日  録 修復の月     

 2007年12月2日(日)

 いったん壊れたパソコンが奇跡的に元に復している。一か所だけ“爆弾”を宿しているが、それを捨象すれば、「強制終了」も「メモリ不足」も起こさなくなって、以前よりも快適ですらある。
 その爆弾とは、「お気に入り」からインターネットに入ろうとすると、パシャッと画面が落ちてしまうことである。「履歴」や「検索」画面からは正常に入れることを“学習”して以来、「お気に入り」は禁忌の場所となっている。
 パソコンがない、したがってインターネットにつながらない日々は、いま思えば、鉄の枷を解かれた囚人の如しであった。時間がたっぷりとあり、読書も思索(?)も捗った気がする。にもかかわらず、修復しなければ…という強迫観念にとり憑かれて過ごしたのも事実であった。あの二週間はいったいなんだったのだろうか。
 パソコンを媒介にして大きな矛盾をだかえている。これが現代の囚人の姿? すると、この8年間に何回もクリックしてきた「お気に入り」を遮断されたことが、ひとつの罰のカタチに思えてくる。やはり現代は奇妙なモノだが、こういうことでもないと異和感を持たないわれもまた、現代の生き物にはちがいない。

 12月6日(木)

 深夜、ベッドに潜り込んでしばらく経った頃、足元の壁にコオロギがしがみついているのを発見した。ようやく暖まってきたところで、布団から出るのも億劫だったが、意を決してビニール袋をさがしに起き出した。袋の口を体に当てると難なく捕まえることができた。かつての敏捷さはなかった。産卵管が伸びているからメスであった。見つけなければ、一緒に朝を迎えることになったのに、と多少の哀れを催した。地面と直に続いているような家だから、いろんな虫と同居するのにも、もう慣れている。朝になったら外に逃がすつもりで、袋に入れたまま机の上に置いて、布団に潜り込んだ。いま外は寒いから、こっちだって出るのはイヤだと思ったからである。と、終電に乗り遅れたから迎えに来いという、娘からの電話である。コオロギはそのままにして、外に飛び出して行った。

 12月9日(日)

 起きてほどなく、ヤーコンを掘るために、畑に出た。これまで二度の日曜日には、一日の最後の仕事にと、つまり日が落ちる直前に、と考えたために、結局できなくて、繰り延べになっていたのである。そして、学習した。農作業は、日の高いうちにやるべし、と。
 葉はすっかり枯れて、褐色に変わった茎の下部を両手で握って引っ張ると、大きさもカタチもさまざまなイモが飛び出してくる。ひとつひとつはがして、土を落としつつそのカタチを愛でながら、カゴに入れていった。十数本すべてを抜き終わってみれば、すでに二時間近くが経っていて、驚いた。風はやや強めだったが、暖かい陽射しの元で、久々に至福を味わった気がする。

 五年前の卒業生から電話があった。最初は名乗らないまま、授業を受けるにはどうすればいいかなどといろいろ質問していた。あらかた説明が終わるころになって、小学六年生だった当時、「私、ボチと呼ばれてました」と言うのであった。「じゃれつく、愛くるしい子犬」になぞらえて、そんなあだ名をつけたのは自分である。
「ボチ、か。今度、おいでよ」
 もう少し、しゃれたあだ名で呼んでやればよかったかな、といまとなっては、恥じ入る。

 山口のマツノ書店が「菊池寛賞」を受けた。古書店が受賞するのははじめて、ということらしいが、この書店は学生の頃から知っていた。当時アルバイトをしていた「丸善」に店主の妹が勤めていて、仲のよかった妹の同僚からもっぱら、その兄のことを聞かされていた。逢ったことはないが、経営的には無謀なことをやるが、気骨のある人、という印象が強く残っている。復刻版の「廣嶋市街図」(大正8年・昭和13年版)は、その時に買ったかもらったかして、いまも机の引き出しに大事に取ってある。
「地方の一個人古書店でありながら、明治維新史に関する貴重な文献の復刻出版などすでに二百点以上を刊行、社会的文化的貢献をおこなっている」
 これが受賞理由である。おめでとうございます!

 12月13日(木)

 寒い一日。昼頃、ラジオの気象情報番組で、いま日本でもっとも寒いのはどこだと思いますか、というやりとりをなにげなく聞いていて、富士山頂ではなく、富良野市ですよ、の答えであった。マイナス8度だという。これには、驚いた。
 空が曇って、北風が少し吹くだけで、寒い寒いというのは、無節操過ぎはしまいか、と自省。富良野に住んでいる義父は、かつて「マイナス40度を体験したことがありますよ」と教えてくれたことがある。北の大地は、厳冬である。

 12月22日(土)

 冬至の日。すわ初雪か、と思ったのがお昼前のこと。ほんの数個の雪片を目撃しただけで、あとは冷たい雨が降り続く。こちらはお預けとなった。
 日付が変わる10分前に、近所の人がくれた小ぶりのゆず一個を手にお風呂へと急ぐ。湯の中でもみほぐしながら、香りの付いたお湯を楽しむ。出ると12時を10分ほど過ぎていた。鈴なりのゆずの木を通学の行き帰りバスの中から毎夕眺めていた中高生の頃を思い出す。他に羨むモノとてない歳になったが、これだけはいまだに、「けなりいなぁ、なぜか」となる。ゆず湯は郷愁に包まれている。


 12月24日(月)

 福岡伸一『生物と無生物のあいだ』を読んだ。大ベストセラーだと言うが、読み始めた瞬間から腑に落ちた。専門的な事ではわからないところも多かったが、たとえば「自らが進むべきルートを見失って、なりうるあらゆるものに成り果てた」という記述はいまをときめく「幹細胞」のことでなくても通用するのではないか。また、全編の底を流れる「動的平衡」という概念は、もはや生そのもののようである。なによりも、表現が力に満ち満ちている。
 これを読んでみようと思ったきっかけは、小論文の課題を探しているときに目に留まった著者の新聞コラムである。数回読んで、うーん、と唸った。課題文には使わなかったが、40万部と宣伝されていたこの本にぶつかった。

 12月31日(月)

 20年以上使い続けている椅子のひとつが壊れて配偶者があばら骨を強く打ったのは二週間ほど前のことだった。一昨日は居間のテーブル、その天板が瓦解した。
 椅子はこの2,3年接着剤などで補強しながら使っていたものであり、テーブルに至っては、高すぎるという理由から足を切ってつないでいたのである。素人の技ゆえ、つなぎ目がぴったりと合わず以前からぐらぐらしていた。いわばこれは未必の故意。配偶者は痛い思いをしたが、他に実害がなかったのは、幸いというべきだった。
 ニトリに行ってみよう、と思ったのは、新居に引っ越したばかりの直人が昨夜の忘年会で「家具はすべてニトリで揃えました」と言っていたのを思い出したからである。
 使い慣れた天板に新たに足をつけるか、新しいものを買うか、迷いつつ店の中を歩いていた。ひとつ気に入った丸テーブルが見つかったが、こちらはもとより新婚ではないので、古いモノを利用していくのが似合っているのでは、と意見が一致し、その丸テーブルの作りをヒントに、足をつける代わりに、棚ボックスを下に四個並べたらどうか、ということになった。
 4個の棚を組み立てて床に並べ、かなりの重さの天板を乗せた。すると、ぴたりときまったのである。前後に多少は動くが、以前に比べれば安定感は上々である。木のミカン箱にベニア板をわたして、机代わりにする、という『同棲時代』の発想かと苦笑しつつ、ことし一年の仕事を仕舞った。
 さて、足元の4個の棚には、なにを入れるべきか、とまた思案しつつ、昨夜に続いて二度目の年越しそばを食べた。
 みなさん、よいお年を!
   
 


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