日  録 嫂の死と夏の終わり

 2005年8月2日(月)

 サルスベリ(百日紅)の花が満開を迎えている。
 庭の正面に高さ10メートルを超える立派な木が立っていて、となりに移植したモミジが霞んでしまうほどに生い茂った緑の葉の間から文字通り紅色の花が数知れず頭を出している。秋から冬にかけてつるつるの木肌に葉っぱとて一枚もなかったのにと思うと、その変貌ぶりに驚嘆する。いつまで見上げていても飽きない理由のひとつである。過日配偶者が高木用の花ばさみをとり出すから何ごとかと思ったら、家の中に飾るために花をひと枝切り取るのであった。
 開発中の、郊外型のホームセンターやスーパーのまわりの道路にも、赤や白の花が咲いている。木はまだ小さく花序の数も少ないが、なかなか堂々としている。“真夏の花”と感じるのは、今年がはじめてである。

 8月3日(水)

 午後突然睡魔が襲ってきて、授業をしながら一瞬眠りの世界に入ったようだった。とんちんかんなことをしゃべっていたに違いない。記憶に残っているのは「Y座標」のことを「ワイドショー」と言ってしまったことだけである。ここではたと気付いたのであった。なんだこのトランス状態は、と。文句も言わず聞いていてくれるひとりひとりの生徒の顔が一気に鮮明さを増して、以後眠気も吹っ飛んだのである。
 家に戻ると、5年ぶりという山本かずこさんの新詩集『いちどに/どこにでも』が届いていた。生と死に正面から向き合った最近の文業とも交叉するはずで、一編ずつ読みほどいていくのが愉しみである。

 8月7日(日)

 立秋。普通の勤め人にはごく当たり前のことだろうがこちらには、6日ぶりの休みにほっとひと息というのが実感となった。
  かねて入院療養中の嫂の見舞いに越谷へ。暑い一日だった。

 8月11日(木)

 朝、日曜日に見舞ったばかりの嫂の死の報せを受けて絶句。午前8時過ぎ容態が急変し、ためいきのような長い息を数回繰り返したあと眠るように逝ったという。小さな孫の成長を愉しみながら、静謐な日々をもっともっと送って欲しかったのに。永い眠りについた安らかな顔を見ていると、数々の恩義もまた甦ってくるのだった。

 8月16日(火)

 朝何度目かの眠りの最中に、家屋が横に大きく揺れはじめて、飛び起きた。二階で何やら物音がしたのであとで行ってみると洗濯物が桟に渡した棒ごとごっそり落ちていた。その他の異変はなかったが、横揺れは不気味な感じがする。震源は宮城沖、マグニチュードは7.8という。大きな被害は幸い報じられていないが、震度6の揺れをこうたびたび経験する人たちの不安にはおおいに同情する。もちろん、他人事ではないのだが。
 明日からは、志賀高原での勉強合宿である。高三生3人に、小論文をみてやる、と約束したが、どんな風にするかいまだ方針が立たない。たくさん書かせて、添削するだけならできるが、「ハウツー」となるとないに等しい。『小論文の書き方』などという本を数冊持っていくつもりではあるが、さて、どうなるか。
 15日嫂は骨になった。65歳、まだまだこれからだけに、悲しい別れになってしまった。

 8月20日(土)

 ゆうべ標高2000メートルの高原では、蛍と冷気、それに満月も星もきれいに見えた。それが、下界に降り来るにつれて厳しい暑さに晒された。背中が灼けるようだったので、4日ぶりとはいえ感覚に馴染むまでに時間がかかった。
 途中、激しい雷雨に遭遇した。高速道路際の電柱に雷が落ちる瞬間をも見た。やはり下界はなまなかなものではない。
 メールを受信すると、32通はいわゆる「迷惑メール」、1通だけが私信だった。大学時代の同級生が昨日急逝したという連絡だった。「美人だなぁ」と遠くから眺めるばかりの女性で、記憶の底から姿形は思い浮かぶ。これもまた早い死に、黙祷あるのみ。

 8月25日(木)

 深夜を過ぎると雨に加えて風も出てきた。ついそこまで台風が来ていると実感する。それにしても、早朝から深夜近くまでの勤務も4日目を越えるとさすがに辛いものがある。休みまであと2日を残して、はやバテ気味である。肉体の疲れというよりは、精神的な不自由さに起因しているのかも知れない。ふっと気を緩める時間がないのである。

 8月28日(日)

 昨夜11時前、職場を出た直後に娘から電話があった。雨が降っていて駅から出られないと言う。20数キロしか離れていないこちらは晴れているのに、こういうこともあるのかと驚いた。
「着くまでには4,50分かかるから、ターミナル駅に戻って、いったん外に出て喫茶店にはいるか、その駅で小降りになるのを待て」と、実感がないだけに親身ではない指示を与える。
 途中、自宅まであと10キロほどのところから突然雨域に入り、近づくにつれて土砂降りの様相を呈してきた。さてどうしたか、と多少気にしていると「駅前の○○で雨宿り中。12時閉店なので、よろしく」とのメールが入った。この驟雨は明け方まで続いた。
 今日は、ゆうべの仕事が仕上がらなかったために出勤。待ちに待った休みとはならなかったが、朝も多少遅く、ビラの原稿の仕上がりも満足のいくものとなり、精神衛生上はすこぶる“快”であった。
 そういえば、近くのスポーツジムでアルバイトをしている2人の卒業生が訪ねてきて近況を語っていった。ふたりとも24時間テレビのロゴが入った黄色いTシャツを着ていた。これが目下の制服だ、と言っていた。こんなことも“快”の理由かも知れない。


 8月31日(水)

 8月の終わりは夏の終焉だと思っている。それにしてもこの夏は、あっという間に過ぎた感がある。気力も中旬までは保ったがそれ以降は急速に弱まっていくのがわかった。
 昼兄に電話して留守だったので録音メモを入れておいたところ夜電話がかかってきた。一年に一回逢うか逢わないかだったが嫂の“不在”はこちらにも重要な欠落感をもたらす。いちばん悲しいはずの兄は「そのまま何もかもが残っているのでいなくなったという気がしない」と言う。それがまた辛いことだ。
 明日から9月。二日間の休みで気力を挽回することができるかどうか。
       


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