日  録  せんどする?  

 2006年2月2日(木)

 いつの間にか2月になっていた。一昨日、昨日と続いて、久々に雨が降った。さすがに夜には止んで、今日は朝から晴れ渡っている。これで風がなければ、春の陽気、となるのだろう。侘助の花がやっとほころびかけていた。もはや時期も遅く、白もくすんで、可憐さはない。移植する前の一昨年(10月頃だった)はあんなにもたくさん、きれいに咲き揃ったのにと、以来特段の手入れをしてきたわけではないが、少し口惜しい。

 2月3日(金)

 深夜、庭の土の上を歩くとパリパリと音がした。早くも霜柱が立っているのだった。この冬一番の寒さというのを、この音で実感した。

 2月5日(日)

 浅い眠りのなかで、いつしか田舎に戻っていた。畑に車を停めると家の中から母が出てきて、「卒業はできるのか」などと聞くから、これもその直前に現れた夢の一場面を教えた。戻ってきた答案が思いの外いい点数で先生に褒められたのだった。
 若い姿の母は、そうか、そうかと喜んで、離れの厠に入ろうとする。こちらは、就職活動もしなきゃならんなぁと思いながら、母を呼び止めた。「じゃぁ、これから誰を迎えに行けばいいの?」
 目の前にいる母、その人を迎えに行こうとしていたのではなかったのか。混乱する頭のまわりで、配偶者からの電話が鳴った。仕事が終わったから、迎えに来て欲しい、という。これは現(うつつ)、つまり何年来の「日常」である。
 このほど、『焼身』で読売文学賞を受賞した宮内さんから返信メールが届いた。
「言葉の力を回復させたいと思う。地上の争いや、この無惨なほどの荒廃ぶりは、言葉の弱りにも原因がある。すべてが繋がっている。言葉の力を甦らせることは、もう笑いごとではなく、わたしたちすべての急務であると思う。 」と書いておられた。その通りだと思った。また、文学の神様はまだいるんだなぁとも述懐される。神様、 これも信じる! 宮内さん、本当におめでとうございます。

 2月9日(木)

 落ちましたぁー、とのメールで起こされた。県立高校前期試験の合格発表日だった。5,6倍の“難関”だから、むしろ落ちて当たり前の試験である。かつては推薦入試といわれ、二年前から前期入試と改められた。中身も、従来面接だけだったのを、学校独自の問題や小論文、県教委が作る「総合問題」を課すようになった。これで、ほとんどの高校は定員の25パーセントを合格させる。このあと後期(学科と面接)試験があるのだが、前期で不合格となった生徒がそのまま志願すれば、前期5倍の倍率は、後期は1.33倍となる。6倍の場合は、1.66倍である。一回で済むところをなぜ二回に分けるのか、とりわけ大量の「不合格者」を出すことに何の意味があるのか。このことを考えると、「お上意識が根強い埼玉県め」と悪態をつきたくなる。県立高校に受かると必ず入学しなければならない、というのもその一例である。極言すれば「ゆとり教育」とはシステムをいじり回すだけだった。
 折りしも、新年度の学習指導要領が「言葉の力」へと方向転換すると報じられた。「ゆとり教育」と実質的に訣別するのだという。この県も変わるだろうか。

 2月12日(日)

 ワープロに頼っていると漢字が書けなくなるとはよく言われることだが、この間などは「宵」という字が思い浮かばなくて往生した。オオマツヨイグサに漢字を当てて、蘊蓄を傾けようとしたのだが、かえって面目をなくす結果となった。
 昨日はまた、女子生徒が「ゆせん」と言うので、これははじめて聞く言葉だ、と思った。いまどきの中学生は日常的に使っているらしいとわかって、おおいにショックを受けた。  
「湯煎」=容器を直接火にかけないで湯のなかに入れて熱すること、と辞書にはちゃんと載っている。そうか、と納得したが、あのとき咄嗟に浮かんだ漢字が「湯栓」だったのは、厳寒のこの冬に重宝している湯たんぽからの連想とはいえ、想像力が病み衰えていると反省した。
 念のために、どういう場面で使うのかとある女子高生にメールで問い合わせたところ「お菓子を作るときとかに、何分間湯煎しなきゃ……と、その程度です」と慰めつつ教えてくれた。道理で男子生徒がポカンとしていた訳である。
 ともあれ、これは、ワープロのせいではあるまい。

 2月17日(金)

 郵便物をどこで出すか。どこで出しても届かなかったためしはないはずだが、確実にそして早くと思えば、出す場所を選ばねばならない。迷いながら考えたのは「このポストは信用できるか」ということであった。集配局の前のポスト、幹線道路沿いのポスト、コンビニのポスト、近くの雑貨屋のポスト、だいたいこんな順番で信を置いていることに気付いた。一ヵ月に2度ほどしか利用しないのに、なんという常識的な思考だろうか。もはや強迫観念に近いものかも知れない。
 夜半まで雨。前々日、前日と比べて夜は相当寒かった。

 2月21日(火)

 こちらの都合で送ることができないとき、深夜近い時刻に、配偶者は約8キロの道のりを自転車で職場に向かう。帰路、自転車だけを車に積んで家に戻る途中、8キロはやはり長い、せんどするなぁ、とついこんなことばが口を衝いて出た。
 田舎では、飽きるとか、退屈するとかの意味でよく使っていたような気がする。せんどは、おそらく千度と書くのだ。千回も同じことを繰り返せば、誰だってくたびれるし、飽きてくる。そこから日常語になったのだろう。
 8キロというのは、ついそこのスーパーまで、とは違って、街を越えてまたひとつ次の街へ、という感覚に近い。大型トラックが行き交う幹線道路に沿って数キロ走り、高速道路上の跨線橋を上って降りて、団地を抜けて、と風景は変われども、時間を気にしながらひたすらペタルをこぐ時間は、“せんどする”以外のなにものでもないだろう。

 2月23日(木)

 せんどするということばを思い出したついでに、『全国アホ・バカ分布考』(松本修著、新潮文庫)を引っ張り出してパラパラとページを捲っていった。これは「はるかなる言葉の旅路」と副題がついた極めて真面目な、学術的な本であるが、著者が同郷で「せんど 」こそなかったが田舎の言葉、つまり近世上方語をいくつか列記している。「しまつ(始末)しなよ」と言えば「倹約せよ」ということだったり、「あんたには、こうとな服や」は「地味である」の意となる。これらも小さい頃しょっちゅう耳にしたのであった。
 いま再びこんな形で出逢うと、いい響きだなぁと思えるから不思議だ。

 2月26日(日)

 2週間ぶりの休みとなった今日は、朝から本格的な雨である。駅まで娘を送ったあと、かねて排水が滞り、数日前にどぶ浚えをした下水の首尾を見に裏に回ると、勝手口付近で猫が死んでいた。大きな黒猫である。ゆうべニャーニャーと鳴き声がするので、中からとんとんと合図を送ってやったのだと配偶者は言う。その猫にちがいない、何を言いたかったのだろうか、可哀相に、と顔を曇らせる。庭に埋葬することもできるが、一応と思い、市役所に電話をすると、宿直の女性が「取りに伺います」というので、段ボール箱に入れて、とりあえず冷たい雨から避難させた。配偶者は、パンジーを摘み取って、箱の中に撒いていた。

   
 


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