日  録 まだまだ秋はこれから     

 2007年9月1日(土)

 もう、9月。あの暑さがウソのように思われる涼しさに、躯はかえって、気怠く、重い。目が覚めて、ベッドから起きあがったのは、11時過ぎであったが、眠った時間のわりには、爽快感がないのであった。夏を惜しむ気持ち、つまり、寂しさのせいもあるのだろうか。
 外に出れば、巫女さんが手にする神楽鈴のような南天の実や、たった三つしか残っていない柘榴についつい目が行ってしまう。路上には、枝から剥がれた柿が散乱している。なかには、小さいながらも赤色をしているのもあって、どんな事情があって落ちたのか、とつい愛しくなるのである。
 ホームセンターの花の苗木も、三分の一くらいに減っていた。配偶者は、三色が入り交じったケイトウをやっと見付けて、買っていた。  
 売り切れの連絡を受けて、急遽オンライン書店「本やタウン」に注文した『ノルゲ』が夕方に届いた。職場のPCから夜に申し込みをし、その日も入れてちょうど3日目である。
 これは、「読書の秋」事始めとなる、嬉しさである。

 9月2日(日)
    
 犬を連れた老婦人に最寄り駅よりもひとつ手前の駅への道を尋ねられた配偶者は、やはり畑仕事をするKさんに助けを求めた。Kさんは、耕す作業をご主人ひとりに委ねて、同道して行くことになった。
  ところが、30分経っても、Kさんが戻らない。ここからまだ夢を見ていた私の出番となる。車を出してKさんを迎えに行って欲しいというのである。

 Kさんが辿るであろう道を選んで、とりあえずその駅の近くまで行ってみた。帰りは、少し道を変えて走ってみたが、Kさんとはついに行き逢わなかった。代わりに、となりのTさんのらしき車が、交叉点を曲がっていくのを一瞥した。連絡を受けて迎えに行くのだろうか、ならひと安心、などと話して戻ってきた。はたして10分後、Kさんを乗せたTさんが戻ってきた。

 あとで聞くところによれば、Tさんは連絡を受けたわけではなく、われらと同じ動機で出かけ、戻る途中のKさんを首尾よく見付けることができたのだという。われらができなかったことを果たしたKさんはお見事と言うほかない。そして、同じ条件だったのに役目を果たせなかった自分がちょっぴり悔しかった。
 悔し紛れに、畏友時任のことを思い出した。東京に出てきた頃、外国人に道を訊かれて往生した話をすると、「それは、一番難しい英会話だよ。一緒に案内するのが一番」自身もそんな経験があったらしい時任はそう言い切った。そのことに妙に納得した記憶があり、以来、外国人にかぎらず、できるかぎり実践してきたのである。だからこの場合も、Kさんは正しい選択をしたと思った。

 夕方になってKさんが訪ねてきて、「言うことにつじつまの合わないことがあったので、公民館に連れて行って、ちょうど通りかかったパトカーに乗せてもらったんですよ」と顛末を報告してくれた。その駅よりも、はるか先の団地に住んでいる人だったというが、よくぞここまで歩いてきた、しかも犬を連れて、と思うのだった。

 9月9日(日)

 朝、畑作業に駆り出され、ブロッコリーを植えたり畝の土寄せをしたその勢いで、1年前から立ち枯れたままになっているモミジの木を、伐った。数日前の台風9号で倒れはしまいかと案じられたが、無事持ちこたえたのである。となりのネズミモチの木が傾いていたから、あながち杞憂というわけではなかった。裸ゆえに風が擦り抜けたのかも知れない。

 伐ったといっても、地上2メートルくらいから分かれる二本の枝を落としたのである。それでも直径10センチ、高さ3メートルにおよぶ。どこに倒れるか、予測通りに行かないので、間際には少し緊張する。一本目は真下にすとんと、きた。危うく自分の躯に当たるところだった。2本目は、斜めに切っていたのが功を奏したのか、道路側には倒れず、電線にも被害はなく、代わりにネズミモチの枝を数本折った。

 ネズミモチには踏んだり蹴ったりだったが、胸の痞えがおりたようで、こちらは実にいい気持ちである。
 皮が剥がれ、キノコが自生する、残った幹を、窓越しに眺めては、これはトーテムか、でなくても、なにほどかのモニュメントにはちがいあるまい、などと悦に入っていた。

 9月16日(日)

 真夏を思わせるような日だったが、夕方には風も出てきて、虫がそろそろ鳴き始めると、やはり秋かと思う。 空には三日月が雲間にくっきりと浮かんでいる。
 まだ暑い最中、スーパーで、広い駐車場の端に車を停めると、かたわらに椿の木があり、ピンクの花がいっぱい咲いていた。早咲きの品種でもあるのだろうが、なんとも気の早いことよ。

 今年は彼岸花がまだ出てこない、と配偶者が嘆くので、数日前ラジオで聞いた話を教えてやった。「彼岸花というのは毎年きちんと秋分の日に咲くのですが、今年は、心配です」とベテランの気象予報士が言っていたのである。
 そうなんだよね、とわが意を得たりと頷くので、「異変には、ちがいないな」
 
 家に戻って、小論文の課題を探しているとき、鶴見俊輔のエッセイ「人語を越える夢」にこんなエピソードを見付けた。
「カナダで暮らしているころ、大停電に見舞われたことがあった。次の日の新聞に、植物(天井からつるす盆栽)があるかぎり、私は淋しいことはありません、という老女の感想があった。」
 尤も、この一文の主題は、その前段にあって、上の引用は、例証として語られている。
「人間が自分の狭さに気付くにつれて、人間という種を越えた、生物のつきあいの理想が、人の心の底に、現れることがある。」
 
 突然のように地上に現れ、まっ赤な花を咲かせる彼岸花も、古来、人々の間に深い思念を呼び覚ましてきたのである。

 9月23日(日)

 安芸高田市で採れた幸水ですので、とりっぱな梨をもらった。水気が多くて、甘くて、柔らかい、そのおいしさには堪能したが、安芸高田市って? 
 インターネットで調べてみると、3年前の平成16年3月に、高田郡吉田町を核にして、千代田町、甲田町、向原町など6町が広域合併して誕生したとある。
 吉田町ならば、学生時代に世論調査のアルバイトで何度か行ったことがあるような気がする。寮の仲間と帝釈峡へ出かけたときや友人の家に行ったときにも、通過していたことになる。そのほかにも、もっとあるはずだが、思い出せない。終点の風景がいまも甦る三段峡は、別の線だったか。いずれにしても、なつかしい鉄道路線である。
 その吉田町が毛利元就の生誕地であることを、今回はじめて知った。梨をくれた人は、この戦国大名の子孫であるのだ。
 
 地図を見ていると、となりの三次市も、そのとなりの庄原市も、区域が県境まで延びている。版図を拡大したな、という感慨に陥る。

 9月30日(日)

 雨の一日。
 烏が一羽柵の上にやってきて、なんどもジャンプを繰り返し、手(くちばし?)の届くところまで垂れ下がった赤い柿を狙っている。まわりには、路面を歩き回る烏、畑の上を旋回する烏も、見かけられた。これが朝方のことで、お昼をすぎて出かけるついでに検分すると、下半分がきれいにそぎ落とされている柿がひとつ見つかった。羽音を立て、水しぶきを周囲に撒き散らしていたあのジャンプは、無駄ではなかった、ということになる。急に気温が下がって、すわ冬支度と考えたのかも知れないが、食うため、生きるために、烏たちも必死であるのだ。
 11月中旬の気温と聞いて、烏ならずとも秋はどこへ行ったかと驚かされるが、雨に濡れたムラサキシキブの実がいい色つやを出して光っている、みずひきの赤い花が紫陽花の下から飛び出している、キンモクセイの香りが漂うのはもう少し先か、と検分を延長しながら、まだまだ秋はこれから、と安堵する。  
    
 


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