日  録 虫の名前は?

 2005年10月2日(日)

 
いつもよりもかなり早く起き“長袖”を着込んで高いところの柿をもいだり、モミジに絡まったサルスベリの枝を切り落としたりしていると、躯が火照って、汗が次々と出てくる。おや、ヘンだなぁ、と感じた。10月にしてこの暑さは異常であった。
 昼前のニュースで関東から西は「真夏日」でこのあとも気温はぐんぐん上がると聞いて、早速半袖のTシャツに着替えたのだった。「秩父市32.4度」は、あとで知った。“もう10月だから”という予断は、見事にはぐらかされたことになる。
 窓を開けると物干し竿に干し柿が吊されている。一年前試みに食べた柿は渋かった。見かけ倒しじゃないか、と思った。隣りの人に聞くと、渋いのもあり、甘いのもある、そんなヘンな柿の木ですよ、と教えてくれた。ことしはその人の勧めもあって20個ばかり吊すことにした。
 配偶者が皮をむくのを傍で見ながらやはりおいしそうだと一口“生”でかじってみると、それは甘い。が、すべて甘いとはかぎらず、干し柿となった次第である。半月もすれば食べられるというから、楽しみなことである。それにしても、こんな光景が見られるようになるとは一年前には想像だにしなかった。

 10月6日(木)

 朝夕は一気に涼しくなり、金木犀の香りが漂うようになった。
 2階の戸袋から動物のフンらしき物が大量に落ちている、何か棲み付いているのではないのか、というので懐中電灯を片手に調べてみた。すると、雨戸を引き出した拍子に飛び出す2つの物体! 咄嗟に、コウモリだと思った。
 しばらくして、コウモリがあんなに勢いよく、まるで鳥のように飛び立つものだろうか、と疑問が湧いた。それに躯全体が白っぽかった。その後戻ってきた気配がないので確かめようがないが、鳥の夫婦だったのかも知れない。なぜ、コウモリと思ったか、ここは自分が信じられない。
 また過日、窓の桟にヤモリの赤ちゃんがしがみついているのを発見した。家守と書くあのヤモリである。そっと近づいて、ビニール袋に捕った。が、少しヘンだった。びくりともしないのである。よく見れば、扁平になって死んでいる。
 こちらは障子戸に押しつぶされたか。身に覚えはないが、とすれば気の毒なことをした。

 10月9日(日)

 自慢の一品だがいまやその上にでーんとパソコンが乗っている机に向かうと、箪笥の上の神棚を背にすることになる。いつも背後から神様に凝視められていることになる。ここ2日ばかり御神酒の日本酒を切らしていて『琉球』という銘柄の泡盛を供えている。何とも言えずよい香りが部屋一帯にいつまでも漂っている。少しは神異がのり移ってでもくれればいいなどと虫のよいことを思ったりする。
 沖縄出身のOにもらって何年も宝物のように飾っていた『古琉球』の封を切って客人に飲んでもらったときのことがふと思い出された。このときの“まれびと”は「旨いねー」と言って何度も口に運んでくれた。つられてこちらも、たくさん飲んだ。聞くところによればその人はいま沖縄に滞在しているという。
 こんな思い出にひたるのは、はやくも秋されの一日であったからか。

 10月11日(火)

 因縁は重なるものなのか泡盛のことを書いた次の日に「やちむん」(沖縄の焼き物)の湯のみをお土産にもらった。海の色を彷彿とさせる藍色の花の絵が鮮やかである。シンプルだが、なかなかの味わいが感じられる。
 底に張られた紙片の文字「工房壹・壹岐幸二」を手がかりにインターネットで調べると、この人は「読谷村」に窯を据える40手前の若手陶芸作家とわかった。「壹」は「いち」と読み、「壹岐」は「いき(壱岐の旧字か)」であることも判明した。関連サイトを覗いていると、人気の高い作家であると知れる。
「これでお茶でも飲んで、体を温めてください」と言って手渡してくれたが、まずは泡盛を注いで、と思っている。

 10月16日(日)

 床を小刻みに突くような揺れがしばらく続いた。職場でこの日すべての仕事が終わってパソコンに向かっているときだった。廊下に出て別室にいたTと二人、どこが一番安全かな、蛍光灯の下は怖いし、などとうろうろしているうちに揺れはおさまった。ラジオの速報では、「やや強い地震」、さいたま市で震度4、横に揺れたなどの「証言」を紹介していた。さっきの体感とちがうと思いながらも、大事に至らなくて一安心だった。直後に通りを見下ろすとみな平然としていた。配偶者も、庭に出ていて気付かなかったという。
 
 その3時間ほど前、食事中に高校生からメールが入ってきた。閉め切ったシャッターの前に「なんかいっぱいあつまっていますよぉ」との連絡だった。30分前集合だったがその10分も前に「英検の受験生」たちはやってきたのだった。それは殊勝な心がけで、すぐにシャッターを開けて教室に入ってもらった。ここまではよかった。
 直後「ぼくの席がない」という者が出てきたのである。こちらの手違いによる登録漏れだった。蒼ざめた。英検に電話をすると「締め切り日以降、二回も追加していますね。その上にまたですか。今回は駄目です」との返答だった。いったん諦めかけたが「まったくこっちのミスで、受験生が目の前にいるんですよ。そこをなんとか」と粘ると「聞けば生徒さんに落ち度はないようですので、受験できるようにします。ただし、始末書を書いて三時までにFAXしてください。届かないときは、採点しません」
 
かくて我流の「始末書」を書く羽目となったのである。
 あの時は、受験できる(生徒への義理が果たせる)ならば何でもします、という心理状態だったが、こうやってつらつら考えてみると、始末書とはなんとも大仰な気がする。お上意識丸出しのかつての「英検」が自ずから思い出されてくる。

 10月17日(月)

 今朝方、たったひとつ残っていた柘榴の実が枝から落ちた。力尽きたように柘植の植え込みに乗っかっているのであった。「最後の一葉」のように“永遠”に残せるはずはないがせめて、元気にはじける姿を見たかった。
 夜半からずっと、激しい雨音と、一種類の虫の声。これが秋なのか。

 10月19日(水)

 夜、仕事中に、地震あり。震源地の茨城は震度5弱だというので、水戸出身のR女史に教えると早速実家に電話していた。「こけしがこけただけで…」と母親は自分の言葉に笑い転げていた、と報告してくれた。無事で何より、である。しばらくして、「大丈夫でした」というメールが配偶者から入っていることに気付き、何ごとだろうと慌てて電話した。地震のことを心配しているだろうと先回りして寄越したのだが、こちらはもはやそのことを忘れて別のことに夢中だったとみえる。

 10月24日(月)

 昨日は、近所の煙草屋さんを往復しただけで、終日引き籠もり状態だった。深夜近くに配偶者を仕事場まで送ったあと、この日のうちに発送しなければならなかった宅急便の封筒が車の中に残っているのを発見した。ふたたび近くのコンビニめざして車を走らせることとなった。いくつか回ったが目当ての「クロネコ」がない。諦めて家に戻ったのが12時ちょうど。テレビをつけると、山本かずこさんの新詩集『いちどにどこにでも』がBSブックレビューで紹介されていた。
 この日夜、思いがけず電話をくれたひとがミッドナイトプレスの岡田さんと山本さんであったのだ。外部との唯一の交信と言える。引き籠もりの我に、たまには日なたに出てこい、と誘ってくれる。一も二もなく応諾するが、それにしても由縁の一日と感じた。

 10月25日(火)

 鉄製の庇の桟、その破れ目から高らかな声で鳴き交わしながら二羽のスズメが頻繁に出入りする。警戒しながら外をうかがう姿には何やら悲愴感が漂っている。巣作りかと思えばいまが秋とは思えないような成り行きで、こちらは、いつか覗いてやろう、などと少年みたいな心持ちにもなる。
 かたや、雨戸の上には、アシナガバチが数十匹身を寄せ合っている。あたたかい陽射しが差せば、何匹かが庭を飛び回るが、天気の悪い日は終日じっと動かずにいる。すぐ上には大きな巣があるが、そちらへはもう戻れない事情があるらしい。この夏一仕事終えた働きバチにはまちがいなく終焉の冬がやってくるのか。共存を決めた日にはこんな姿を見るようになるとは思いもしなかった。

 10月27日(木)

 出勤途中に、大きなショッピングセンターの広い駐車場の一角で“警備員”の卒業生を見つけた。このあたりで働いているという事前の情報を得ていたので、制服姿で車の間をゆっくりと歩き回るうしろ姿に、もしや、と思った。振り返ってくれないかと目を凝らしてしばし眺めていた。その時は、どんどん遠ざかるのみでついに顔を見せなかった。そこで、うしろ姿が消えた出口の近くまで車を回し、間近に見てやっと確認できたのだった。窓を開けて手を振れば「何かご用ですか?」などと言いながら近づいてくる。「なに言ってんだ。オレだよ」 やっと向こうも気付いてくれた。
 22、3の年頃の娘だが、彼女の友人の語るところによれば、一年ほど前まではさまざまな試練を受け、いっとき行方がわからなかったこともある、が、いまはもう本来の自分(体操の選手だった)を取り戻して、スポーツインストラクターとしても働いている、という。事前の情報とは、そういう類のものだったが、当の本人とはそんな立ち入った話をするべくもなく「元気そうでよかった」と言って別れた。

 10月31日(月)

 約20度、 この一ヵ月の温度差である。随分寒くなったものである。
「カマキリが窓にしがみついている」と叫び出したので行ってみる。似ても似つかないので「なんでこれがカマキリ?」と言い条、では何という名前の昆虫だろうと首を傾げた。イナゴ、コオロギ、キリギリス、バッタ……と知っているかぎりのものを反芻しながら、あの童謡がうろ覚えに口をついて出るからおかし。マツムシは「チンチロリーン」、スズムシは「リーンリーン」だったか。
 小さな頃スイッチョと呼び慣わしているものもいたが、もはや実体は不明である。インターネットで調べると、これはウマオイのことらしい。寒さを逃れて(?)家の中に紛れ込んできた虫の名前は「アオマツムシ」であった。鳴き声を聞くこともなく外に逃がしてやった。       
       


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