日  録 テレビ電話! 

 
 2006年7月2日(日)

 昨日の土曜日は、OB、OG、卒業生(高校生)合わせて9名が五月雨的に職場にやってきた。OB、OGのなかにはあらかじめ来訪を予告していた人と、突然現れた人と、ふた通りいた。どちらも、同じように、こちらの精神に喝(渇?)を入れてくれるから、嬉しかった。
 ベランダの巣に、燕の夫婦がやってきて、子作りの準備をはじめたのが数日前のことである。今年は、いつもよりかなり遅い。もう、来ないのか、と半ば諦めていただけに、うれしい発見だった。一日に何度もベランダを覗き、みんなにも、見てみろよ、と勧めながら、なぜか、人が、恋しくてたまらなかった。そんな思いが通じたのかも知れない。
 
 試験前の高校生のひとりは、「地学」を教えてくれと言ってきた。本人持参の教科書とノートに、格闘すること1時間、予想問題の5題中3題(恒星についての問題で、その明るさや、距離を計算していくところ)は、説明できるだけの知恵がついた。あとの2題は、歯が立たなかった。捨てなさい、と言わざるを得なかった。それでも、1パーセク=3.26光年、絶対等級の概念や計算方法などは、新鮮な知識だけに、嬉しかった。
 簡便な天体望遠鏡が手元にあるが、深夜にエンジンを掛けっぱなしの“不審車両”が畑の傍に停まっていた10日ほど前、覗いてやろうと、はじめて持ち出したことがあった。ぼゃーとして、何も見えなかった。接眼レンズを付け忘れていたことは、あとで気付いたが、こんな不純なことに使うべきではない、と反省したものだった。
 今度は、織り姫星(ベガ)と彦星(アルタイル)と、天の川を見るために、使おう。

 7月11日(火)

 最近は、車の運転中に、眠くて、眠くてたまらないことがある。コンマ何秒間か意識が飛んでしまう状態が周期的にやってくる。そんなときは、車を停めて10分ほどの仮眠をとる、それができないときは、コンビニで冷たい飲み物を買って飲む、などでしのいできた。効き目は、ある。
 昨夜などは、睡魔と格闘しながら家路を急いでいると、車の前を子供が飛ぶように横切った。これには肝を潰した。幻覚でよかったと、胸をなで下ろした。
 起きて活動しているときに無性に眠いわけだが、実際に眠っていて見る夢が、限りなく現実に近い、ということを最近発見した。やり残しの仕事をやっていたり、身近な友人・知人と話したり、握手をしたり、している。それらすぺてに現実感がありすぎる。
 夢現逆転? これも潜在願望のひとつなのだろうか。

 7月16日(日)

 まだ、明けないの? とつい口走りたくなる。昨夕は、あちこちで雷が鳴ったようだが、職場近辺(志木)では聞こえなかった。今日もまた、朝から雨が降ったり、晴れ間がのぞいたりの、はっきりしない一日であった。
 西瓜がいつの間にか大きくなっていた。繁った葉に隠れて見えにくいが、となりのTさんが掻き分けて、ふたつばかり、とんとんと叩いて収穫時期を予想してくれた。
「まだまだ。うすいピンクといったところです」
 音だけでそこまで分かるのか、すごいもんだ、と感心した。
 夜になって、いろんなところで触発されて、アイザック・B・シンガーの『短かい金曜日』をインターネット書店から注文した。出荷予定時期が、4週間から6週間、 とのことだった。1971年の発刊本だから、探すのに時間がかかるのだろうが、見つかれば幸いである。
ここはのんびりと8月の下旬まで待とう、という気になった。

 7月24日(月)

 この日もまた、終日雨。深夜近くなって、娘から駅まで迎え頼むとの連絡あり。自転車に乗れないほどの土砂降りとは知らず、すっかりくつろいでいたのだった。パジャマ姿のまま急いで外に出ると、玄関先で蜘蛛の糸に引っかかってしまった。これがはじめてではなかった。
 人を獲物にする気はさらさらないのに、と草葉の陰で蜘蛛も苦笑していることだろう。あるいは、狩りの邪魔をすると怒っているのだろうか。顔や躯に糸を付けたまま車に乗りこんだ。
 毎朝ヤモリが二匹、窓に張り付いている。明るくなると、いずこへともなく、消えていく。数日前の、やはり雨の朝には、いつまでたっても、張り付いたままだった。どうしたのだろう、と考え込まざるを得なかった。
 蜘蛛もヤモリも、雨の中で必死なんだ、との思いは、ひとしおだった。

 7月31日(月)

 30日、ようやく梅雨が明けたようだ。
 4、5日前に北海道の義妹から「アシストフォン」という商品名のテレビ電話が送られてきた。二人暮らしの義父母と結べば、声だけでなく互いの表情をリアルタイムで確かめることができるという“妹ごころ”である。
  インターネットに接続している場合は簡単に取り付けられるというので、昨日、重い腰を上げて接続を試みた。が、IP電話なるものに加入していないのも一因で、敢えなく失敗。
  むこうはどうか、と問い合わせてみると、当の義妹が出て「さっぱりわからない。当分使えそうにないわ。」
  こちらも同様だと話すと、「明日にでも、担当者に電話させる」 と言ってくれる。
 受話器を取ると、いまはモニターに自分の顔が映し出される。これが向こうに送られるのかと思うと、つい引いてしまう。つまり、アナログ人間のわれには、こんなリアルタイムの映像はなじめないだろうと、考えてしまう。
 いや、映像を受け取る立場に立てば、ちがうのかも知れない。それに、この場合、自分のことなどはどうでもいいのだ。義父母のために発想した“妹ごころ”こそが、いまは大事なのであった。
 きっと開通させねばなるまい。    
 


メインページ