日  録 時はなお流れ続ける


 2008年5月3日(土)

 今日から4連休。さしたる予定はなく、書きかけのモノに目処をつけようと目論んでいたところ、朝早くに車のディーラーから電話があり、“この休み中に”定期点検をどうか、というので承諾した。一日の、いっときくらいつぶれてもいいだろうと、5日に予約を入れてもらった。初日ゆえにまだ余裕もあるのだった。
 続いて、かねて懸案の(3年半の間ずっと同じ)部屋の模様替えを配偶者から提案された。“この休み中に”と頼むので、不思議な暗合に笑いをかみ殺しつつ、幸い肩の痛みも治まっているのでやるならいまだよ、と午後からとりかかった。ベッド、机、パソコン、本などを6畳間の中で、増やさず、減らさず、配置を変えていった。ミニ引っ越しのようなことになり、はじめは身も心も弾まなかった。
 仕上がってみると、机を基準にしていままで右横に南を向いた窓があったのが、こんどは、正面に東を向いた窓がある、という風になった。夕方までかかった。かくて、初日はつぶれたも同然ながら、新たな気持ちが湧いてきて、正解ではある。が「一年に一回は、やりたい」などというから、「そんなにひんぱんにか」と思わず口答えしていた。

 5月6日(火)

 霜除けのビニールシートが外されたズッキーニを見て、小さい頃から随分毅然としているものだな、と感心した。一本の太い茎が地面から10センチばかりたちあがり、そこから3本の枝が水平に分かれてそれぞれ広々とした葉へとつながる。地上に出現したプロペラのようである。
 ところがこの夜は、風が強く、気温も相当低い。毅然としていた枝々もこころなし傾いて見える。「外すの、早まったのかな」と言うから、仕事から戻った午前4時頃、ふたりがかりでもう一度ビニールシートをかけた。未明とはいえ、この時期、空は一気に明るくなってきた。

 5月11日(日)

  あと数枚のところでアイデアが浮かばず難渋している。肩の痛みが起こった前後から書き始めてそろそろ一ヵ月近くになる。痛みはすっかり退いたが、こんなにも小説のことのみを考え続けるのは久しぶりのことである。持ち歩くメモも、いま何枚目かになって、乏しくなったと思わざるを得ない想像力との闘いの跡が、あはれ、である。

「時の観念、時間の処理にいつも苦労するんですが」と打ち明けると寺田さんは「そんなものは、いま、いまで、押し切っていけばいいんだよ。大事なのは文章の勢いだ」と答えた。10数年前の、このアドバイスの意味が今回やっと理解できた。もっと早くに書くべきモノだったという気もするが、ここまでこないと書けなかったモノかも知れないという気もする。

 ともあれ、あと数枚。ここは、アイデアがやってくるのを待つしかない、と観念して、『月山』を再読にかかる。じさま、ばさまたちとの会話をもう一度確かめてみたかったのだが、時を超越した深い思考に圧倒され、元気づけられるのか、尻込みしてしまうのか、わからなくなる。ここが踏ん張りどころか。

 そんなとき、富良野の義母から電話があり、昨日送った母の日のプレゼント(義父とそろいの陶器製のカップ)が届いたが、ひとつは取っ手が壊れていた、と言う。
  これで、牛乳やお茶を飲んでくれれば、落としたりせず、安心だと、特に取っ手の付いたカップを配偶者は選んだのである。その肝心の取っ手が壊れているというのだから一大事。もう一度同じものを送るよ、と電話口で言っている。

 抗議というのではないが、一応配送会社(クロネコヤマト)に電話をと思い立った。「超速便で出していただいたんですね」「どこで買われましたか」などいろいろ聞かれ、「あとで担当者から電話します」となった。
  ほどなく、今度は男性から電話があった。同じものを送るつもりだ、というと「それを、こちらから取りに伺い、もう一度送らせていただきます。送料はこちらで負担します。また、カップの代金もその際お払いします。それでよろしいでしょうか。ご準備はできますか」となった。
「箱への詰め方(デパート店員がしてくれた)が悪かったのかも知れず、必ずしもそちらのせいとは言えないんですが……」と言えば「いえいえ、お預かりした以上は私どもの責任ですから。」と見上げた応対であった。
「今度は、超速便でなくてもいいですから」と謝辞の代わりに言えば、うすく笑っていた。

 5月18日(日)

 虚脱というのか、久しぶりになにもしゃべりたくない、本を読む以外はなにもしたくない気分に陥った。とりあえず近しい友人などに読んでもらうために二部ずつ印刷して、発送の準備を終えたあたりから、そんな気分がやってきた。この小説ははたして成功しているか、いやダメなのではないか、自分ではもはや判断できないことがさらに虚脱感を煽る。早く手放して、次のモノを書きはじめることでしか、贖われない感覚であろうか。これも久々ならば、次に向けて気力が押し寄せてくるのも、何年ぶりかのことである。

 昼間は畑に出て、曇り空の下で、ジャガイモの畝に土寄せをした。種類によって背丈は区々ながら、花の咲き始めているモノもあり、確かな成長が頼もしかった。
 庭では、あちこちからニョキニョキと伸びてきた若竹を切って回った。さらに、実生の雑木の葉がくるりと内側に丸まっているのを発見、害虫の卵が巣くっていると思い、一昨年の経験から、早く退治するに如かずと容赦なくそれらの葉を切った。モクレンやキンモクセイや侘び助などは、若葉が生い茂り、目には爽やかなれど、地上の植物には邪魔っけである。しかし、切り落としていいものかどうか判断できず、持ち越した。

 5月20日(火)

 そこのみに激しい雨が降る。跨線橋を渡って、下りきったところから数百メートルの地帯のことである。 いわば、雨の特異ゾーン。未明だったが、夜来の雨が続くなか、久々にそこを走ってみたくなった。跨線橋にさしかかるあたりからワクワクする。昼間、晴れておれば真っ正面に富士山が見える。この時刻に見えるはずもないが、そんなこと(記憶)も、期待感に拍車をかける。となりに坐っている仕事帰りの配偶者が、自分ではもう半分しか吸えないので、吸いさしの煙草をこっちに回す。いつものことで、いまや唯一のスキンシップとなっている。「どうかな?」問わず語りにつぶやいて、跨線橋をのぼり、一気に下る。想像の中では、視界もままならぬ豪雨の中へ突進していく。

 5月24日(土)

 真夏のように暑かった昨日は、新宿に出かけ、学生時代からの友人・時任氏と逢った。定年を迎えると同時に、東京での9年間に及んだ単身赴任生活を終え近く福岡に下るという彼も、また新宿も、ともに久しぶりであった。新宿などは、どんなに変わっているかと、気分はおのぼりさん、であったが、地上部分はほとんど昔のままでほっとした。紀伊國屋書店の裏手に回って、目的の店に入った。屋号が「安芸路 酔心」となっていたが、こちらも中は変わっていなかった。釜飯を食べたあと、仕事と言っても後任がいるからもうなにもすることがないんだというので、少しぶらついて、ジャズの流れる喫茶店に入った。窓を開け放って、靖国通りを見下ろしながら、ひとときを過ごした。駅のコンコースで、再会を約して別れたが、時はなお流れ続ける、まるで永遠のように、という感想がいま、ある。

 5月25日(日)

 机の下から古い雑誌(『カイエ』1979年6月号)が出てきた。「特集・ロートレアモン」とあり、当時これを目当てに買い求め、これがために長い間捨てずに取り置いていたのだと思われる。同時に出てきた『別冊新評 花田清輝の世界』(1977年)とちがって、紙の黄ばみもなく、文字も鮮明で、字が小さいことを除けば、十分に読める。というので、パラパラと読んでいた。フリオ・コルタサルの『石蹴り遊び』(未読)が「『マルドロールの歌』の美学にきわめて意識的である」(土岐恒二)などの一節に触れ、前後の展開もなかなかに刺激的であった。もう一、二度、小さな字と格闘しながら精読しなければ本当の意味は分からないのだが。
 他には、黒井千次の小説「履き物」と立松和平の「春雨」が収録されていて、これらは字も通常の大きさで、よい短篇だった。なるほど、と納得させられた表現を一部引用しておく。
「次の朝遅霜が降り、一晩で白木蓮の花は枯れた。錆トタンのような色になった。悪い予感だった。」(立松和平「春雨」より、) 
 ともあれ、 古いものに得がある、という感じだった。昨日、EIGHTから思いがけずプレゼントされた、黒猫をあしらった牛皮の糸栞を挟んで精読に供えることにしよう。
「新しい 高級栞に 古い本」ちょっと字余り。
   


メインページ