日  録  PCダウンと奇跡的な復活    

 2007年11月4日(日)

 昼前に起きると、菊の花を挿した花瓶が机の上に置かれていた。花は小さな蕾であり、開いてみないとどんな色かもわからない。香りとて、まだない。花瓶は、首が斜め5度に傾いた、益子焼き。ゆうべもらった向島産の広島ミカンを食べながら、いよいよ爽やかな気分になった。
 近くの山里をドライブしながら、民家の庭に色とりどりの菊花の群生を見付けた。こちらはほぼ満開である。
「あれは、Kさんがもってきてくれたの」
「うちのじゃないのか」
 宿根の菊はわが家の庭でも毎年この頃になると花を咲かせる。2年前、札幌からやってきて一泊した義妹が見て、富良野に送ってやりなさい、きっと喜ぶから、と進言してくれた。それほどに、無秩序だが、咲き揃うと、きれいだし、なによりも逞しいのである。秋はまだいくつかの楽しみを残していてくれる。

 起き抜けに二日前からつけっぱなしのパソコンが突然終了しはじめた。最初は、外部からハッカーらしき者が侵入して悪さをしたか、と考えたが、そうではなく、直前に携帯電話をいじったせいではないだろうか、とふと思った。その疑問を話すと配偶者も、確か点いていたはずなのに、次に見ると消えていた、そんなことが最近あった、という。
 これは、なにかの前兆か。そういえば秋は、摩訶不思議な季節でもあるのだった。

 11月9日(金)
 
 夜遅くTが、田村志津枝さんの『李香蘭の恋人』(筑摩書房)を届けてくれた。こちらの仕事が終わるまでの間、生徒の小論文に朱をいれてくれていたが、『ノルゲ』が野間文芸賞をとったと話しかけると、注文を受ける本はどれも、『円朝芝居噺』も『一日 夢の柵』もすべて評判がよく、賞を取ったりしますね、と言う。目利き(?)と褒められた気がして、得意ついでに、Tの勤める会社が出している『新刊展望』に投稿した「書評」載るかな? と呟けば、今度は苦笑いしていた。

 11月11日(日)

 雨降りしきる昨夜には、きょうは晴耕雨読と決めこんでいたが、目を覚ましてみるとやんでいた。晴れでもないので“畑仕事”は止めて、パソコンとそのまわりの清掃を思いついた。ほこりが厚さ二ミリ程度積もっているのがかねて気に掛かっていたのである。濡れた雑巾で拭き取り、静電気を引き起こすという専用の刷毛で払った。パソコン本体もすき間というすき間にほこりがびっしりである。楊枝の先で掘り出しながら、刷毛で払って……、とやっていると、結構の労働で、気分も悪くない。ディスプレイも磨き上げて、さぁやるぞ、と意気込が湧いた。
 が、雑巾を手に外へ出て、木曜日にガードレールでこすった傷跡を拭いてみた。そんなことで、消えるモノではなかった。帯状に50センチほど塗装が剥がれて地肌がむき出しになっている。後輪の上あたりは、よほどの衝撃を受けたのかへこみもある。狭い橋を渡ったあとの蛇行道ではあるが、毎週通る道なのに、あの日にかぎってなぜぶつかったのか、いまもって謎である。このところ配偶者からのメールはきまって「車の運転気を付けて」で結ばれていた。それが、このことだったのか、と思い至った。車が身代わりになってくれたのか、それとも、もっと気を付けなければ今度は大変なことになりますよ、という前兆なのか。どちらにしても、身震いせざるを得ない。
 かくて、5時前にはもう外は真っ暗となった。

 11月25日(日)

 パソコンがダウンしたのは、ほこりを取り払ったり汚れを拭き取った数日後だから、皮肉なものであった。数えてみれば丸8年間も使い続けている。やや不吉ながら、あのときすでに“死化粧”をほどこしているような予感もあったのである。
 
 それから、修復とデータのバックアップのために、EIGHTからアドバイスを受けながらあれこれと試みた。「ハードウェアー」の故障ならもはやこれまで、というところまできて、最後に「リカバリーCD」を使って、Windows98などを再インストールしてみようと思った。それで駄目なら、あきらめもつく。その時のパソコンの状態はセーフモードでのみ動いていた。通常の画面を出そうとすると、「保護エラー」なる表示が出て真っ暗になってしまうのだった。

 そのリカバリーCDは、2枚組のうちの1枚が見つからない。メーカーに問い合わせると、「申し訳ありません。在庫がもうありません」という返事である。家の中をなんども探したが出てこない。やはり8年は長いのか。
 
 セーフモードでもワープロソフトは使えるから、文章を書く分には、他の誘惑が吹っ切れてかえっていいか、と負け惜しみ半分で思いつつ今日、「メンテナンスウィザード」を実行して再起動をかけたところ、ほぼ10日ぶりに通常画面に戻ったのである。いつなんどき、ダウンするかわからないという危うさが潜んでいるが、このこと自体奇跡に近いことではないだろうか。かくてこの日記がアップできることとなった。

 11月27日(火)

 先の日曜日には、9月から2ヵ月間にわたって、メールと郵送による小論文の添削指導(?)をしてきた生徒が、公募推薦入試(本番)に臨んだ。直後のメールによれば、「世の中には、騙す人がいるとわかっていても、騙される人がいる」という類の課題文を読んで「物事の本質を見極めるために重要なことを述べよ」 という問題だったらしい。
「情報社会」「言葉の機能と役割」「教育の原点」など「課題1」から「課題9」まで、オリジナルな問題を作って練習してもらったきたが、本番が「課題10」となったわけである。
「できは?」と聞けば「緊張のあまりメチャメチャな文章になりました。時間内には終わりました。……結論としては、視覚や聴覚だけでなく心で見極めることが必要だ。そのためには受け身にならず自分から考えて行動するという姿勢が重要である。そうすることで、本当の信頼関係を築きあげることができる……という感じです」とあった。最初の頃に比べれば格段の進歩とみた。文章はやはり考えて考えて、推敲して、人にも見せて、なによりも多く書かねばならないものだ、と思う。
 まずは及第点ではないかと思って、その旨返信した。結果が楽しみになった。

 11月30日(金)

 今日で11月が終わる。ここ数日、朝夕の冷え込みもすでに真冬なみとなっているから、またひとつ季節がめぐりゆくという実感が強いが、そわそわとしはじめたのはそのせいではない。今日が、小論文生徒の公募推薦入試の合格発表日だったからである。
 午前10時前に起きて以降、携帯電話を常時かたわらに置いて、待つこと実に5時間、職場に着くと同時に「合格しました」というメールを受信した。
  それにしても、どうしてこんなにも、待ち焦がれたのだろうか。確信めいたものはあったが、もし不合格だったら? 小論文の出来が合否を分ける入学試験だったから、はたしてあんな風な添削でよかったのだろうか、と一抹の不安があった。受かれば「本人の力」、駄目なときは「指導の至らなさ」、これが教える者の宿命ならば、「正しさ」は証明されなくとも、合格を、まちがってはいなかったことの傍証にしたかったのかも知れない。
 そんな小理屈はもちろん伏せて、おめでとうのあとに「朝からずっと、この報せを待ってましたよ」と書き添えた。
「怖くて、怖くて、やっといま、発表見たんです(笑い)」
 そうか、こちらもまた、怖かったのかも知れない、と思った。
 
   


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