日  録 永遠のイメージ     

 2008年10月2日(木)

 台風もいつの間にか温帯低気圧に変わり、今日などは汗ばむほどの陽気となった。早朝から出かけていたが、寄り道しようか、いや、早く帰って龍眼の木を外に出さねば、などと自問自答していた。午後2時頃戻ると、すでに鉢は玄関の扉の前に置かれていた。陽を浴びて、実に気持ちよさそうである。またぞろ“半袖”に着替えて、小論文の添削と次回の課題作りをはじめた。ことしも、AO入試向けの、この“指導”に手を出してしまったのである。

 自宅に取り寄せた大学案内を“精読”していると、「生活と社会システム」「生活と環境」「生活と文化」の三本を柱に、どれも興味をそそる講義が並んでいる。家政学科、名前は古めかしいが、中身はとても現代的で新鮮、感心した。
 4,5年前、職場に「○○家政大学附属高校」の先生が訪ねてきて、
「この、家政、という文字を外すかどうかで悩んでいるんですよ。イメージから、生徒が集まらないのではないか、と危惧するわけでして……。どう思いますか?」
 と聞かれたことがあった。
「ここは、伝統の強みを逆手にとって、この名前で通した方がよいのではないですか」
 と答えたような気がする。けっして自慢ではないが、その学校はいまも「昔の名前」で繁盛している。

 10月5日(日)

 南東の隅っこ、モクレンの傍にある木の枝が道路に大きくはみ出して、かなり上とはいえ通る人や車には迷惑ではないか、おまけにハート形の葉には青虫が巣くっている、落ちてたまたま下にいた人の背中にでも入ったら大変、というので、枝切りを敢行した。
 植木バサミ、高枝バサミ、ノコギリを使って、二人がかりで、ばっさばっさと切り落としていった。やや白っぽい葉の裏には、たしかに成長した青虫が散見された。致命的な害虫ではないように思えた。やや太い枝は、庭の装飾などに使えるというので、とりおいたが、枝葉の量はゴミ袋6つにもなった。かなり見晴らしがよくなって、これからは特に朝陽が庭一面に降り注いでくる、とそっちの期待は高まった。
 ここに来た4年前には、高さ一メートルほどの切り株しか残っていなかったのが、そこからひこばえが出て、今やモクレンに負けないくらいの高さに成長しているのである。そんなこの木の名前がわからない。
 花も実も未だ見たことがないのだったが、ハート形の葉と早い成長を手がかりにインターネットで調べてみた。すると、この木はハコヤナギ、別名ヤマナラシではないか、と思えた。有名な北海道のは、西洋ポプラ、これは、いわば和製ポプラ、との記事も見つけた。また、中国では、この木には「揚」の字を当てる、ともあった。
 ほんとうにハコヤナギかどうかはこれからの日々でさらに検証していくつもりだが、この発見は嬉しかった。

 10月12日(日)


 昨日の昼過ぎに2枚、今日の朝に3枚、計5枚の障子紙を張り替えた。昨日は狭い部屋の中で場所を確保しながら悪戦苦闘した。なんて面倒なものを日本人は発明したのだろう、と思った。が、今日は縁台で、暖かい陽射しを背中に受けて、余裕綽々で作業をした。風さえ、心地よい。
 この四年間で、色は日焼けしてくすみ、そのうえところどころ破れている。原因は、こちらの寝相にあると言われても関知するところではないが、なかの一枚などは、破れた一角をリンドウの花柄の包装紙で繕ってあった。幸い内側の桟に貼り付けられていたので、そのまま残すことにした。ささやかなしゃれっ気であったかも知れない。経師屋とまではいかなくとも気分はすっかり職人のものになっていた。4枚で終わるところを、二階から一枚外してきて、おまけの作業をした。
 仔細に見れば、糊ははみ出しているわ、切り口はくねくね曲がっているわで、いかにも素人臭いが、部屋の中は、数倍明るくなった。インターネットで障子の歴史なども“勉強”して、やはり風流だね、わびもさびもあるね、と感心しきり。

 10月13日(月)

 江藤淳の『批評家の気儘な散歩』(新潮選書)を読んだ。本棚にずっと埋もれていたのをなにげなく取り出して、奥さんを亡くしたあとに自死を選んだのはいつだったか、などと考えつつ読み始めた。1969年1月から6月の講演録を元にしている(「講演体で書き下ろした」とあとがきには書かれている)のでベッドに寝転がりながら読めると思った。
 読み終えたいま、これはいささか不謹慎な動機だったと反省している。数えてみれば40年前の著作だが、ちっとも異和感がない。こちらの頭が古いせいかと何度も立ち止まったが、そうではないだろう。たとえば、デカルトの「われ思う、故にわれあり」に触れて、

 もう世界と人間との親和関係は崩れてしまった。人間の知覚できる世界は、deception(ごまかし)の世界であって、ほんとうの世界は人間の直接感覚では計り知れない遠くに行ってしまった、という喪失感と懐疑が根底にあって、はじめてデカルトの自己検証が開始された。その結果、意識の絶対性というところまで彼はいってしまったことになります。デカルトの懐疑は世界が人間から離れて行ってしまったという、空虚さの認識から生まれたのです。

 最終章「言葉の復権」 からもう一か所引用すれば、

 今日私どもは、永遠という概念、もしくは永遠のイメージを、私どもの内部にしか持っていない。そうであるなら、私どもはひとりひとりの永遠のイメージというか、私どもの中にかすかによどんでいる記憶をすくい出さなければならないのではないだろうか。(中略)
 そして私どもはやはり非常に自明な事実、つまりわれわれが生れてかつ死ぬのであるということに立ち帰らなければならない。さらに われわれが記憶の中にまだ永遠というものの残像をとどめているということを思い出さなければならない。われわれ自身の物語を、もし誰も書いてくれないとすれば、私どもが自分自身で書く以外にない。

 この本から、「古代のギリシア人が循環する世界の中を垂直に横切って行ったように、私どもをとりかこんでいる歴史に対して、垂直に動いていくという心がまえを持たなければいけない」という“課題”をもらった気分である。

 10月19日(日)

 二夜続けて夢のなかに出てきた人がすべてなつかしい人たちだった。記憶に残っているかぎりで言えば、二人は、かつての教え子、ひとりは、もう十何年も会っていない、もう一人はここ二,三ヵ月顔を合わせていない。抱き合わんばかりに再会を喜び相手の涙を誘いだしたり、家に招かれて談笑したり。さらについさっきは、十二年下の昔の同僚が現れた。大型バックを路面に引きずって歩いている。今度はどこへ行く? と訊けば「またアメリカ」と答える。じゃ、駅まで送るよ、と車に拾った。ほかにも、いろいろな人が出てきたが、いずれも自分の現在をリアルに反映しているところが特長だった。
「永遠のイメージ=私どもの中にかすかによどんでいる記憶」ということばに呪縛されたか、あるいは望郷の念か、と種々考えさせられる。
 もっとも、望郷といったところでこちらのは根も底も浅く、懐旧くらいの意味しかないが、つられて読んだ夫馬基彦氏の「白い秋の庭の」(『楽平・シンジ そして二つの短篇』所収)には、秋を生きる昆虫や木々がまるで目の前にあるかのように精緻に描かれていて、あらためて感嘆した。作品の主題は熊谷守一という画家の存在を、永遠の記憶に留めておくことで、そのためには、たとえば蟻の動きに「絵画」と拮抗するほどの「言葉」が必要だったのだろう。そして、その言葉こそ、流れ行く時間に対して垂直に突き刺さるものではないか、と思った。作者には、この人の物語を書くように促す衝動が、ことさらに強かったにちがいない、とも。

 10月21日(火)

 欅の森の中にある大学付属病院へ行くために、高麗川にかかる木の橋を渡った。マビオンで調べると、いままで通っていた、数百メートル北東にある橋には森戸橋というりっぱな名前がついているが、これにはない。このルートを教えてくれたとなりのTさんたちは「ガタガタ橋」と呼び慣わしているそうである。その名の通り、渡りきるまでの数秒間、木と木をつなぐ一メートルおきの金具がひっきりなしに音を立てた。
 しかも、川面すれすれである。両側の淵からいまにも水しぶきがふりかかるような気がする。渡り終わるとやや勾配のある坂になり、ほどなく大学の正門にいたる。学生で込み合う、狭い駅前を避けられるだけで随分と気が楽なうえに、人が人の便利のために手作りしたような、生活の匂い立つ橋に出逢えた。車で渡るのは少々気が引けたものである。

 10月25日(土)

 昨日職場に、メールを通じて小論文の添削指導をしている当の女子高生がひょっこりと現れた。
 AO入試の方は、一次試験(書類選考)の結果待ちで、これをパスすれば11月8日に小論文と面接の二次試験がある。前者が40%、後者60%の比率で選考されるということらしい。そのせいか、あるいは、のんびりとした性格のせいか、まだ3本しか書いていない。4つ目がまだ届かない。去年は10の課題を与えて、それぞれ一回ずつ書き直させていたことを思えば、ずいぶん悠長なものである。
「どうした?」と訊けば、案の定「学校のテストがあるので、それが終わるまで締め切りを延ばしてもらおうと思って来ました」と言う。そんなことならわざわざ来なくともメールで済ませられたのに、と言おうとすると、
「家に戻ってから定期を落としたことに気付いて、探しながら来た道をたどり、駅前の駐輪場の出口に落ちているのを見つけ、その帰りなんです。ふらっと立ち寄ってみました」
 と“真相”を話した。
「それは運がよかった」と話は逸れていった。来春までの定期だというから、なくすと被害甚大。
 帰ったあとにふと思いついてメールした。
「言い忘れたジョークがあった。帰り道で定期落とすなよ!」
 ほどなく「ちゃんとあるかどうか、思わず確かめてみましたよ」、冷や汗の飛び交う顔の絵を添えた返事が来た。              
  
 


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