日  録 まぼろしの訪問者  

 
 2007年5月3日(木)

 南中した満月と、その数時間後に西に傾いた満月とを見て、感嘆した。蒼い色の月はたしかにものさみしいが、赤銅色のそれならば、心も和もうというものである。

 生徒に、連休中どんな勉強をすればよいか、と聞かれたのでプリントを何枚か渡しておいた。その際「質問することが出てきたらどうすればいいですか」と不安げに言うので、「そういうときは、携帯にメールをちょうだい」と答えた。すると傍にいた母親は「大丈夫なんですか」とこれまた娘に輪をかけたような不安顔になったので、「いや、やってみましょう。同じプリントを持ち帰りますから。新しい試みですよ」

 母親の「大丈夫?」のなかには「お休みなのに迷惑ではないですか」という意味が半分は含まれていたはずだが、こちらは成否のことを思って大見得を切ったわけであった。

 はたして第一便がやってきた。図による解説が必須の、算数の問題だった。「想像力をいっぱいに働かせて何度も読んでね」と前置きして、言葉に頼って返信した。ほどなく返事が来て「途中で文章が切れています」
 携帯では長い文章は馴染まないのかも知れない。そこで、パソコンのメールアドレスを聞き出して再送した。しばらくして携帯にメールが届き、「よく分かりました」とある。よしよし、と呟きつつ、自身の4連休初日にしては、日常の延長みたいだなぁ、と反省。

 5月6日(日)

 両肩に張りが感じられ、太腿にもかすかな痛みがある。朝からの雨のせいですっかり忘れていたが、昨日はジャガイモの茎に土を盛っていく作業をやった。少しずつにしたらと言われたが、10畝のすべてをやり遂げ、気付けば一時間以上も経っていた。
 畝と言えば凸部分で、普通はそこに種イモを植えるのだが、あえて凹んだところに植え、苗が育ってくると両脇の凸部分から土を取り崩して茎の根元に寄せていくのである。このやり方がなぜよいのかを、考案者であるとなりのTさんは、
「寒いときの霜除け、収穫時土が柔らかいので掘り出しやすい。」
 と作業の前に教えてくれた。
「なかなかうまいですよ。たっぷりと土をかぶせておかないと、イモがはみ出して日に当たり、えぐくなってしまいます。あと一回も寄せればいいでしょう」
 おだてに乗ったわけではないが、半分ほどやったところでコツを掴んだ。かなり繁った葉や茎を傷めないように、△の形をした鍬でそぉっと寄せていく。そぉっと、は、優しく、といい代えることができる。
 24時間後に襲ってきたこの痛みは、さしずめ、優しさの代償? これはウソっぽいか。

 連休はいつもこんなものだった。最後の最後になって、想念が言葉を呼び寄せ、いよいよ書ける、と思えるのである。が、時はすでに遅い。せっかくのまとまった時間は、終わりだ。また、厄介な日常が戻ってくる。高校時代幼なじみと映画を観に行くことになって、彼が呟いたひと言は「最終日はなんでこんなに込むんだろう。人間の不思議な心理だな」というものだった。それをいま思い出した。ちなみに、その映画は黒澤明の『赤ひげ(診療譚)』であった。

 5月13日(日)

 昨夜は、十三、四年前の教え子たちが企画した「同期会」に参加した。と書きながら、ついこの前のような気がするのに、と驚きもするが、その者たちを教えたことがあったり、なじみがある、元講師の面々も来て、総勢三十名、賑やかな、愉しいひとときを過ごした。
 実は、“追憶のうたげ”になるのかなぁ、などとそっちの方からこの日を楽しみにしていたのだが、ひとりひとりと話してみれば、当然のことながら、それぞれ第一線で活躍する有為の人材たちである。年寄り臭い“錯誤”を反省しつつ、彼らの未来に幸多かれと祈るばかりである。

 さて、散会したのが午前1時半頃で、車に戻って、酔いを醒ますために眠りにかかった。このことを予想して車にはタオルケットが積み込まれている。駐車場まで同行してくれた同僚たちから、ウコンの力の錠剤をもらい、飲み物を用意しておいた方がいいとのアドバイスをもらい、「目覚めたらバッチリですよ」と太鼓判を押された。3時半に目が覚め、帰路に就いた。彼らの言うとおりだな、若いのに知恵者だと感心しつつ、車を走らせた。検問にひっかかれば「酒気帯び」程度にはなるだろうとの怯えはあったが、無事帰宅を果たした。
「いつ帰ったの?」とねぼけ眼の配偶者が聞くから、「たったいま。五時前だよ」と答えると、
「今夜も、午前1時すぎにチャイムがなったよ。きっと、ヤモリがあの上を這うんだね。通り道になっているにちがいないわ」
 と報告して、再び眠りに入った。何日も前から、人が訪ねてきた気配もないのにチャイムが鳴るという怪現象が繰り返されていたのだった。
 まぼろしの訪問者、その正体はヤモリか、と複雑な気分に囚われた。

 5月20日(日)

 路上に靴が落ちていると、なんでこんなところに? とこれまでは不思議な気持ちがしていたのだった。

 月曜日早朝、屋根に靴を乗せたまま車を走らせた。他に荷物があったのであとで取り込もうと思っていたところ、直後にすっかり忘れてしまったのである。気付いたのは、昼過ぎにいざ履き替えようとしたときだった。

 すぐ近くに落ちているだろうと高を括っていたが、その日も、次の日も見つからなかった。
 水曜日になって、2キロ近くも離れたT字路の草むらに片方が転がっているのを発見した。いったん通り過ぎたが、またぐるっとひとまわりして現場に戻った。よくこんな遠くまで、と思った。まさに、なぜここに? である。3日ぶりに対面した靴が(4,5年履いているのでもうかなりくたびれているが)、いとおしかった。
  ひとつだけではどうにもならない。もう片方は、いずこに落ちたか? 金曜日くらいまでは、発見現場の近くに来ると、道ばたに視線を這わせていた。よそ見運転は怖かったが、ひょっとしてという期待があった。
 土曜日になると、それも完全な諦めに変わっていった。その間、2回ほど雨の日があった。
 
 それにしても路上の靴。こんなとんまな落とし方をする者は他にいるとは思えないが、この一週間のある日、鮮やかな朱色のズック靴が道路の真ん中に堂々と落ちているのを見たときは、なぜここに? というよりも、単純に羨ましかった。今日、仕方なく新しい靴を買った。

 5月22日(火)

 出勤前、梅の木に、子供の二段ベッドで使っていたはしご(よく残っていたと思う。どこにあったのだろう?)を架けて、中程までよじ登って、葉と同じ色(動物で言えば保護色か)の実をもいだ。
 大きさは不揃いだが、枝にぶら下がっているのをみつけて少し興奮する。それは、子供のような、得意ごころ、と似ていた。
 玄関先で、ざるに入れられた青梅を早速数えようとすると、 「46個あったよ」
 どこからともなく配偶者の声がする。
 引っ越して3度目の春。ことしは梅の花も愉しめた。そのうえの“大収穫”である。配偶者は、梅酒ではなく、梅ジュースにする、と張り切っている。その理由は、つまびらかにしない。

 5月25日(金)

 予報通り、朝起きたときにはもう雨が降っていた。時に激しい雨は、育ち盛りの野菜たちにはどうなんだろうか。厳しく打たれて、より逞しく、つまりおいしくなるのか。それとも……。
 雨を眺めながら、レタスのことを思ったものだ。種を撒いて数日後には芽が出てきたが、もうレタスだった。小さいだけで、食卓にのぼるときの姿と変わらないのである。たいしたもんだ。

『円朝芝居噺 夫婦幽霊』を読み終えた。速記録を翻訳したという趣向だが、当然これはすべて作者・辻原登の創作だろう。凄い題材を、と感嘆し、「文学ミステリー」(帯の惹句)を堪能した。

 5月27日(日)

 教え子Aの友だち夫婦がやっていると聞いていた蕎麦屋「樹(いつき)庵」に行ってきた。
 高麗神社への道を逸れて、上ったり下りたりを繰り返し、車一台がやっと通れるほどの細い道のどんづまりに民家風の建物が見えてくるのである。高麗川のほとりとはいえ、大きな木々に囲まれている。対岸にも、30メートルは優に超える樫の木がそびえている。
 よくぞこんなところに、と思えるほどの場所だが、知る人ぞ知るお店なのかも知れない。ゆったりとした座卓が4つあり、入ったときは2つ空いていたが、出るときには、待っているお客さんが2組いた。
 われはとろろ蕎麦、配偶者は天ぷら蕎麦を食べた。細くて腰の強い十割の手打ち蕎麦は、まさに絶品。
 待ち客のために、食べ終わると早々に退散したが、
「お客さんを案内できる場所ができたな」
 と言えば、配偶者も納得する。
 ウグイスがひっきりなしに鳴いていた。里よりも、ワンテンポ季節がずれているのか、なかなか感興深い山里であった。
      
       


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