日  録 「暑いですね」 

 2005年6月1日(水)

 衣替えの季節となった。といっても万年同じような恰好をしている当方らにはあまり関係ない。雨もよいの天気が続くようにもなったから、いよいよ梅雨かと先走りして思うくらいだ。
 あごひげを伸ばしっぱなしにしている。まわりの評判は悪くない(?)が、一部の子供からは「ジョリジョリ」の異名を早速もらった。 半分が白いので楽しみな反面、鏡を見ながら衝動的に切り落としたくもなる。10日目くらいになる昨日はついにかみそりをあててそれこそジョリジョリとやってしまったが、例の如く切れが悪くて、そり落とすまでには至らない。あやうく残ったと言うべきか。
  これをしも、
「気楽なラディカリズム、
 極私的なラディカリズム。」(鈴木志郎康 『midnight press 28号』より)
 と思った。

 6月5日(日)

 車で通勤していると時として道に迷ってみたいという思いに駆られることがある。数日前がそうだった。この先に何があるか、どんな風景に出会えるか、などの期待も含めて、不安や焦燥やらのドキドキ感をも感じてみたい。もとより大きな逸脱はできないのだから、いずれささやかな冒険にはちがいない。そんな衝動のあとにつくづく考えてみれば、これは幼年期退行現象ではないか、と思い当たった。
 若い者への携帯メールでごく普通に使ったつもりだったが「顔文字ですか! 世の中わからないものです。」と“揶揄”されてしまった。これもまた、同じ現象かも知れない。知らないうちに染まっている!

 6月9日(木)

 幼年期退行現象といえばこのところよく田舎のかつての風景を思い出していることがある。神社の下の田んぼでは暗くなるまで草野球をやった。田んぼに沿った坂の途中には一軒の家があった。飛球がそれて家を直撃することもあった。川べりに国民宿舎ができてほどなく、その田んぼは宿泊客や参拝客用の駐車場になった。大鳥居も建った。もう何十年も前からそんな風なのに、40年以上前の記憶が浮かんでくる。田んぼを見下ろす高台に建っていた幼なじみの家もいまは建て替えられて一新しているが昔のままの状態で甦ってくるのだ。
 そこで、風景は変わるが人は変わらない、と普通とは逆のことを呟いている。

 一昨日、配偶者が徹夜して作った料理を「クール宅急便プラス超速」で義父母に送ったところ、予定の『翌日夕刻』よりも配達が数時間遅れた。待ちわびていた義父母のために照会の電話をしてむこうもやっと冷蔵庫にしまいっ放しで、営業所から持って出るのを忘れたことに気付いたのだという。一刻も早くとの思いが踏みにじられたようで大いに腹が立った。抗議してやると息巻くと、配偶者は案外と冷静で「事情をきいてみるから、やめて!」と諫める。
 今日、富良野営業所からお詫びの電話がかかってきた。すぐに替わって、傍で聞き耳を立てていた。あとで聞くと、ことのほか暑い日だったのでよかれと思って冷蔵庫にいったん保管したことが出し忘れにつながったということだった。
 それにしても、よくあんなに落ち着いて話せるな、と感想を述べると、せまい街だからどこでまたお世話になるかわからない、と言う。故郷の人だから、顔が見えるということか、と納得した。
 
 かやくご飯と魚のフライは食べ、あとの煮物類は配偶者の進言通り大事をとって捨てた、らしい。

 6月10日(金)

 台風のせいで、しとしと雨の中をときおり風が吹き抜けるという、波乱の梅雨入り、となった。むしむし感はほとんどない。

 6月12日(日)

 昨日、じわっと汗が出てきて、前の日とはちがう、やはり梅雨かとひとりごちていると、突如心臓がパクパクし始めた。これが夕方のことで以降ずっと躯が強(こわ)かった。あとで思ったことだが、あの汗は圧力が増した血液の中から絞り出された、しかるべき量の水分であったかも知れない。
 その高血圧も原因の大半は精神的なものとかつて聞かされたが、何年にもわたって繰り返されてきた「風物詩」みたいな日常でも、毎年ちがった緊張や不安をもたらすものなのかも知れない。もちろん、日頃の運動不足、煙草なども事態を亢進させるであろう。20キロ程度の荷物を持って2,30メートル歩くと息が上がるようでは、精神も何もあったものであるまい。ちとばかり、反省。
 一晩寝て、パクパク心臓はすっかり元通りになった。
「英検」監督のために朝から職場へ。その分早い帰りとなった。おかげで、自転車に乗った力也をみつけることができた。
「うしろ姿だけで、よくわかりましたね」
「そりゃ、おまえ、わかるさ」
「自転車が似合う男、ですか」
 忙しさを増してきた仕事の話などを聞いて、なかなか逞しくなったと思った。

 6月16日(木)

 ずっと雨が降っていて、気温も上がらない。これぞ梅雨寒か。
 思いがけず、母娘を前に2時間にわたって「デモ授業」をやることになり、久々に緊張した。縦に並んだ二人のうち前にいる小学6年生の生徒の目だけを見るようにしながら、わかりやすい、丁寧な説明を心がけていた。娘は背筋がピンと伸びて、授業姿勢としては申し分ない。うしろの母親も、一緒に教材を見ながら真剣に考えている。どこで“オヤジギャグ”を出して気持ちをほぐすかと計算していたがこれでは付け入る隙もない。
 後半に一度だけチャンスが巡ってきた。「ほら、ゴジラ松井だよ」と正解の数字を黒板に書いた。すると、今まで値踏みするようでもあった母親の方が声を立てて笑ってくれるのだった。娘はつられて、ふっと歯を見せる程度。こちらの緊張が、すっと遠のいていく場面だった。  
 自分による、自分のための……、となればこの種の寒いギャグの“真髄”に近い。

 6月19日(日)

 2週間ぶりの休日となったが掌並びに足の裏の膿胞が最悪で意気上がらじ。
 インターネットで治療法を中心に関連記事を漁っていると、この病気の「正体」が見えてきた。免疫系に異常を来している点はアトピーと同じらしい。ビオチンというビタミン剤がよく効き、禁煙は必須とある。腰を据えて治さねばと思い、さらに同病の人たちの体験談をいくつか読んでいった。すると、いっぱしの病人然としてきて、また滅入った。
 深夜のテレビでは、自身が作った庭を前にして丸山健二がインタビューを受けていた。早朝の二時間を執筆に当て、あとは庭作りだという。花の写真と文を集めた本は買う気にもならないが、かつて読んで感銘を受けた短篇集のいくつかをもう一度読み返したくなった。

 6月21日(火)

 夏至の日。ゆうべは暈をかぶった満月(月齢15.2)が見られた。誰かにそのことを知らせたくなったものだが、今夜は曇り空で月はどこにもない。
 元から植わっていた玄関脇の柘榴の花が咲き終わって一部実をつけ始めている。まだ細長い紡錘型だが、やがて球形に膨らんで、そして……と考えると、わくわくする。いまは鮮やかな朱色で梅雨空に映える。はじける頃は、中の粒が同じ色に染まって外側は褐色、いわば秋の色になっていくのだ。それにしても、柘榴への思い入れの強さはなんだろうか。色か形か記憶か。
 夜明け近くなって、雨が降った。

 6月22日(水)

 笑わせたいんでしょ? と小学生に突っ込まれて、まいった。その通り、としか言いようがなかった。だがこいつはなかなか難しい。芸で、言葉で、そして文章で、と種々考える過程は笑いとはほど遠い苦行の世界。汗をかきかき“熱演”する若いお笑い芸人たちが好きな理由かも知れない。

 6月24日(金)

 それまでずっと無言だったのにお釣りとレシートを受け取ってもうレジから離れる段になって「暑いですね」と声を掛けた。この間の抜けた挨拶にまず自分が驚いていた。なぜ、いまごろになって言うのか、不思議だった。
 レジの女性は、目を瞠いて、「ほんとですよね」と笑みを浮かべながら答えた。日本的な美人だが、無口で、ふだんは冷たい印象すら受ける。会話も必要最少限。そんなだから、無意識裡に、その笑顔が引き出したくて声を掛けたか。いずれにしても、真夏日のなせるワザだろう。

 6月26日(日)

 今日もまた暑い一日だった。じっとしていても汗がたらたら落ちてくる。湿度がかなり高い。東京に住む栄人からのメールの終わりに「こんな日にはクーラーはつくづく文明の利器だと感じますね。私は目下、電気代をケチってファミレスに籠城中!」とある。大いに納得しながらこちらも、風を通すつもりで開け放っていたいくつかの窓を閉めてついに冷房を入れた。それが昼過ぎのことだった。秩父地方の最高気温は34.7度だったとあとで知った。
 昨秋挿し木に成功したつるバラと、根を移植したつるバラとがそれぞれ一度目の花を咲かせ、花びらが散る頃に新芽が枝をのばし先にまたつぼみを付けるようになった。肥料をやればバラは何度でも花を咲かせるという家の光協会に勤めるMの言葉が思い出され、午後2時頃油かすを買いに出かけた。
 Mに電話で聞いたのは二十数年も前だが、つい昨日のことにように覚えている。アーチ状につるを這わせたい、挿し木でどんどん増やしたいなどと当時は欲張りなことを考えていたのだった。Mはその後奥さんを亡くし、一人息子との生活を長く続けた。一年おきぐらいに電話で話すが、神楽坂で飲もうという約束は二十年来果たせていないのだった。
 このバラにしてこれほどの記憶(物語)を背負っている、と思えばないがしろにはできない。

 6月28日(火)

 今、午前4時(29日)を回ったところで、2時間ほど前から強まっていた雨足は依然衰えていない。開け放した窓からは涼しい風がはいってくる。やっぱり、ほっとするな。晴れていればもう明るいはずの空はまだ灰色のままである。
 小栗康平監督作品『伽耶子のために』をなにげなく見ていた。関係の絶対性という言葉がなつかしく思い浮かんだ。最後まで見ていたのは清新な演技をする女優の名前が知りたかったからでもある。20年以上前の「南果歩」であった。スーパーが出るまで、見当も付かなかった。

 6月30日(木)

 今年も折り返し点に来てしまった。ついに、と言うべきか、早くも、と言うべきか、などと凡庸なことを考えていると娘が「月末はキライ。1日がいい」などと小学生並みの応答をする。好きか嫌いかで謀れば、父は断然「晦日」に味方したいのである。ピンよりもキリである。
 とまぁ、こんなヒマなことを考えていても、時は止まってはくれない。明日になれば、ピンとなる。
       
 


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