日  録 右か、左か。    

 2007年7月1日(日)

 合歓の花が満開である。
 いったん丸裸になって、この春、芽が出るのが遅く、枯れてしまったのではないかと心配したが、芽が出始めてからは、みるみるうちに枝葉を広げ、幹も太くなった。記憶するかぎり、この1、2ヵ月間の変化である。建物と鉄柵の狭いすき間に植えているので、余計大きく感じるのかも知れない。道路にもかなりはみ出しているが、そのままにしている。
 もともとこの木は、地震予知のために、配偶者が前の住まいの庭に植えた木である。その能力を発揮した気配はないが、毎年この頃、七夕の飾り(短冊)を、この合歓の木にぶら下げていたのを覚えている。たまたま、四方田犬彦の文章「芭蕉」(『図書』7月号)を読んでいると、「合歓の木の葉ごしもいとへ星のかげ」という句に触れて、越後では七夕の際、しばしば合歓の木の小枝を用いていた、と書かれていた。すると、期せずして、江戸時代の頃の風習をなぞっていたのかと、感じ入る。
 ここでは、恰好の笹の木があちこちから生えてくるので、七夕飾りは、そちらに移った。夜になると、眠るが如く葉を合わせるこの木には、年に一度と言わず何回もの逢瀬が叶うことを、託そうか。

 7月8日(日)

 自転車のブレーキを直した。切れたワイヤーを新品に取り替えただけだが、こんなにも簡単に直せるとはいままで思いつきもしなかったから、その意味で画期的だった。別の用事で立ち寄ったホームセンターで「部品」を見付け、戻ってから「構造」を解読した。ごく日常的に行われてしかるべき作業だった。少し前に、パンクを直すんだ、と若い友人に言ったら「へぇぇ、自分でできるの?」と驚かれたことがあって、逆にこっちがびっくりしたが、今回は、こちらの無知が笑われる番かも知れない。

 となりのTさんから種をもらって庭の片隅に植えていた古代インゲンが実をふたつ付けているのを発見。莢は、古代米同様赤褐色をしている。熱を加えると普通の緑色に変わるのだというが、はたしてその通りだった。焼き豆腐との煮込みの中から取り出してひとつ食べた。口の中で、カリカリという音がして、かすかな甘みが感じられた。

 道路を横切ろうとするタヌキとにらめっこになったのは、数日前の未明のことだった。左手のスーパーの駐車場から飛び出してきた。路上に止まって、減速しつつも近づいてくる車を仰ぐように見ているから、こちらも車を停めた。その時、目が合ったのである。小さめのタヌキだった。携帯で写真を撮ろうとすると、おもむろに動き始め、右手の衣料品店のやはり広い駐車場に消えていった。どこに棲みついているんだろう、と薄明を透かしてあたりを眺め回したが、木の茂みなどはどこにもない。ここは、昼間は人も車も多数行き交う市街地である。

 7月10日(火)

 あまりにもその色がきれいだったので2個トマトをもいで車に積んだ。まっ赤ではなく、柿右衛門の赤のような感じもする。トマトの木の中程に並んでついていたせいか、形と色は全く同じである。ただ、大きさは少しちがう。助手席にごろんと置いて、出発した。すでに雨がぱらぱらと落ちはじめていた。
 軽く洗って(これは邪道かも知れない)職場の冷蔵庫にはだかのまま入れた。
 夜になって、雨の中を、母親に連れられて小学生が質問にやってきた。雑談の折り、なにげなく「トマトはお好きですか」と聞けば、「大好きです」と言う。「一個持っていって下さい」と大きい方を差し出した。傍にいた生徒が「わたしも、欲しいよぉ」と拗ねるから、「勉強終わったら、あげるよ。ご褒美に」と茶化してやった。
 2時間後迎えに再びやってきた母親が「今夜の食卓に出す用意をしてきました」と言ってくれるから、生徒用にと小さな方も差し出した。
 むき出しで、やや不作法かとも思われたが、この赤は、こんな風な扱い方が似合っているのかも知れなかった。
 夜分、大雨の様相。
    
 7月14日(土)

 深更、雨音を聞くために窓を開ける。この雨は列島を縦断する勢いの大台風に刺激されてのものだから、不謹慎な言動は慎もうと思いながらも、心の落ち着きぶりは、隠しようもない。雨が好きだから……。
 で、佐伯一麦さんの新作「俺」(新潮8月号)を読み始める。清澄な文章に打たれながら、まなざしの確かさに、いつものことながら感心する。
「生きていくためには誰でも努力が必要なのだな」という一行にずしんときて、道に落ちた、「銀鈴が降り注いでいるかのような」エゴノキの白い小花が、ランニング中の高校生に踏み潰されていくところで終わる。その音が「俺だよ、俺」と聞こえるのである。
 30枚前後の短篇なのに、深い余韻が残る。文章の力に加えて、思惟の力、と言いたいほどだ。小説は、やはり、いいなぁ。
 その何時間か前には、『焼身』の宮内勝典さんを訪ねたのだった。玄関口でお顔だけをと思っていたら、スキンヘッドを撫でながら、どうぞ、お茶をいっぱいと勧められた。雑談の合間に、いくつかの長編への意欲を聞いて、この「思惟の作家」(勝手にそう呼んでいる)からは、いぶし銀のように匂い立つオーラがある、と感じた。
 造形作家の奥さんの、未発表の作品「怪獣君」を拝見できたのもよかった。
 居間に置かれていた、2メートルを優に超え、立派な葉がいくつも折り重なったゴムの木の挿し枝をもらいそびれたのが悔やまれる。

 7月22日(日)

 昨夜午後10時過ぎ、通行禁止が解除された大通りに出ようとすれば、駅に向かってそぞろ歩きの人の波。手にうちわ、浴衣姿も目に付く。歩行自由のなごりが残っているのか、若者の集団が道の真ん中を闊歩している。総じて若者が多いのは、鎮守の祭りにとって、好ましいことにちがいない。こちらは、波の切れ間を縫って出ていくしかないが、いったん右にウインカーを出しておきながら、ふと迷ってしまった。
 右に折れて、こわごわと進んでいくと、家族そろって店の前でテーブルを囲んでいた、同世代の店主夫婦が「スイカを食べていきませんか」と誘ってくれたのはもう何年前のことになるのだろうか。「今は昔」の感が、なきにしもあらず、などと考えながら、左折を選んでいた。
 
 ほぼ一日後の午後8時、急に雨が降ってきた。遠雷の音も、かすかに聞こえる。いよいよ、梅雨明けか。

 7月31日(火)

 未明、外に出ると、顔面に粘っこい蜘蛛の糸が絡みつく。胸元にも、かすかなかゆみが走る。満月か、と仔細に眺めれば、右側が少しかけている。この月も、蜘蛛の巣のごとき暈をまとっている。
    
 


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