日  録 デジャビュ、のような。       

 2008年12月2日(火)

 きのう、所用を済ませて戻ると、庭に折り畳み式のアルミ製のはしごが、長く伸ばしたまま横たわっていた。どうしたの、と訊けば、「貸してもらった。そのまま使えるようにしておいてもらった」となどと言う。
 かくて、柿やアオキ(?)の木の上の枝をばっさりと切ることとなった。四年の間に、ずいぶん高くなり、横枝も伸びて、それはそれで暴風の役目も果たしてきたが、道路にはみ出したり、隣のキンモクセイを隠したり、と弊害も目立つようになった。常緑樹のアオキ(?)は、たくさんの赤い実をつけた枝葉のなかに潜り込むようにしてノコギリを使い、太い幹を上から二メートルほど切った。横に伸びた枝も、どんどん切り落としていくと、かなりすっきりとなったが、虎刈り然として、きれいとは言えない。また春になれば、新しい芽が出て、カタチが整っていくことに期待することにした。(注・アオキ(?)は木の名前がいまだ判明しないため。アオキにしては、背が高すぎる。クロガネモチかも知れないがこれにも?がつく。赤い実で検索したら、191000件がヒットした。同定はむつかしいものだ)

 はしごに登ってみて、山鳩の巣を上から覗くことができた。柿とアオキ(?)の間に植わっているその木だけは、ノコギリの刃を入れなかった。今年は、生んだ卵がことごとくカラスに食われるという不幸な目にあったが、仲のよい山鳩夫婦が、また戻ってくるかも知れないと考えるからだった。いっそ、木箱を作って巣の上に置いてやりたいなぁ、と言うと、「それは良い考えかも知れない」と配偶者も同意した。

 12月11日(木)

 前の農地を借りて野菜を作っている四家族で「収穫祭」を行ったのは、先の日曜日。鉄板で鮭と野菜のチャンプルを焼き、大鍋でけんちん汁を作って(もらって)食べた。ほかにも、各家が持ち寄ったサツマイモ、マメ科のアビオス、大根、ブロッコリー、お漬物などがテーブルに並べられ、まさに野菜づくしである。こちらは一区画でも十分広く感じているが、他の人たちは二,三区画借りて、興味の向くままにあれやこれやを育てて楽しんでいるようである。出来、不出来はあるが、それもまた、創造のうちか、という気がして、食べ物も旨かったが話を聞いても教えられることが多かった。
 今日大根畑を見ると、ちょっと今年は細身だなぁ、などといっぱしに嘆いてみた二週間前よりも数段太くなっている。やっと大根らしくなってきた、つまり期待を裏切らなかったのだ、とこれにも感心した。

 里中智沙さんの詩集『手童(たわらは)のごと』(ミッドナイト・プレス刊)が送られてきた。未知の詩人だが古典に材を採ったことばの世界はおおいに興をそそられる。帯のコピー「さすらうものたちが往還する舞台を、いま、一天の光りが遍照する。」を裏切らない予感がする。楽しみでもある。

 12月15日(月)

 未明からの冷たい雨が昼過ぎまで降り続いた日曜日、門柱脇の穴を埋めなければ、と突然思った。晴れ間が覗くようになった午後3時過ぎに、近くのホームセンターに行き、直方体のレンガ10個と五色砂15キロを買ってきた。
 レンガを敷き詰めて、すき間を土と砂で埋めていこうという心積もりであった。これくらいあれば十分だろう。もともと、雨が降って弱くなった土壌の上に車が通ってできた穴である。
 春先には、そこに溜まった雨水で山鳩夫婦が水浴びをしていたことがある。次の春にその記憶をたよりにやってくる彼らには悪いが、しかも半日も経てば、水はなくなり、特に不都合はないが、なぜか埋めてみたくなったのである。

 作業に入ってみると、まず水たまりが予想以上に大きいことに驚いた。水をくみ出すことからはじめたものの途中で諦め、近くの地面から掘り起こしてきた土を水の中に入れた。どろどろの状態になったところで、一番深いところにレンガを並べ、すき間に砂を撒いていった。
 ところが、レンガでおおわれた部分は穴の半分にも満たないのである。埋まったという感じは、少しもしない。穴は健在、長靴で踏みしめると、ずぶりとめり込む。土木作業というよりは、泥遊びをしているような気になった。ここで、日が暮れた。

 今日、レンガ6個と五色砂をもう一袋買い足した。いつもこうなる。つまり計画性がないのである。ともあれ、穴はまだ乾いていなかったので、レンガを嵌めこみ、砂を土の中に埋め込んだ。あとは、土が乾くのを待つばかりとなった。
  この穴に関して、雨上がりに入れた土が数日後固くなっている、ということがあった。雨降って地固まる、というのは本当のことなんだ、と小さな感動を覚えたものだった。今回も、それに、 つまり、自然の力に最後は望みをつなぐことになりそうである。

 12月29日(月)

 秩父の山並みを仰ぎ見るところに住んでいるので天気予報などは「さいたま」でも「熊谷」でもなく秩父地方のそれについ耳をそばだててしまう。二日ほど前、最低気温が氷点下6度、というからこれには驚いた。他よりも、五度も低い。
  ここは戦争が終わるまで空軍の練習飛行場だったというだけあって真っ平らなので、実際はそんなにも下がりはしなかった。他の二地点から1、2度引けば実状に近いと頭では考えられるが、実感としては、どうしても「秩父地方」になってしまう。やはり毎日目に入る北東から北西にかけての山の存在が大きいのだろう。晴れた日の朝夕には真西あたりに富士山も見える。
 けさも冷えた。まさに最低気温になる午前4時、大根を引き抜いて、人にあげようと思った。畑にはまだ、数十本が植わっている。
 さて、と手をかけようとすれば、触る前からパリパリと音がする。全体が凍りついて、殊に葉はガラス細工の如し、である。それでも、地上に出た首の部分を持って引き抜こうとした。びくともしなかった。畏るべし、秩父地方。風に飛ばされていた霜除けのビニールシートを元に戻して、早々に退散した。
 師匠のTさんにその顛末を配偶者が話したところ、「冬の朝はダメよ」と笑っていたという。

 12月31日(水)

 午後三時頃、駐車場への長い列に付いて、やっと車を停め、近くのデパートの入り口に行くと、かつての住まいで上の階にいた人がいましもそこを足早に通り過ぎるところであった。
  ○○さん、と声を掛ける。奥さんもご一緒ですか、などと訊けば「いえ、わたしはこれから仕事です。この先に勤め先があって、今日は夜勤なんです」
 人もわれと同じ、と考える浅はかさに、恥じ入っていると「ほら、なんとか神社、の近くですよ。歩いて通っています。30分かかりますが」と説明してくれた。
「高麗神社ですか」
「そう、そう」
「遠いじゃないですか」
「もう慣れました。健康にもいいですよ」
 生活の根幹となる「水の管理」の仕事と訊いていたことも思い出され、大晦日も正月も関係ないんだ、と頭も下がった。
 少し時間が経ってみると、この場面はたしか二、三度経験したことがあるような気がしてきたのである。一度は、足早に通り過ぎる姿を見かけただけで声を掛けるいとまもなかった。あとは、今回と同じ会話を交わして、ていねいに頭を下げて、別れている。
 デジャビュ、と言えば、この一年の日々が、すべてそうだったような気もしないではない。新しい年に、期待しよう。      
 


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