2006年3月1日(水)
昨日、今日と続けて、庭の土を買いに出かけた。40gの培養土を4袋と14gの黒土を2袋、これだけでざっと188gである。他に鶏糞、消石灰の袋も買った。
早速、掘り起こした庭の穴(柘植の木の根にぶち当たってそんなに深くは掘れなかった、と作業にあたった配偶者は言う)に入れたが、まだスカスカの状態である。
2日続きでホームセンターの園芸コーナーに足を運んでみると、平日の昼下がりということもあって、われらよりはもう少し高齢の人たちが多いことに気付かされた。店内も、春を待ちかねるように、日一日と賑やかになっている。
つられて、男爵の種いもを買うことになった。5、6個ばかりだが、二つに切って植えると12本のジャガイモの木になる。そこから約10倍のジャガイモが、とは店に張り出されていた宣伝文句の一節だが、こちらは早くも収穫した気分になっているのだから、能天気なものである。
ふと 「風水の無事」という言葉が浮かび、農業に携わってきた先祖たちは、この一事に日々の祈りを捧げてきたのではなかったかと思った。脳天気さに“反省”を迫られている矢先、女郎花(おみなえし)の種袋の説明書きを読みながら「いま植えても、花が咲くのは来年の秋だって!」と配偶者が言い出した。
「これじゃ、植えたことすら、忘れてしまう」
秋の七草の女郎花にして、この悠長さ、である。紙袋には、発芽率70パーセント、とも書かれている。
うーん、風水の無事、ともう一度呟かざるを得なかった。
夜は本格的な雨が降り続いた。外で、ときおりモノの動く気配がした。怯えたりはしないが、人か獣か、その声を聞き分けようとしていた。雨のことを忘れる瞬間であったのだろうか。
3月3日(金)
先月はじめ、結婚祝い用に花瓶を直送してもらった信楽の「小西陶器輸出商会」に御礼をかねて電話をすると、若い声の、のんびりとした口調の主人らしき人が出て、抹茶茶碗、いい物がいくつか入荷しました、と言う。
「ご希望の緋色のやつで、普通に買えば倍以上するのですが、今回安く手に入ったので、ちょうど写真付きでメールしようと思っていたところです」
去年の秋に注文を出したが、その時は予算の折り合いが付かず、引き続き探してくれるよう依頼しておいたのである。あれから4、5ヵ月経っているから、こちらの示した予算内ではとてもみつからないか、こんな小さな商いのことなど忘れているか、どちらかだろうと思っていた。それだけに、途端に嬉しくなった。これでやっと、十数年来の思い(茶道を嗜むある人に使ってもらいたいのである)も遂げられる、と安堵した。
ここは、仕事ぶりまでのんびりしている。(花瓶の)請求書は? と訊くと、へへー、まだです、と言ったきり、抹茶茶碗の話を始めたのだった。むこうとこちらでは流れる時間がちがうのだろうか。
少しは見習わねばと昼には考えていたが、夜の帰り道で、パトカーに停められてしまった。
「なぜだと思いますか」
マスクをした若い警官が傍に来て、こんな聞き方をする。はて、帰りを待つ配偶者に「あと5分で着く」とついさっき携帯から電話をしたから、それかと一瞬思ったが、ちがうようである。飲酒? と訊くとこれも首を振る。急いでいるのである。出勤時間(配偶者の)に間に合わなくなる。なぞなぞをしているヒマはない。そんな気持ちを露骨に示すと、
「踏切、一時停止してません! 罰金9千円、減点2点」
数秒前、いつもは気持ちだけは止まる踏切を、左右は見たがどうせ単線、来やしまい、と突っ走ってきたのである。それほど急いでいた。
事故でなくてよかったじゃないの、職場には電話しておいた、と長く待たされた配偶者。20年近く、毎日のように車を運転していて「はじめての違反」というところにこちらは価値を見出した。これまで「無傷」だったのが、むしろ不思議に思えたからだ。
昼と夜はやっぱりちがうな。
3月5日(日)
高校生になってすぐ、国語の先生が配ってくれたプリントにのっていた評論文の書き出しが「尾籠な話で恐縮だが……」という、たしか小林秀雄の文章だった。そのときはじめてこの言葉を知ったのである。以来40年、いつか使ってやろうと身構えてきたが、そんな機会はなかなかやってこなかった。
ただ、使わないまでも、たびたび口の中でもごもごと呟く場面は何度も訪れ、そのたびに、手書きされていたプリント(当時はわら半紙)や大学を出たばかりだったが貫禄はあった中村先生のことが鮮やかに思い出される。記憶の中で反芻されるためだけに存在している言葉、つまりは、そんな風であった。
今年はなぜか、近所の雑貨屋でもらった昔なつかしい月めくりカレンダーがトイレの中にある。入るたびに左肩の農事暦(農、趣、花、釣の四項目)や日付のまわりの書き込み(十二支十干、六曜、節気、記念日)を読む習慣がついてしまった。
3月20日のところに「社日」と書き込まれていて、ここ何日か気になっていた。調べてみると、
〔「社」は産土神(うぶすながみ)の意〕雑節の一。春分・秋分に最も近い戊(つちのえ)の日。春は春社といい、地神をまつって豊作を祈る。秋は秋社といい、収穫を感謝する祭りを行う。
とある。9月のところまで捲ってみると26日の下にやはり「社日」(しゃじつ)と書いてあった。戊(つちのえ)の日とは、大地のエネルギーが更新される日、でもあるのだろうと想像するだけで易・五行の解説本にまで手を伸ばす元気はなかった。これで十分疑問は氷解したのである。
代わりに、「尾籠」を調べると、
〔「おこ(痴)」の当て字「尾籠」を音読みした語〕 (1)わいせつであったり不潔であったりして、人前で口にするのがはばかられること。きたないこと。また、そのさま。(以下省略)
とあった。すると、「トイレの中のカレンダー」などは「尾籠な話」と言えるかどうか、用例に自信がなくなったのである。
3月7日(火)
昨日、詩の雑誌『midnight press 31号』(季刊)が届いた。詩の最前線たるべく8年にわたって刊行を続けてきた、真っ向勝負の、また端正な雑誌だと思うが、この号をもって休刊になるという。紙面を通して、あるいは肉声に接しながら、岡田編集長たちの奮闘ぶりを見てきた者としては、再生・更新に向けての“一時休止”であることを願いたい。読めばこの号は、未来に向けての確かな足取りさえ感じられるのだから。
3月12日(日)
一週間ほど前、イタリア・フランスをめぐる旅(卒業旅行)から戻ったTが、着火口を開くとエッフェル塔とモナリザがライトアップされるという、めずらしいライターを買ってきてくれた。それだけにとどまらず、1、2秒後に炎の色が緑色に変わっていくので、二度びっくりする。こちらの遊び心を恃みに選んでくれたのだろうと思えば、つい口がほころぶものの、貧乏旅行のはずなのに(失礼!)余分な気遣いをさせたと恐縮もする。
きのうはまた、祝賀会のあとの二次会にわざわざ駆け付けてくれた教え子がアフリカ・ケニアのお土産をくれた。卵形の石で帯状に線形の模様が彫り込まれていた(「折々の写真」参照)。大地のエネルギーが感じ取れるかも知れないと掌のなかで握りしめてみた。ひんやりとした冷たさが、臓腑に沁みるようではある。
かの地ではお守り代わりにしているものかと推量するが、ここはひとつただしき由縁を知りたい誘惑に駆られる。
さりながら、4つほど歳が離れているはずのふたりの家はごく近所だとはじめて知らされ、いわば背中合わせに育った才媛がともに、思い入れを込めて接し続けた生徒だったとは。
こちらは、奇しき縁とでも言うべきか。
3月16日(木)
若者らがすなるミクシー、われもまたせむとて……はじめて20日あまりが経った。「直接の友人」を「兄弟」だとすれば、「友人の友人」は「いとこ」みたいなものかも知れない。幼い頃生き別れた遠い親戚を捜すような気分で、おそるおそる“クリック”していくと、意外な人に行き当たったりする。
どうも若者ばかりではない、とわかってからは、その昔どこかで袖振りあった「多生の縁」の人に巡り合えることもあるかも、などと思うようになった。それが「恋人」だったら、なおいい。いよいよクリックがさかんになるわけである。
昨晩、踏切脇の、線路に沿った側道に息を殺したように潜むパトカーを発見したとき、なぜかこの“クリック”のことが思い出された。一時停止をせず踏切をわたった確信犯のわれは、彼らにとってはまさに「恋人以上」の存在だったのだろう。「ヒット」した、と小躍りして喜んだにちがいあるまい。
こたびは、パトカーの前で、丹念に停まって見せたのは、言うまでもない。
3月21日(火)
彼岸の中日。昨年夏に逝ってしまった嫂のお墓参りを、と思い立って、昼過ぎに出立する。覚悟していたものの、何ヵ所かで渋滞に出くわし、甥の家に着いたのは3時間後である。家探しのためにうろうろしていた時間を加えると、一時間余分にかかった。
「王ジャパン」の9回表の攻撃を聞きながら、本日サッカーの試合が組まれているらしい埼玉スタジアムの前をのろのろと進んでいたのだった。その裏の「追撃」が1点どまりだったことは、あとで知ったが、こうなると、「カストロのキューバ」も応援したくなる。
岩槻、越谷、春日部三市の境界にある霊園は、田んぼの中である。さすが関東平野のどまんなか、さえぎるものが何もない。
お墓の掃除が終わった頃には、朱色の太陽が地平線と接するような位置にあった。東向きに立てられたお墓に向かって手を合わせると、その向こうの太陽をも拝むかたちになる。西方浄土、とつい口ごもると、そばの甥も、そうだね、と頷いていた。
3月26日(日)
木蓮の花が開き、レンギョウが黄色い花をつけはじめ、黄水仙が繊細にゆれて……とここまではいつもの春だが、椿の花が満開の様相を呈してきたのにびっくりした。一年前にはこんなに咲き揃わなかったはずだ。“椿といえば寒椿”という固定観念があっただけに、驚きもなお新鮮である。
また、 昼前になると、背中に白い横縞をつけた小鳥が二羽やってきて、梅の木やコニファーの木に登りはじめた。餌あさりに余念がないのか、ガラス戸を開ける音も気にせず、幹をつつきながら木登りを続ける。図鑑で調べるとキツツキ科のアカゲラのようである。一夫一婦制とあるから、巣を作る前の若夫婦だったのだろうか、とあとで思う。
このアカゲラを、地面から見上げている一羽の小鳥もいた。ひとまわり小さいからだをした、胸が緑色の上品な鳥である。これはひょっとしてウグイスと一瞬考えたが、こんな目に付くところにいるわけはないし、“地を這うウグイス”などは聞いたこともない。あの有名な鳴き声も聞けなかったから、おそらくちがうのだろう。
それにしても、この春に、この孤高、と名も知らぬ鳥に感激した。