日  録 いとしき人よ 

 
 2006年6月4日(日)

 学生時代以来の肉体労働を、ほんとうにやることになってしまった。週3回、早朝から昼前までの数時間、スーパーに運び入れる荷物を仕分ける仕事である。まだ、5回しかやっていないが、天然水の箱やお米などけっこう重い物があって、汗だくだくになってしまう。20代前半の若者が大半で、われと同じ年代のものも2、3人いて、総勢10人ほどが分担する。若い者には及ばないものの、まぁ、彼らの0.8倍ぐらいの量はこなせていると思う。
 
 これも負け惜しみではないが、「趣味と実益」ではなく、「実益と実益」ではないかと思い始めた。というのは、普段体を動かすことのない身には、恰好の運動になるからである。現に、周期的に襲ってきていた肩や胸の関節の痛みが、以来遠のいているのである。一種の荒療治みたいなもので、これで「あの難病」が治れば、体験記が書けそうな気がする。
 
 5回目の時、はじめて「日通」のマークの入った上着を着て出かけた。「日通」には、学生時代からの畏友がいる。事前にこのことを話すと、いろいろなアドバイスをくれた。腰にだけは注意しろ、と書き添えてあった。制服に腕を通しながら、長い付き合いの彼と、こんな形で“遭遇”するとはなんという因縁かと思った。仕事場でバッタリ会う場面を想像してそのことにも触れると、職場が変わって現場を巡回する機会はなくなった、とつれない返事が返ってきた。

 6月14日(水)

 昨日、前の畑ではジャガイモの試し掘りが行われ、予想以上の収穫にみな大喜びであったという。食卓にも、茹でたジャガイモが出て、まろやかな味を堪能できた。その畑を貸してくれているAさんの家の玄関口には、昔山の中でよく見かけ、切り取っては家に持ち帰ったりしていた花が列をなして咲き揃っている。リンドウに似ているが季節がちがうし、などと数日前に見つけて以来名前(通称)を懸命に思い出そうとしてきた。“狐の提灯”と言っていたかも知れない、と検索してみても、別のものが出てくる。
 今朝煙草を買いに出かけると、運よくAさんが出てきたので、聞いてみた。
「あぁ、ホタルブクロね。山の中に、いっぱい咲いているよ」
 当時、そんな風な“粋な名前”で呼んでいたのか、自信はなかったが、そうかも知れないという気がしてきた。

 6月18日(日)

 明け方の夢の中で高校時代の恩師を訪ねていた。もはや現役でいるはずはないのに校舎の中に入っていった。それは高台に建っていた小学校の木造校舎のようでもある。受付で記帳を済ませ、呼んでくれるように頼むと、応接用のソファーに案内された。
 次の場面で先生が現れ、最終選考で落とされてしまったよ、といきなり同級生の不運を嘆くのだった。そんなに難しい試験を課す必要があるんですかね、入ってからどんな能力が発揮されるかわからんでしょうに、とこちらも同調して、校内一の気立てとみなが認めているその女性の肩を持っている。すると、同級生のHが現在の姿で、高々と手を上げながら近づいてきた。
「いまから、先生の家に行こう」
 先生はスクーターで学校に通っていた四十代の頃のように若々しい姿であったといまさらのように思った。この前逢ったのは、もう六年も前のことになる。どうしておられるだろうか、と気になった。

 6月30日(金)

 一昨夜遅くに、今年4月から大手取次会社に勤めはじめた教え子のTが職場を訪ねてくれた。
その10分ほど前、まだいますか、という電話があったとき、こちらは、すでに帰り支度を終えていたが、もちろん到着を待つことにした。残業で疲れているにもかかわらず立ち寄ってくれるのには訳があった。
 会社柄、あわよくば発売日以前または直後に手にはいるのではないかとTに夫馬基彦さんの『按摩西遊記』を注文したところ、隣が購買部だから喜んでくれるかも、と早速発注してくれたのだった。
「話題にならなかったですか」と聞くから、「あちこちで取り上げられて評判がいいようだ」というと、頷きつつ「そういう本は、お客の書店優先で、社員はあとまわしのようで……」とさかんに恐縮して、自社発行の「新刊展望」をおまけに付けて、持ってきてくれたのである。家まで送る車の中で、夫馬さんのことや小説の概略を話すと、旅の好きなTは「面白そうだね。私も読んでみる」と言っていた。
 予想が裏目に出て、届くのに時間がかかったが、やっと読めるぞ、という気持ちは倍加された。今日か明日かと待っていた間は、いとしい人が現れるのをひたすら望む気持ちと似ていたなぁ、と今度ばかりは、実感した。Tとも、久々に逢えたし。
     
 


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