参加した。無性にビールを飲みたかったが、車の運転を控えていたので我慢した。久々に逢う面々と話していると何杯ものビールを飲み干すのに匹敵するだけの値打ちがあった。

 3月8日(火)

 職場で地震に遭遇した夢で目を覚ました。あたたかい朝であった。庇を支えている鉄管の破れ目から二羽の雀がチュンチュンと鳴きながら出入りしている。巣作りに懸命な夫婦雀であろうか。
 義妹が野菜やハーブの種、土を持って来訪。入れ違いで逢えなかったが、夜、手作りの寿司にはありつけた。
 いよいよ春である。

 3月11日(金)

 帰り道ところどころで濃い霧が発生していた。雑木林と畑ばかりの自宅近くに戻って来ると視界ゼロメートルである。白線もない農道は記憶も頼りにならずおそるおそる車を動かした。うしろにぴったりと一台が付いてきた。われが道を踏み外せば彼もか、といっそう緊張した。幸い対向車はなかった。
 これが午前12時過ぎのことで、3時前にもう一度出かけたときはかなりはれ、地上を千切れ雲が流れる程度であった。渡ろうか渡るまいかと思案に暮れるタヌキもはっきりと識別できた。こんな霧がはじめてならば、タヌキとも久々の遭遇となった。

 3月13日(日)

 昨夜、新聞折り込みチラシの原稿を仕上げてきた。ああでもないこうでもないと言い合っているうちに時ばかりが過ぎて、出来上がったのは午前3時頃であった。体はふらふらになっていたがおかげで今日の休みを確保できた。
 夕方近くなってから最近贔屓にしている、近くのアジアン雑貨の店に出かけてホワイトデーのお返しを物色した。お菓子とかハンカチとかではありきたりすぎる、ここは一風変わったものをと考えていると、磨き上げただけの、小さな石に出合った。「心の疲れを癒し、鋭い直感力を補う石・アメジスト」「恋愛で傷付いたり、寂しくてしょうがない時、優しく語りかけてくれるとても心優しい石、女性の魅力を引き出す石・ローズクォーツ(紅水晶)」(某インターネットショップの惹起文より)などを6個買った。
 なかなかいいものを見つけたと意気揚々で帰ると家の者らは「いまどきの若い人はこんなもの欲しくないって言うよ」「中年が買うものではない!」「人気、落ちるよ」「せめて加工してればね」などとさんざんっぱらである。少し自信をなくし、自分がもらいたいものをあげよう、って言うじゃない? とかろうじて抗弁す。
 さて、どうだろうか。喜ばれるだろうか。明日以降が楽しみとなった。

 3月16日(水)

 やるべき事が立て込んで心身ともに落ち着かない日が続いているときに、東北なまりの純朴そうな人が庭に入り込んできた。リンゴを買ってくれないかという。二つ三つなら買うが、箱なんかでは買えませんよ、とその見かけの人柄に感応した配偶者が答えている。
 こちらも起き抜けに出ていって、やりとりに加わった。「いくら?」「目方っす。最低5つか6つ」短い会話を交わして、「やっぱり、いいです」と断ると、札幌ナンバーのワンボックスカーの運転席にいたもうひとりの男が突然怒鳴りだした。
「買う気がないんなら、最初からそういえよ」そんな風に言っている。
 パジャマ姿のまま外に飛び出し車に駆け寄った。若い男がハンドルに片手を置きながら窓から顔を出し、まだ汚い言葉を吐き続けるから「押し売りか?」と詰問、すると「うざいんだよ。あっちいけ」である。勝手に来ておいてその言い草はない。
 その後近隣の家を回っている様子だったが相手にされなかったらしく、すぐにこの界隈から走り去った。腹いせに、「盗んだリンゴを売り歩いているのかもしれんな。きっとそうにちがいない」と決めつけてやった。おぼこ風と強面、いわばボケと突っ込みのコンビ、白昼のとんだリンゴ売りであった。
 井上陽水の「リンゴ売り」はどんなだっただろうかとふいに思った。

 3月17日(木)

 名前入りのボールペンなどという、いくつになっても心躍るプレゼントを不在中に置いていってくれた生徒の母親に電話を入れた。もう二週間近く経っている。遅きに失した感なきにしもあらずだが、ひとことお礼を言わざるべけんや、と思い続けていたのであった。
 電話を代わったときからエコーがし始めた。午後7時過ぎであったから、台所空間が頭に浮かんだ。食事前の忙しいときに電話をしてしまったか、ならば早々に切るべきだろうと考えながらも5分ほど話し込んだ。最後にその旨お詫びを述べると、いまお風呂です、と言う。明るく、あっけらかんとした性格の人らしい率直さだった。
 予想外の空間に、なぜかたじろいでしまった。映画ならば、あわ風呂につかりながら電話で話すメリル・ストリープである。知ったのが切る間際でよかったと思った。

 3月20日(日)

 起き出したらテレビは、たったいま福岡西方沖で大地震が発生したと報じている。家族を当地に残したまま単身赴任、何年も東京で暮らしている友人のことが気にかかる。3年前に教えてもらった携帯の番号が見つかったので、早速電話してみた。ところが、3回かけて3回ともツーツーという通話中を表す音のみ。
 つながらないということは、電話が殺到しているせいか、ならば連休を利用して福岡に帰っているのに違いない、と決めてかかった。
 しばらくあとに4回目の電話をすると今度は呼び出し音が鳴っている。しかしこれも『もうすぐ出ますのでこのままお待ちいただくか、しばらく経ってからもう一度おかけ直し下さい』というテープ音声が流れたあと突然切れてしまう。次の5回目の電話の時も同じだった。
 さては、見知らぬ電話には出ない、ということか。薩摩隼人の剛胆さを持つ彼には考えられないことではあるが、昨今の詐欺めいたいたずら電話の横行からいえば、またやむなし、である。
 そしてついに奥の手を思いついた。携帯メールである。電話番号だけでメールが送れることを知っているのである(!)。果たして、メールは無事送信された。自分の名前を書き忘れたことに気付いたが、「あなたは誰ですか」くらい書き寄越してくるだろう。
 待つこと十数分。「電話番号間違っていますよ」とつれない返事が届く。つまり、3年前の番号はまったく別人のものになっていたのである。
 年賀状を引っ張り出して自宅の電話番号を探す気力も失せ、勤め先に向けてお見舞いメールを送った。見るのは早くて明後日、という間抜けぶりだが致し方あるまい。

 3月25日(金)

 雨が止んだあと、ほとんど満ちた月に三重の虹の輪がかかっていた。いまやデジタルカメラの代わりにも使っている携帯電話を取り出して一枚撮れないかと考えたが、夜明け近い時間にパシャパシャとやるのも気が引けて断念、その幻惑的な光景を目に焼き付けることにした。そのうち上空の風が轟々とうなり声を挙げるようになった。地上では砂ぼこりが舞い上がり、木々が揺れる。雲の流れも速い。中世的な雰囲気に浸りながら家の中にはいっても、風の音は従いてきて、しばらく耳を離れなかった。

 3月27日(日)

 一坪にも満たない菜園がやっと出来上がった。やっと、というのは、古い土を掘り起こしたあと、新しい土をこれでもかこれでもかと買い足してきたからである。少しは前の土を使えばよかったのだが、野菜を作るとなればそうはいかない。腐葉土120g、園芸用の土200gばかりを使っただろうか。袋の数にすると……いやいやそんなことよりも、葉っぱものの苗や種を幾種類か植えて、水をやって、とままごとのような土いじりを愉しんだ。
 春の陽気のなか、前の住まいで同じ棟にいた人が突然訪ねてくれる。配偶者の友人とはいえ、引っ越し以来はじめての客人である。娘とその子を連れ立ってこれから越生の湯に向かうのだという。庭にてしばらく立ち話をした。
 おみやげにキュウリとトマトを置いていってくれた。小さな菜園で上手く育ってくれればお返しができる、と考える。近くにタヌキも棲んでいるのでこれを“捕らぬ狸の皮算用”とは思わないことにした。
 
  昨26日には十数年前の教え子の女性三人が予告通り職場に現れた。子供ができたのを機に出版社を辞め、二人担任制が敷かれた公立中学で教員をしはじめて2年目という者、この夏夫がアメリカ留学をするので勤めを辞めて目下渡航の準備中という者、結婚すると同時にすぐ近くの新築マンションを買い、住み始めて一年という者、いずれも生き生きとして、キレイだった。ここは若い力に肖(あやか)ってやれと記念写真をせがんだのだった。

 3月29日(火)

 28日から早朝にでかけて夜中に戻る飯場暮らしに変わっているが、今日ばかりは明るいうちに退散して本屋などに立ち寄って、8時には家に辿り着いた。風呂に入ってからも、久々にあちらこちらのサイト(たとえば元文芸記者が書いた『中上健次の思い出』など)を覗いてみた。
 随分時間があるものだと感じ入り、日頃の慌ただしさぶりを後悔する。それにしても最近のわがHP、カウント数増加に翳りが! こまめに更新しなければ、とこれも反省。

 3月31日(木)

 3月も晦日、奇しくもホワイトデーのお返しの“石”を渡し終えることができた。手渡しの二人にはその場で袋を開けさせて「どうだ?」と訊けば「わあぁ、きれい!」と無邪気な反応を返してきた。「そいつは直感力と恋愛運、だな」と効能書きのままに告げると、いかにもこの二人にはそれぞれそんなお守りが似合っていそうな気がして可笑しかった。
 あとのひとりは郵送にした。石を付けた携帯ストラップだったので封筒にすっぽりと収まるのではないかと昨夜思いついたのだった。
 ほっとした。       
       
 


行逢坂に戻る
メインページ