日  録 癒しの花々

 2006年4月2日(日)

「花ちらしの雨」などという言い回しがあるのかなぁ、などと考えながら家を出た。一年前の頼み事を覚えていてくれた夫馬基彦さんが、正午・柳瀬川の花見に誘ってくれたのであるが、ちょうど、“午後から雨”の予報が出ていた。もしすぐにも降り出せば、残念な結果に終わる。気まぐれな自然に対して、その時、どんな言葉を掛ければいいのか、と思ったのである。
 間近から見上げる土手のソメイヨシノは、引き締まった花びらが清楚な乙女のようで、好ましかった。夫馬さんたちとも、はじめてお逢いしたという気が少しもしなかったのは、不思議であった。その文体同様艶麗な話に引き込まれたせいかも知れない。
 3時間ほど経って、ぽつぽつと雨が降り出してきた。よく持ってくれたと天の差配にここは感謝すべきであろうと思った。

 4月6日(木)

 所用で2時間ほど出かけたほかはずっとベッドに寝転がっていた。
 朝のニュースで花粉・洗濯とならんで関節痛の情報を流していた。天気に左右されるとは思うが、この時期、公器で喧伝するものなのか、とびっくりした。それほど悩まされている人が多いということだろうか。こちらは、ゆうべ帰りがけに職場で、段ボール箱をまとめてひもを掛けたせいもあるのか、胸と肩の関節がすっきりしない。
 こういう日は、雨音が聞きたくなる。それも、土砂降りがいい、と身勝手なことを思っていた。

 道路を隔てた前の畑で草むしりをしていた配偶者が、ジャガイモの芽が出た、と教えてくれた。シートを捲ってみると、畝と畝の間にいくつもの葉をつけた芽が顔を覗かせている。小さいながら形はたしかにジャガイモのものである。可憐なものだな、と感心していると、半月ほど前に「出た、出た」と騒いで「畑作指導」を仰いでいる隣のTさんに、これは雑草、とたしなめられた配偶者は
「私が、写真を撮るから、あなたは撮らないで。自分の手柄のように、書かないでよ」
 と釘を差す。  
 それなのに書くのは、畝に植えていなかったのを不審に思ったからだ。たいがいは、光を存分に採り、水捌けをよくするために、畝に植えるものなのだ。この程度は、祖先が百姓だから、ぼくも知っている。
 義妹との電話のやりとりを傍で聞きながら、この疑問が解けた。
 成長とともに畝を崩して、茎が倒れないように土で支えていくというのである。(あとで聞いたところによると、霜の多いこの地では、両脇の畝が霜除けにもなるらしい。)
「新しいな」
「こういう植え方は珍しいらしい」
 Tさんのお父さんは東北の方で農事研究に携わっていたらしいと聞いたことがあり、これは地に足の着いた農法かも知れない。それにしても、どこの世界にも独創はあるものだと感嘆させられる。寝転がっている場合じゃなかった。

 4月7日(金)

 4月はやはり旅立ちのときであるのか。
 今度高校生になる生徒が、制服が届いたので着てみましたと「セーラー服姿」の写真を送ってくれたり、潮来で研修中の新社会人からは「そろそろ辛くなってきましたが、頑張ります」と返信メールがあったりする。
 いまひとりは、卒業を機に転居、一時間の通勤も苦にせず、学生の頃よりも気を楽にして、がんばっている、との便りもあった。そのなかで新しい旅立ちを見送るこちらの寂しさを、さりげなく励ましてくれたりする。
 桜花が咲いたあとは、憂鬱の虫、か。

  4月9日(日)

 野球選手の金本(広島〜阪神)が904試合連続全イニング出場を果たし、世界記録を塗り替えた、という。カープファンとしては、慶賀の至りである。
 同居している娘は「365日一日も外出しない日はない」という誓いを立てて、事実、仕事のない日曜日なども英会話教室や美容院の予約を入れ、また、友だちに逢いに出かけたりと、“連続記録”が続いている(何日かは知らない)。
 家でのんびりする日があってもいいんじゃないか、と忠告しても「自分に課した義務みたいなものだから」とへんな理屈を言って、突っぱねてきた。
 今日も何か予定を入れていたが、昼寝をしたばかりに、外出のきっかけを逸したようだった。どうして起こしてくれないのか、と詰め寄るから「たまには家でのんびりしろ」といつものセリフを返してやった。すると、
「こうなったら、コンビニへだけでも、行ってやる」
 と、半ば本気で言うから、思わず笑ってしまった。傍で聞いていた配偶者も「漫才のネタだね」と付け加える。
 数時間後、自分でもこじつけがましく思ったのか、照れながらコンビニへ向けて「外出」した。これで記録は続く、という執念のようなものを滲ませていたのが、こちらには可笑しかった。こんなバカな頑固さは、父親にも心当たりがないわけではなく、まぁ責任の一端を担っているということか。

 4月13日(木)

 一年間オーストラリアに滞在していた女子大生が訪ねてきた。この4月からまた大学に復帰している。聞くところによるとかの地では、3ヵ月間語学学校に通っただけで、あとはアルバイトをしながら、国内や周辺を旅行していた、という。あっという間に一年が経った。
「太りましたが、中身は変わっていないです、残念なことに」と言うから「経験が生きてくるのは、これからだろうなぁ」とコメントした。
 相手できない時間ができたので、職場のパソコンでミクシーのマイページを閲覧してもらっていた。しばらくして戻ると、「勝手に“友人”に追加し、承認しておきました」と言う。そんなイタズラ心は大好きだが、それにしても「君もミクシー?」と驚かされる。
 帰り際に「滞在記を書いたら?」と勧めてみた。彼女はジャーナリスト志望なのである。
「コメントいっぱいしてやるから」
「それがしたいんでしょ?」

 深夜を過ぎてそのミクシーに別の女性からメッセージが届いた。言葉の使い方についての質問だった。すぐに返事をすると、また返事。聞きたいこともあったので、再返信。そんなことを5回も続けてしまった。さながらチャット状態である。むこうも“せんど”したのか、「早く寝てくださいね」と最後のメッセージに書いてきた。

 この日は期せずして『ミクシーデー」となった次第である。

 4月16日(日)

 昨夜、帰りの準備を始めた頃、かつての塾生など男女4人が職場に現れた。みな同い年で、久々の“同級会”のあと立ち寄ってくれたのだった。
 昨年暮れに夫の赴任地上海から戻って来たというAは、いま4ヵ月と腹を愛おしそうに撫でた。かつてのやんちゃ坊主Sも先頃主任に昇格して、部下8人をしたがえる働き盛りの風貌である。もう一人のキャリアウーマンEも差し出された名刺を見れば大手不動産会社の「主任」とある。いまひとりのKは、8年務めた会社を辞めて、新しいスタートをはじめたばかりだという。
 彼らは、32歳。それぞれの近況を聞きながら、いまが旬、進化する世代だなぁ、と感慨ひとしおだった。

 4月17日(月)

 いま空き地などに自生する草花が元気である。風はまだ冷たいが、黄色や紅色の花を咲かせて、悠然としている。煙草を買いに行ったついでに、そのうちのひとつ、もとより名も知らぬ紫色の草花を一茎引き抜いてきた。昨日、車で走っているとき、あれが欲しいと、配偶者がぽつりと漏らしたからである。われの与り知らぬ思い入れがあるようだった。これにはいつになく喜び、食べかけの饅頭を半分分けてくれた。

 4月23日(日)

 数日前、越生の山吹の里で山吹何千本かがいま満開だというラジオ放送を聞いて、これを植えようと思い立った。すると、車で走る道すがら、垣根越しに群生を見かける家が相次いで二軒あることに気付いた。どちらかに立ち寄って株を分けてもらおうかと本気で考えたこともある。
 その昔、木瓜(ぼけ)の花を植えてみたくなって、満開のその家に入り込んで、「ください」と頼み込んだことがあった。道路の外にはみ出しそうな枝木をこころよく抜いてくれた。次の年も、その次も、こい紅色の木瓜の花が一つ二つは咲いたと思うが、あの家ほどの豪勢さまでには育たなかった。
 まさに「隣のバラは赤い」の図だが、あのとき、小さい頃秋の野山で見つけた木瓜の実に思いは飛んでいたのだった。岩くれだらけの崖にちょこんと乗っかっていた、でこぼこの、見てくれの悪い実は、すっぱくて、吐き出しそうだったが、それでも友だちと競い合って、一所懸命食べた記憶がある。何かが愉しかったのだろう。
 田舎の昔の家では、離れのトイレの前にこの時期山吹が咲いていた。山から引き抜いてきて植えておいたら年毎にふえていったのだろうと想像する。
 今日、JAセンターに行き、黄色い花をいくつか付けた山吹と、別属らしい白山吹の苗木を買ってきて、建物の東北(うしとら)に並べて植えた。ベッドに寝転がったまま、窓を開けると、正面に見える位置だが、満開が愉しめるのは、来年か。ちなみに苗木の値段は、それぞれ280円、160円だった。

 4月25日(火)

 昨日の夕刻、激しい雨が降って、途中2、3回雷が鳴った。
 今朝もまた、起き抜け、遠くで雷の音がした。そのうち、空がみるみる暗くなっていまにも降り出しそうな気配となった。草むしりに出ようとした配偶者も思いとどまるほどの剣呑さ。が、この春はじめて耳にする雷鳴にこちらは気が張りつめていった。
 呼応するように二日続けて、久々の古本屋巡りをした。深夜近く、目的もなく帰り道に立ち寄ったブックス川越では、田久保英夫の『空の華』、李良枝『由熙』、藤原審爾『天の花と実』の三冊を買った。いずれも、100円であった。島田雅彦の『彗星の住人』も新本(五年ほど前に出た本!)同様であるのに100円である。
  いま流行っているという「せどり(競取り)」を稼業にしていれば、これもまた買っていただろう。この本屋、本の価値をしらんな、と偉そうなことを呟きながら、レジでは、騙しているような落ち着きなさも感じていた。
 次の日は、本好きの卒業生に読んでみたらとかつて勧めたことがある本を求めて、昔ながらの商売を張っているようにしか見えない志木市の東西書房に立ち寄ってみた。
 昔ながら、というのは、狭い通路の奥に、たとえば高橋和己の「憂鬱なる党派」を“堂々”と置いていたりするからである。ここならあるかも、とふいに思った。はたして、あった。値段は400円、状態も悪くない。
「探したけれど見つかりませんでした」とメールを寄越してきたその卒業生に「あったよ。古本でもよければ、あげる」と返信すると、顔文字、絵文字が満載の「感謝メール」がすぐに届いたのであった。

  


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