日  録 昭和30年代の世界観  

 2006年11月5日(日)

 満月が中天にさしかかった頃、日高の民家に小熊が出たという夕方のニュースが気になって埼玉新聞のWEB版を見れば、リンゴで近くの犬小屋におびき寄せて無事捕獲し、市の提供した頑丈な檻の中で元気だと、書かれていた。住所が「上鹿山」とあるから、ここからは南西に数キロと離れていない。近所と言えば近所である。タヌキは何度か見かけたが、ついに熊も、と怖いような、嬉しいような気持ち(ハッピーエンドだったからだろうが)になった。近所の人は「キツネだっていますよ」と教えてくれたが、いまだお目にかかっていない。  
  同じWEB版には、この日相前後して、わずかに北方の鳩山町(民家が50メートル間隔で点在する場所で、こちらに比べればはるかに山の中だが)でも小熊が出て、ニワトリ十数羽が被害にあったという。食べ終えて鶏小屋から出てきたところをロープを掛けて捕獲しようとしたが、首に巻き付いて生け捕りに失敗、死んでしまった、とある。日高の小熊よりはやや大きめだったようである。里に降り来たってみたものの、日高と鳩山では、明と暗がくっきりと分かれたことになる。それにしても、山にはよほど食料がなくなってしまったのか。このあたりに熊が出没するのははじめてであるそうだ。

 11月11日(土)

 いつもの道を走っていて、何かが違うな、と感じていた。風の音でも、空気の匂いでもなく、それは枯れ葉のせいではないかと、この日の夜になって気付いた。地面の上を這うように赤かっ色の葉が舞い、吹き寄せられて、ところどころ古びた敷物のように積もっている。いまや、明日にも木枯らし一号が吹く、と言われている、晩秋であるのだった。
 
 ミルフィーユを人からもらい、ふと説明書を手にすれば、「千の木の葉」の意味だと書かれている。パイの生地をうすくして何枚も重ね合わせチョコレートをまぶして作るからと由来もある。こんないい名前だったのかと、浅学を恥じつつ、ただ感じ入る。
「雨が空に吸い上げられた」北海道佐呂間町を襲った竜巻に巻き込まれた人の証言である。被害にあわれた方には申し訳ない言い草ながら、こんな現象を見てみたいと本気で思った。

 ところで、枝を離れた葉には、まだ師走に向けての気ぜわしさはなく、悠長で、優雅で、どことなく能天気だ。「茶色のひと」というタイトルで恋人になりかけていた女性への感想を目の前で書いて手渡したのも、この頃合いであったはずだ。タイトル以外はすっかり忘れているが、一読するなり「認める、認める」と彼女は叫んだ。裸電球一個がテーブルを真上から照らすだけの、薄暗いジャズ喫茶の一隅だった。流川にあった、その店の名前は「シルバー」。そこに二人で行くのは滅多になかったような気がする。ひとりで贅沢な時間を過ごすのが習いだった。せがまれて、一緒に行ったのか、それとも、隠れ家を教えたかったのか。うんと若い頃の、些細な、赤面ものの思い出が甦るのは、これもまた、物思う秋の仕業か。

 11月12日(日)

 前の畑では収穫がさかんである。プロはだしの隣りのTさんの畑ではハヤトウリが200個も成ったそうで、わが家にもお裾分けがあった。捌ききれないので、誰か知り合いに配ってください、とさらに20数個をいただいた。車に積んで、顔を合わす人毎に、数個ずつ渡していった。“あごひげの野菜売り”のような三日間だった。
  しかしこれは前哨戦(?)で、配偶者と義妹がTさんの指導のもとに育ててきた、里芋とサツマイモがそろそろ掘り出し時ということらしく、われの楽しみはここにあり! である。大根や小松菜や京菜などの恩恵には日々預かっていてなお、今年最後の楽しみを、何ひとつ手伝いはしない身が、待つのである。よくぞこの地に来た、と北叟笑むのである。

 11月21日(火)

 Tが勤め先の購買部で買って、届けてくれたアイザック・B・シンガーの『カフカの友と20の物語』を読んでいると(いま、21の短篇のうちはじめの5編を読んだだけだが)“小学生時代”(昭和30年代)を思い出す。
 たとえば「ストーブを囲んで聞いた話」には、前を行く人が忽然と消えたり、ある朝納屋が消滅しまたある日になって甦ってやがて焼失したり、葬式の日に死んだラビが目の前に現れ、みなが目撃したとか、怪異な話が語られていく。ここは神=創造主への畏怖、と読むべきだろうが、それでは、われの“小学生時代”は何が背景にあったのか、と考えてさせられる。  
  表面上は確かに、信仰も哲学もなにもない、ありふれた庶民の生活を送っていたのだったが、大人のなかの子供、子供同士のあれこれに、時代を生きる世界観があったのではないか。もしそれを見つけることができれば大発見だ、と思うのである。
 あの頃、幽霊の存在も、キツネが人を化かす話しも、本気で信じていた。誰それは、山中の道に迷って、朝気が付くと、肥溜めを風呂代わりにしていた。枯れ木に女の人がぶら下がって、にたっと笑ったと聞けば、疑いもせず、朝夕は通学路になる、渓谷の道を、怖いもの見たさから夜になって出かけたりした。提灯を下げて行ったかどうかは記憶にないが。
      
 


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