日  録 一瞬の交叉 

 2006年9月2日(土)

 もはや旧聞に属することながら、国際天文学連合の総会で、冥王星が太陽系の第九惑星から外された。物の本によれば「その直径は2,320 kmであり、月や木星の衛星であるイオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト、土星の衛星であるタイタン、海王星の衛星であるトリトンよりも小さい」という。1930年の発見から76年経って、「観測技術の進歩と太陽系研究の進展により数ある小天体の1つ」に格下げとなったのである。
 長らく親しんできた、例の「すいきんちかもく……」も「……かい」でおしまいとなる。「もしテストに出たら、冥王星は、書かなくていいのだね?」 小学生に真顔で質問された。「そうだ、書いてはいけない」と答えたが、つい、勢いで、唱えてしまうかも知れない。この先十年も経てば、口の端にすらのぼらなくなってしまうと思われる冥王星のためには、それが供養、というものであろうか。

 空飛ぶ円盤から降り立った「金星人」とのコンタクトを果たしたというジョージ・アダムスキーの会見記「記念すべき11月20日」と、その後日談ともいうべき「12月13日における再来」(ともに『アダムスキー全集第一巻』−なぜこれが本棚にあったのかは謎である)などを、たわむれに、たまたま読んでいたのだった。こちらは、明星としてなじみ深い、押しも押されもしない内惑星で、ア氏がその星から来た人と逢ったのは1952年、いまから54年前のことであった。
 ウソであるとは言い切れないほど迫力のあるルポだが、本当かな? と疑問を感じさせるような箇所もいくつかある。言葉の問題もそうだが、髪の毛、肌、服装、その生地に至るまで、描写が細かすぎるのである。真実らしく見せようとすれば、自ずとそうなってしまう、いわば“文章の落とし穴”にはまったのか。
 しかし、ウソか真かは、たいした問題ではないことに気付いた。
 同行の画家がスケッチしたという「金星人」はア氏にとっての「キリスト」かも知れない。
 はたして、
「相手は自分自身を指さしてから次に天空を指さして−これは相手が住んでいる惑星を意味することがわかった−、彼らは地球人のように個人の意志で生きるのではなくて創造主の意志に従って生きているという想念を私に伝えた。相手の声はまったく音楽のように聞こえた。」
 と締めくくられているではないか。
「円盤も乗員も本来は“霊体”なのかもしれず“具現化”する能力があって、そのため地球の大気圏内に入れば、“固体化”し“可視的”になるのでは?」と質問する人々に対して、
「これは困難な問題である」とコメントしている。

 9月8日(金)

 昼過ぎ、家を出てまもなく、猛烈な眠気に襲われた。意志の力では、どうすることもできないと判断して、コンビニの駐車場に入った。エンジンを止める余裕もなく、ハンドルを抱きかかえるようにしてうつらうつらしていた。10分も経った頃、まわりで大きな笑い声が起こった。それが目覚ましとなった。笑いの元は、バンから降りて休憩する、仕事帰りとおぼしき5,6人の、職人風の男たちであった。みんながこっちを見ているから、笑いの対象はもしかしたら……。車を降りると、はたして、なかのひとりが声を掛けてきた。
「いやぁー、あいつらがね、具合が悪いんじゃないの? というから、そんなことはないよ、と言い合っていたんだよ」
 ここに至った経緯を話すと、
「オレの予想が当たったわけだ。気をつけなよ」
 するとあの笑いは、ハンドルにうつぶしていた者ががばっと起きたから、発生したのか。
 当のわれには、目覚ましと聞こえたが、数秒の時間が前後していたことになる。
 
 先日掲示板への投稿によって、旧友・平野正剛の死を知った。彼は、剛胆かつ繊細な九州男児だった。ここ10年は、数回逢い、電話で何回か話しただけだが、死なれてみれば、この関わりもまた、一瞬の交叉のような気がする。 無念である。

 9月16日(土)

 小学生が学校でケンカをしてどちらかがナイフで刺された、という事件は記憶に新しい。最近、小学生の校内暴力が増え、年間2000件以上にのぼるという調査結果も報告されている。
 それでもなお、弱き者、汝の名は小学生、と思いたい。
 授業の終わり近くなってM君の携帯電話が鳴り響いた。彼は、あわててカバンの中に手を突っ込むと、電話をとり出して、話し始めた。
「そんなこと言ったって、まだ授業中なんだよ。」
 と凄い剣幕である。予定の時間はすでに30分ほど過ぎている。あまりに遅いから、母親が心配のあまり電話してきたのだろうと察しは付いた。電話が終わったあと一応中身を訊ねてみると、
「いったいいつになったら帰ってくるのよ、って責めるように言うんだよ。」
 依然怒っている。
「あのくそばばぁ!」などと汚い言葉も使って母親をののしる。
「心配だったんだろう」
  こちらに、責任の大半がありそうなので、宥めにかかると、
「かといって、 はい帰りますって、帰れるわけがないでしょ」ともっともなことを言う。「あれは、ヘンなんだよ」
  M君は難関私立中学をめざす小学6年生である。何ヵ月か前に「萌え系のマンガ」(そういうのがあるらしい)にはまっていると秘かに「告白」してくれた。ややませている方でもある。
 
 その10分ほどあとの午後10時に、授業は終わった。
 勉強道具を片づけながらM君は「あーあ、家に帰りたくないなぁ。お母さんに、また説教を喰らうよ。しつこいからいやなんだよ」誰に聞かせるともなく呟くのであった。
 
  さきほどとの落差に一瞬虚を衝かれ、やがて笑いがこみあげてきた。
「なんだ、おまえ弱いんじゃないか。お母さんに負けるのか」
 この夜のM君は、このほかにも、特異な個性を発揮して、全編が“絵になる存在”となった。つまり面白かった。贔屓するゆえんである。

 9月19日(火)

 朝、といっても8時を過ぎていたと思うが、起き抜けに若い者ら数人に絡まれている夢を見て、あまりの理不尽さに中のひとりを蹴飛ばしてやった。夢の中とはいえ溜飲が下がったと思いきや、足元でがらがらと音を立てて落ちるものがあった。右足の裏がちょっと痛いから現実にも何かを蹴ったのである。 一気に目が醒めて、見てみれば、パソコン本体の上に載せているスピーカーである。
 どうやら、ベッドからは7、80センチ上方にあるモニターの背面の出っ張りを蹴ってしまったらしい。その振動が本体にも伝わり、スピーカーが落ちたのだった。紙一重か、と思った。夢と現実のはざまでは、何を引き起こすか、自信がなくなっていった。
 さらにイヤな予感を覚えながらスイッチを入れると、画面が壊れた鏡に映された絵のように歪み、色合いもかなりどぎつい。
 いってみれば自業自得か、と呟きつつ、あれこれいじって、昼前には何とか元通りになった。
 その頃、義妹が電話を掛けてきて、いまから行くから「癒し系CD」のオンライン注文を手伝ってくれ、と言う。
「どうぞ、どうぞ。 ちょうどいま直ったところだから」
 と返答することができた。やっと悪夢から解放される、と思った。