日  録 癒しの樹木たち    

 2008年7月4日(金)

 カードの〆切が月末だからと、6月30日にガソリンを何日か分だけ入れておいたら、その夜は、どのスタンドも車の行列だったので次の日からの値上げを知った。7月1日には値上げした価格で満タンにした。ちぐはぐな感じが自分では面白くて、何人かに話して、憂さを晴らした。またその日は、煙草の自動販売機にtaspoというカードが導入された日で、早速使ってみた。まわりの者はほとんど持っていないので、これも自慢めいて話した。諸々のものが値上げされるというニュースを聞いて「ものみな上がる」かと呟けば、瞬時に花田清輝の「ものみな歌で終わる」という小説のことが連想された。もう一度読んでみよう、と思ったのは、意外な副産物であった。

 7月6日(日)

 早朝からパソコンの前に坐ったがアイデアとてなにも浮かばず、汗ばかりが吹き出してくる。暑い盛りの正午前、まだ掘っていないジャガイモが2、3茎残っているというので畑に出て土まみれになって格闘した。というのは、それは地面の奥深くにイモをこしらえる紫ジャガイモだったのだ。
 枯れた茎を引き抜けばふつうは何個かイモが付いてくるのだが、これはちがった。そのうえ、うわべの軟らかい土をさらったくらいでは、見つからない。
  ひとつもない! と叫ぶと、となりでスイカの苗を養生していた配偶者が怪訝な顔でにらみ返す。「そんなはずはないよ」ということばに励まされ(?)て、すでにもう土は固いが指先を熊手代わりにして掘って行くと、鮮やかな紫が顔を出したのである。ちょっとした感動であっただけに、それからはがむしゃらに、掘って掘って、不揃いながら、大ぶりの二十数個を収穫した。

 最近知ったばかりの「心土」(しんど、「作土」の反対語らしい)という言葉を思い出した。人が掘り起こせない土壌にイモをつくるこいつはなかなかのものにちがいない。その証拠に、カタチは不細工だが、高貴な色艶を放っている。惚れてしまった。

 7月13日(日)

 8日、宮内勝典さんを訪ねると、一年前にもらいそびれた挿し枝のゴムの木のことを、喜美子夫人ともども覚えていてくれた。当時は、この日録などに、惜しいことをした、悔しい、などと未練たらたらに書いたものだが、このときはもう忘れていた。だから、このことだけで十分に感動したのに、ベランダに並べられた鉢植えの中から、ともに一メートルほどの龍眼の幼木とゴムの木の鉢植えを、それぞれ慈しむようにだかえて、このふたつを持っていって下さい、と言ってくれたのである。

 この龍眼は、宮内さんによれば、「薩摩藩の薬草園跡(いまは、山川小学校になっている。山川の町は『南風』『火の降る日』などで生き生きと描かれている)にある、樹齢数百年の大樹(天然記念物)の実から、何代にも渡って育ってきた幼木」であるという。
  つまり、その大樹の実から育った樹齢50年の、叔母様の家の龍眼に成った実を食べ、11個の種を東京に持ってきて植えたところふたつだけが発芽した。そのうちのひとつだという。
 由々しきも、嬉しい来歴を、何回かに分けて聞くうちに、背筋がぶるっと震えてきた。元来が南方育ちのこの木が実がなるまでに成長してくれるよう、大事にしなければならない、と思ったからだが、一方で、畏れ多くも“結縁”という言葉も浮かんできたのである。

 次の日は、早朝から用事があったので、大きな贈り物に喜んでいる配偶者に置き場所を託して出かけた。夜に戻ってみると、ゴムの木は玄関のたたきに、龍眼は玄関の板の間、半間ほどの大きさの半透明ガラスの前に置いてあった。ここは、南に向いているので、晴れた日には一日中陽の光りが射し込む、サンルーム的な場所である。

 ところで、帰ってくるたびにこれらの木々が出迎えてくれるとなれば、また1つ嬉しさが加わった。

 7月20日(日)

 猛烈な暑さの中、近くのホームセンターに出かけ、10号の植木鉢を買ってきた。龍眼の幼木を植え替えるためである。

 先週の水曜日あたりから、上の葉が数枚枯れかかってきた。これは一大事と、金曜日に、樹木医をめざしている豊美園のOさんに電話をすると、早速現場から駆けつけてくれた。
 見るなり「ああ、これならまだまだ大丈夫ですよ。大きな鉢に植え替えて、外に出してやってください。一応、栄養剤も持ってきたんですが、止めときましょう」との診断だった。

「木もまたトライアンドエラーなんですよね。人間の病気と同じですね。あれこれ試みて、次に生かしていくことじゃないでしょうか。それで様子を見てください。変なことが起こったらまた連絡ください」

 そこで、ベッドと窓ひとつ隔てた縁台に置いた。その日の夕方には、雷が鳴って、雨も降った。次の日の土曜日に見ると、だらりと垂れ下がっていたてっぺんの葉が、もらってきた当時のようにピーンと水平に立ち上がってきたのであった。Oさんの言葉とともにはじめての試練を乗り越えられそうで、配偶者ともどもほっとし、今日の植え替えとなったのである。
 
 そして、黄色くなった葉も、緑のままに落ちた葉も、拾い集めてすまないことをしたと詫び、いま枝にある葉やこれから芽吹きはじめる葉に期待を寄せるのである。
  ベッドに横たわって、障子戸を開けると、目と鼻の先に龍眼の木がある。風を受けて葉先がゆらゆらと揺れている。秋になって、「肌寒くなってきた」ら、またもとの玄関におこうと思っている。いまそこには、ゴムの木がある。休みの日の今日などは、ふたつの木のそばに何度も何度も寄り添って、何するでもなく、ただみとれているのだった。

 7月27日(日)

 買い物を終えて車に戻ると同時に激しい雨が襲ってきた。路面がすでに冠水しはじめている道を走り、何かに追い立てられるように、十数分かけて家に戻った。点けっぱなしにしていたパソコンの電源が落ちているので、娘が雷を恐れて消したのかと思ったら、停電があったという。それも、二度。
 夕方には、今日こそ畑の草むしりをしようと決めていたが、またもやストップをかけられることとなった。それでも、いったん雨が止んだのを見逃さず、倒れたり、横に伸びたトマトや茄子を起こして、ひもで添え木に固定する作業をした。見るに見かねて、サツマイモの苗をおおう雑草を引き抜きに掛かった。するとまた、雨が降ってきたのだった。こんどは、前にもまして激しくなり、一気に暗くなった空が何度も光り、雷鳴が轟き、東風が吹き荒れた。

 久しぶりに自宅で遭遇する雷雨を、縁台に立って眺めていると、背後から風鈴の音が聞こえてきた。嵐と風鈴、いや、嵐の中の風鈴。この日の心象風景としては、はまりすぎていた。

                               

                         (ゴムの木)              (龍眼の幼木)
 
 


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