日  録 冬隣の温度差

 
 2005年11月3日(木)

 思いがけず休めることになったので午後、高倉の獅子舞を見学に行った。地元の小・中・高校生が何ヵ月間も練習を積んで、いくつかの舞いを神社の境内で披露する。鶴ヶ島市の無形文化財に指定されている伝統芸能である。同市に住んでいるときは一度も行かなかったのに、今回はなぜか見てみたいと思った。
「獅子舞は“ササラジシ”ともいわれ、獅子が舞うことを“クルウ”と言います。この舞は、遠い国から訪れた強力な神が、ムラ人の幸福を守るために、悪霊・悪疫を退散させてくれる芸能ですが、ムラ人にとってはこれは五穀豊穣感謝の行事でもあります」と案内書にある。
 獅子が激しくクルウと頭の飾り紙が地の砂を掃き、一枚、二枚とその弊紙が剥がれ落ちる。拾って家に持ち帰ると「交通安全」「家内安泰」などの御利益があるという。拾いはしなかったが、若々しい力を感じ取ってきた。
 毛呂山の出雲伊波比神社では、900年続く伝統行事「流鏑馬」が行われたそうである。乗り子(高校生)の放った矢が的を外れて見物人に当たったとニュースを聞いてはじめて知った。
 忘れかけていた秋祭り、その真っ最中ということであった。

 11月6日(日)

 朝、高速経由で成増のミッドナイトプレスの事務所に行った。山本かずこさんが「山本小月(さつき)」の筆名で出された『魂は死なない、という考え方』(発行・ミッドナイトプレス、発売・星雲社)について話を聞き、また感想を語るためであった。
 この本はスピリチュアリズムの入門書(読書案内)であるとともに、いくつもの偶然(不思議な暗合)に導かれた著者自身が全国のゆかりの地への旅を重ねながら「ご先祖様」のたましいを探り出す「物語」としても読める。ついに「守護霊=前生」に辿り着くところで思わず膝を打つようなスリリングな展開をみせる。
 誕生のいきさつなどを聞きながら、あっという間に2時間近くが過ぎていった。久々に逢う岡田さん、山本さんと「いま」を共有できる幸せがあと押ししていたせいかも知れない。話の内容が後日活字に起こされて雑誌に掲載されるというのも、また愉しみなことである。
 
 帰宅後、2日前から滞在中の札幌の義妹が4時過ぎに帰ると知って、お土産を買いに「蔵づくり」に向けて車を走らせていると、激しい雨が降りはじめた。この雨は、夜になっても止む気配がなかった。

 11月7日(月)

 ミッドナイトプレスを主宰する岡田さんは「いま大乗に生きるとき」と思うそうだ。
 そんな話を聞いてしばらくあとに、歴史の教科書で習ったきりの「小乗から大乗へ」という言葉を、深い意味も分からず座右の銘にしていた時期があったのを思い出した。オウムが社会の前面に出てきて「大乗云々」と喧伝し、人々の日常に揺さぶりをかける何年も前のことだ。
  きっかけは仕事への関わり、人への対し方に疑問を感じ、ここで軌道修正しなければと思ったことだった。小異を捨てて大同につけ、などという言葉も同時に浮かんだが、これは垢にまみれていた。「大乗」と思い決めれば随分楽になったような気がする。もっともこちらは人への恨みつらみが消える程度のそれこそ小乗的な処方箋に過ぎなかった。
 翻って岡田さんのそれは「公器」を携えた人の使命感に裏打ちされている。

 11月11日(金)

 魔除けですよ、と言って「円形の石」をトルコ旅行から戻ってきたTがくれた。“人差し指と親指で作る輪”ほどの大きさで全体はこい青紫色だが、なかに黒、スカイブルー、白の三重の彩色が施されている。これは、鳥の目の形象かと思う。古代からの習俗に根ざしたお守りででもあるのだろうか。
 光りにかざしてみると、鮮やかな青色に輝き出す。携帯のストラップにはいささか重すぎるので、“鳥の目”を北東に向けて、とりあえず鴨居につり下げて置くことにした。
 
  NHK「ラジオ深夜便」で夫馬基彦さんの話を聞いた直後に「緑色の渚」の初出誌が本棚の上の、一番目につくところに無造作に乗っかっているのを発見した。何かの由縁にちがいないと早速読み始めた。旅先で出逢った女性との、短いが濃密な交歓が語られる。香気が充溢した文章を久々に堪能した。

 11月13日(日)

 昨12日に木枯らし1号が吹いたという。去年よりも一日早かったそうである。日録によれば去年はその前の年よりも4日早いということだったから、年々少しずつ早まっていることになる。こちらは例年よりも何日も遅く灯油を買いに走った。ストーブも一台新調した。冬が確実に近づいてくる。

 11月17日(木)

 日中は、ひなたと日かげの温度差がかなり大きくなった。
 出勤途上にしばしば立ち寄るショッピングセンターで、広い駐車場を巡回中の警備員姿の卒業生にふたたび逢った。建物の蔭になったところを歩いてくるので、「こんな寒いところより、あの、陽の当たる場所を回っていればいいじゃないの」と“忠告”すると「さっきまであそこにいたんですよ」と陽光が溢れる南面を指差した。
 親元を離れて暮らし始めたばかりと聞いていたので、かねて用意しておいたお守り代わりの自然石をプレゼントした。その場で袋から取り出して掌の上で転がしながら「すごくうれしいんですけど」と何度も喜んでくれる。図に乗って「毎朝拝みなよ」と軽口を叩いたが、こんな安物で申し訳ない、と心の中で呟いた。ふと彼方を見遣ると、上司らしい初老の男性が、われら二人をじっと見つめている。一部始終を観察されていたか、勤務中に悪かったか、などと考えつつ会釈をすれば、にっこりと笑ってくれる。警備会社の中でもっとも若いと思われるこの卒業生は、娘のように可愛がられ、大事にされているにちがいないと、なぜか確信したのだった。
 やはり、日溜まりは恋しくて、あらまほしきもの、である。

 11月19日(土)

 ここ一週間ほど掌がすべすべとして自分のモノでないような嬉しい感覚を味わっている。足の裏まですべすべ。かつては、いったん膿胞が消えてもまたすぐに出てくる気配(皮膚のごわごわ感)があったが、それがないのである。すわ、完治か、と勇み立つ。
 いまや「奈美悦子」の名前を出せばたいがいの人は分かってくれるようになったこの“病気” だけに、 配偶者は「そんなこと言って! 病院にも行かず」と半信半疑である。去年の冬はどんなだったか、思い出そうとしても思い出せないが、春先から夏にかけて「免疫系」が異常を来すのか(素人診断)周期的に骨の痛みと掌の荒れに見舞われた身には、まさに天国である。
 朝どりの野菜をとなりのTさんがほとんど毎日のように届けてくれる。Tさんご夫婦は趣味を通り越して、野菜作りの達人である。聞けば、ご主人のお父さんが農事試験所の研究員だった、という。その血を受け継いでいるにちがいない。なかには、珍しいものもある。食べ方まで教わって、その通りに作ったものが食卓にのぼると、これがまた旨いのである。今日も、ヤーコンやウコンを持ってきてくれたそうである。まったくTさんのおかげで、野菜の素晴らしさを見直す一年だった。
 こんな恵まれた環境にいて、病気の一つや二つが治らないはずはないと、ここで、一席ぶたずにはいられなかった。

 11月21日(月)

 算数の周期算を解いていて、1月1日 と12月31日の曜日が同じであることを“発見”した(ただし、平年の場合)。
 前年のを元にしていろんな日程表を作るから曜日がひとつずれることは知っていたが、そこから元旦と大晦日の曜日が同じだという発想にまで届かなかった。これは意外な盲点で、早速生徒の前で披露した。「ヘェー」という顔で頷いてくれた。
 次に、数学科に在籍する大学生に「おい。知ってたか?」とメールした。どんな反応をみせるかたのしみだったが、ついに返事は来ない。実直な男だから「それが、どうした!」という類の冷ややかさは見せないだろうと考えたのだが、あまりのトリビアさ(暇さ加減)に、あるいは呆れたのかも知れない。
 深夜近くになっていたが、卒業生の女子高生に同じ内容のメールを送ると、こちらはすぐに返事があって「わぁー、本当だ。すごーい」と驚きの声をあげてくれた。「もうすぐ試験。数学はがんばります」と添えられていたが、勉強の最中にとんだ迷惑メールであっただろう。

 


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