日  録 真夜中のマラソンランナー   

 2007年1月7日(日)

 大晦日に年賀状という成り行きとなり、本体は世間並みにワープロで作成して印刷するが、宛名は万年筆で手書きである。何枚目かの、高校時代の恩師のところで一瞬手が止まった。やはり「様」とはせずに「先生」と書いた。
 もう数年来訪ねていないが、元気なご様子はあちこちから届いてくる。ひょんなことから同じような仕事に携わって、30年も経ってしまったが、この人がわれらに接した態度を折々に模倣してきた。飾らず、威張らず、どんな場面でも自然体であるのだった。植物の遺伝学を研究していたが、われら生徒を「植物」のように見、育て方の奥義を知悉していたのではないかと近頃思えてきた。
 もちろん、なかなか真似できるものではなかった。だからせいぜいフェイクであるのだ。
 ゆうべ帰りがけに近くの喫茶店のマスターとばったり出逢って、あれこれ話し込む。以前はよく行っていたのに、このところ間遠になっている。別れ際の挨拶がきまって「そのうち行きます」なのである。すると、去年は一度も行かなかったことに思い当たって、その場で豆を挽いて丁寧に入れてくれるコーヒーの味や懸命に調理するスパゲッティの味が無性になつかしくなった。
 やっと休日が巡ってくると実感して、帰途についた。

 1月8日(月)

 所沢・中富にある多聞院に立ち寄った。初詣は近くの日枝神社に3日夜になって家族で出かけたが、こたびはひとり、依然参詣する人が絶えない境内を散策しながら、毘沙門堂など2か所に詣った。本尊の毘沙門天は、四天王のひとつ。吉祥天女は、毘沙門天の妃または妹、と解説にある。これは意外な盲点であった。
「強い神仏」にはこれまで近づかないようにしていたが、吉祥天女の縁者なら、話は別である。
 手を合わせながら、自分でも訳の分からないことを口の中でもにゃもにゃと呟いてきた。これで、御利益があるのかどうか。
 
 小学生3人が、2日早く誕生日プレゼントにカップをくれる。一列に並んで差し出すから、ありがたく受け取り、ひとりひとりと握手した。 三日前、使っていたコーヒーカップがひび割れたのを知って、われの目前で「じゃひとり○○円だなぁ」などと話し合っていた。それは悪いから、オレも出すよ、と言えば、「そんなの意味なーい」と口をそろえた。
 かくて、明日からは新しい器で古酒ならぬ、コーヒーが飲めることとなった。

 1月16日(火)

 きのう、田舎から鎮守・若宮神社のお札(ふだ)が届いたので、去年のものと入れ替えた。すると、あらたまった感じがして、内からも元気が湧くようである。同封の手紙には「朝夕拝みなさいよ」と書かれている。日々の生活に、「朝」とか「夕」とかの「実体」がないこともあって長年、出かけるときに一回だけ手を合わせてきたが、ここはやはり「朝な、夕なに……」が信心のカタチなのだろう。出かけの一回だって道中の無事を祈っているのであって、無償の崇拝とはちと違うのかも知れない。守ってくれていると寄りかかる気持ちがどこかにある。これでは、神さんもいずれ呆れ果てて、見放すかも知れない。とまぁ、凡夫の考えることは、高が知れているのか、と。
 そこで、毎年お札を送ってくれる母に、せめて何かを送ろうと思い立った。

 1月24日(水)

 高校の入学試験で数字のパズルのような問題が出たというので、質問を受けた。
「8分の4=98分の49=998分の499=9998分の4999=……、となるが、このような分数を見つけよ」
 これが問題だったらしい。現物は回収されたので、受験生が記憶をたよりに教えてくれた。
 難渋の末に、ひとつ見つけることはできた。
「5分の2=65分の26=665分の266=6665分の2666=……」
「博士の愛した数式」ではないが、これはこの世界では有名な数列なんだろうか。もっとエレガントな解き方はあるのだろうか。何かと忙しい時期だが、一服の清涼剤のように、この問題を考えている。

 1月29日(月)

 まったく、「昼は春、夜は冬」である。今日あたりは初雪の予報もあったのに、朝のうちに1、2滴の雫が落ちてきただけであとは陽射しも春のような晴れとなった。暖冬の背景に「地球温暖化」があるので、この暖かさは素直に喜べず、むしろ「雪」が恋しい。
 行きがけに、難波田城趾公園により道したのも、いつぞやの冬に雪景色を写真に撮った記憶に導かれてのことだったのか、といまにして思う。

 1月30日(火)

 遮断機が降りているわけでもないのに踏み切りの手前でじっと長い間停まっていたり、直線走行中に突然右のウインカーを出したりと、この夜は奇妙な行動を重ねてしまった。
 やるべきことのいくつかは終え、あとひと山を残すのみとなっている。その山の「案内書」の表紙に使うイラストをあれこれと当てはめては没にしながら、つい時間ばかりが経って、職場を出たときはすでに真夜中を過ぎていた。それしも、あと何時間かまとまった時間をとれば、越えることができる。十分にめどは立っている。つまり、追いつめられているような精神状態ではないのだ。にもかかわらず、無意識のうちに、とんちんかんな行動をしてしまった。これは自身にも、不可解であった。
 すると、自宅まであと10キロほどのところで、歩道を走ってくる若者と遭遇した。すれ違いは一瞬だったが、近所の高校生とそっくりである。彼はいつも、ジャージ姿で近辺を懸命に走っている。
  ほぼ確信に近かったが、もし同一人物ならば、こんな時間に、こんな遠くを、自宅からまだ遠ざかって走っていくことになる。真夜中のマラソンランナー! いかす男だ、と思った。
 
 


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