日  録  浅き秋の終わり?   

 2007年10月2日(火)

 ここ2、3日、一気に気温が下がったが、一昨日などは一日半袖姿で過ごし、家の者らに笑われ、また偏屈者呼ばわりされた。昨夜のこと、深夜に風呂に飛び込むと、これが泡風呂、というやつで、顔面まで泡がせり上がってくる。メリル・ストリープのこんな場面を見るのはキライではないが、よりによって団塊の世代のオレがなんで入らねばならないのか。
 泡風呂を用意した娘は、疲れたと言って、すでに寝ている。
 と、このたびは、口に入ってくる勢いの泡を避けながら、自らを笑う羽目になったのである。

 10月6日(土)

 深夜、家に帰り着くとキンモクセイの匂いがかすかに漂ってきた。待ち遠しかった匂いにうっとりして、やがてこれは玄関横の、隣りの家の大木からのものだとわかった。枝先の金色の花が夜目にも光って見える。
 わが家のはどうだろうか、と気になるが、確かめることまではしなかった。
 前の住まいから移植した木で、20数年経っている。それでも隣のものと比べれば、いかにも小ぶりである。キンモクセイの匂いは、たしか数日で已んでしまう。儚い匂いであるのだ。だからこそ、ある日、ある夜、偶然のように鼻を衝く、そんな出逢いが似合っている。確かめることを拒んだのは、その儚さ故か。

 昼、志木駅で待ち合わせて、久々に逢う学生時代からの友人、朝日新聞の安村氏を伴って平林寺に行った。前日に会議のために上京して、「人の少ない田舎で逢おう」というので、この名刹を思いついた。約一時間、雑木林の合間を、近況をしゃべり合いながら、歩き回った。歩道にまではみ出した青々としたモミジの木も、道に落ちたドングリの実も、職場での喧噪を忘れさせてくれた。

 ここに来るのは、この30年間で3度目である。はじめてのときも、ある人と一緒だった。紅葉が終わって、枯れ葉敷きの道を、並んで歩いた記憶がある。寒い寒いと連れは言うが、手に触れもしなかった。

 夜になって、インド旅行のみやげを携えたTが、ひょっこり職場に現れた。前の夜に、どうしてるかな、と無性に顔を見たくなっていたのである。それだけに、この訪問は、この日二度目の悦びとなった。
 偶然か、必然か、いずれとも決めかねる、週末の一日。
 平林寺の入場券の今月の言葉は「福寿海無量」という観音経の一節だった。
「衆生に与えられた福徳の海はいつでもどこでも無量無限に広がっている」の意と裏面に解説されていた。

 10月12日(金)

 出勤の途次、大型のシッピングセンターに立ち寄ると、そこで働いてる教え子のKに運良く逢えた。二言三言話を交わしただけだったが、元気そうでなにより、とまもなく、ん? そういえば職場近くの交叉点で深夜近い時間に、赤信号に気付かず歩道を渡りはじめたのが彼女だったと思い至った。ひと月ほど前のことである。最前列にいたからそのまま目の前までくれば本当にKかどうか確かめることができたのだが、他の車からクラクションが鳴って彼女は慌てて引き返している。数日後、別の用件でKからメールが来たので、ついでにそのことに触れた。「ああ、恥ずかしい」とすぐの返事でKは書いていたが、こちらは、ちぇ、無情のクラクションめ、と思ったものだった。

 次いで、その近くの信用金庫に立ち寄ると、駐車場が有料に変わっていた。赤字で書かれた「ATM利用の方は15分間無料」を読んだうえで、そそくさと用事を済ませて戻ると、まだロック板(鉄製の)は上がっていなかった。ところが、車を動かせようとしたその瞬間、ガガー、と車体下から轟音が立ち上がった。
 そのあとの自分の行動は、赤信号のKよりも、はるかに恥ずかしいことであった。話としても、つまらなさすぎるので、書き留めるのも憚られるが、Kを肴にした手前、披露せざるを得ないだろう。

 職員に来てもらって事情を説明した。
「入庫して、2,3分すると、いったんロック板は上がるんです。精算機を使ってカードを差し込んでいただくと、また下がる仕組みになっています。別の会社が管理しているんですが、わかりづらくてすいません」
 すると、用事を済ませるのに3分とかからなかったということか。もうちょっと時間をかけていれば、こんな間違いはなかったのだ、と思った。それに、いったんロック板が上がるのは、当然かも知れない。ATMを利用したかどうかは「結果的に」しかわからないのだから。
 ハスキーボイスの、好青年の職員に、こちらの迂闊さ、そそっかしさを恥じる気持ちが兆していた。

「エンジンが、かからないんですよ」
「なぜですか」
「ロック板にぶつけて、故障したのかも知れない」
 と言いつつ、シフトレバーを見た。職員も見ていた。あ、と声をあげたのは、ほぼ同時だった。レバーを「R」のままにして店の中に駆け込んでいたのであった。
 かくて、すみません、おさがわせしました、と詫びながら退散する羽目になった。

 10月14日(日)

 13日付夕刊で朝日文庫編集長・大槻慎二さんのコラムを読んだ。「広告」にはちがいないが、他の記事とは文章の格がちがう、と感じた。つまり、腑の底にすとんと落ちる。
 実はこのとき、ここでも紹介されている新刊『作家的時評集2000-2007』(高村薫)などを探し回り、ついに空振りに終わって、帰宅したところだった。

 不発に終わった書店の名は、ともに「TUTAYA」。ひとつめは、午後10時前(!)なのに、本屋の営業だけが終わっていた。二つ目は、かつてはよく利用した駅前のお店である。文庫の棚は、著者順になっている。版元はまちまちである。何度か棚を経巡ったあと、思い余ってレジの店員に「朝日文庫はないんですか」 と訊いた。
「少しお待ち下さい」
 物陰に隠れて、こちらからは店員の頭しか見えない。3分ぐらい経って、「出版社はわかりますか」と言うので「朝日新聞社」憮然として答えた。
 また、2,3分経って、「うちには、置いていませんね」

  思い返せば、店員との間に、会話が成り立っていたのかどうか、不安になる。彼は、パソコンの前で5分もの間なにを探していたのだろう?
(上記の本は今夕、文芸雑誌も揃っている(したがって良質の)近くの本屋で買うことができた。ここでも自分で探すことができず、レジの女性店員は、やはりパソコンを操作して、あるはずですよ、少々お待ち下さい、と別の店員に探させた)

 さて、本題は、佐伯一麦さんの『ノルゲ』のこと、である。
 6年間にわたって雑誌に連載されていた小説を、注文して中一日で手に入れ、約30日かけて読み終わった。
 ノルウェーの風物や文章の滋味を堪能しながらはじめはゆっくりと読んでいたのだったが、「故障したノートパソコンの修復」とそれに続く「群発頭痛」のあたりから、ついと襟を正さなければならなかった。
 それは12章立てのちょうど10章前後からで、妻の留学に随行してきた「おれ」のノルウェーでの生活も残すところ3、4ヵ月となった頃である。そこからは一気呵成に読んでいった。読まされていったと言うべきかも知れない。作者はおそらくなんの術も弄することなく事実を正確無比に描写しているはずである。なのに、読者に強いる、この緊迫感、この臨場感はいったいなんだろう? 
 
 読了後数日間考えて、それは、志の高さではないか、と思い至るのである。
 音楽も小鳥の囀りも、作中翻訳を進めていくノルウェーの小説「The Birds」の主人公も、そして「おれ」自身にふりかかった過去の傷痕も、時間という大きな渦にもまれ、「命名」されることを待ち望んでいる。それに、6年がかりで応えたのがこの小説である。25歳のデビューの時、すでに「私小説作家として屹(た)つ」ことを公言した佐伯一麦さんの、生きること、死ぬこと、いっさいの人の営みに向ける目線の深さ、優しさに襟を正すのは、まっとうなことであった。

 そして、水平にも、垂直にも、しなやかに伸びる言葉の鏃(やじり)は、人の生を抉りながらも、同時に癒していく。もはや、文学への志、などは小さいことだ。もっと先へ、この作品は、射程を伸ばしている。そういう意味でも、極北の地ノルウェーは、佐伯さんにとって恰好の舞台だったのではないか。一読者のわれにとっても、また……と思えてくるから、ことのほか貴重な読書体験だったのである。

 10月28日(日)

 14日ぶりの休日となった今日は、台風一過の爽やかな晴天、やっと秋がやってきたかと思う。体感としては一ヵ月ほどずれている。
 真っ二つに割れた柘榴をひとつ取って、食べた。なぜか徒労感がある。小さい頃に喜び勇んで食べた記憶を引き出しながら、あの頃食べたモノは、もっと肉厚だったような気がした。木に残った3つの実も、ぱっくりと開いて、艶やかな赤い実をみせている。これらは、虫や鳥たちのエサに供すべきか。
 剪定用の高バサミを使って柿を取った。切った枝を挟んだまま降ろすのだが、うまくいかずに落としたのが数個ある。それでも、11個が収穫できた。形が不揃いで見た目はわるいが、甘みが強い。
 ピラカンサス(たちばなもどき、常盤山査子なども呼ばれるらしい)が赤い実を鈴なりに付けている。遠景に鉄塔を入れて写真を撮った。
 ホームセンターでソーラー仕様のガーデンライトを一個498円で売っていたので、試しに買ってきた。玄関脇の柘榴の木の下に取り付けた。暗くなって見てみると、ちゃんと灯りをつけて、根元を照らしていた。

 モミジがどんな色を付けてくれるかはこれからの楽しみだとしても、時速85キロだったという台風20号なみに、今年の秋は今日一日で終わった(?)感あり。     
 
 


メインページ