日  録 「一秒一秒」を大切に   

 2009年1月4日(日)

 年賀状も書かずに、新しい年を迎えてしまった。三が日のうちに書こうと思いつつも、つい穏やかすぎる時を過ごしていた。今年は、1日午前9時(日本時間)に全世界一斉にうるう秒が挿入されたという。テレビでは、天文台(?)前の電光時刻板の前に大勢の人が集まり、決定的な瞬間を待ち構えていた。その中の、高校生らしきひとりが「新しい年は、一秒一秒を大切に生きていこうと思います」と言っていた。当意即妙なコメントだと思い、感心した。

 2日に、何年ぶりかで家族が全員揃ったので高麗神社に初詣で。夕方暗くなってから、明日早朝京都へ行くという息子を吉祥寺まで送っていった。車に、本やらお米やらトイレットペーパーやら、殺風景な部屋には必要だからと、宮内さんからもらったゴムの木をひとつ積んで出発した。
 所沢に入ったところで少し道に迷ってもとの街道に戻るまでに行ったり来たりを繰り返した。すると、助手席の息子がGPS機能のついた携帯電話を差し出して、いまこの辺だからまっすぐ行って、次の交叉点を左に曲がると都道4号線、さらに12号線を経由して、井の頭通りに出ればいい、などとナビをしてくれることになった。
  ここが本当にその場所かどうか、いま話題のSVも開いて見せる。写真は昼間のものだったが、たしかに歩道橋の横に同じビルが映っているのを確かめて、納得以上に、感動したのだった。

 佐藤友哉「デンデラ」(新潮1月号、620枚)を読んでいるが、三分の一くらいのところからほとんど進まなくなった。題材が暗すぎて2、3頁も読むと、滅入ってくるのである。それでも、寝る前に手に取ってみるのは、何かしら想像力を喚起する力が文章にあるからだ。おかげで、小説の結末が見えてきた。こちらのアイデアのコンセプトは、新しい年同様に“希望”である。

 みなさん、ことしも、よろしくご厚誼のほどお願いします。

 1月10日(土)

 澄み渡った空に皓々とした月のあかり。ことしは満月の日(11日が月齢14.6、らしい)に誕生日を迎えることとなった。
 電話でケーキを注文した。漫才師の大助に似た店主パティシェが作るこのケーキはなかなか美味いのである。家の者らの喜ぶ顔を想像しながら、名前は? ろうそくは何本? と訊かれ、それぞれまともに答えた。前夜「自分でケーキを用意し、自分でろうそくを立てて、となればまるでひとりパーティだなぁ」と面白がっていると「勝手に、やれば」とすげなかった娘も、シャープペンシルとペンケースと手帖(無印良品)をくれた。プレゼント用に包装を、と頼んだとき、まさかこれらが「父の還暦」のお祝いだとは店員も気づきはしなかっただろう、とこちらも洒落っけたっぷりであった。
 手帖のこの日の欄に「かぐや姫でもあるまいに、よりによって満月」と、とりあえず書いておいた。

 1月17日(土)

 自分の乗った飛行機が不時着する“夢”を見た。どんどん降下して、背後から煙が襲ってきて、これはいよいよダメだぞ、前の座席の背もたれにしがみつきながら呟いていた。となりに誰かがいたが、誰だったか思い出せない。夢でよかったと、醒めてほっとしたとき、なにげなくBSの海外ニュースをみていると、川にぽっかりと浮かぶ機体が目に入った。ハドソン川の奇跡と命名されることになる現実の事故だった。何という暗合か、と思わず夢の中身を反芻した。配偶者に話すと「ふーん」と神妙な顔をしていた。別に予知したわけではないが「うそつき」と指弾されてもやむを得ない場面ではあった。
 ただこれまでほんの数回しか乗ったことがない飛行機にまつわる夢だからこその奇妙さはある。そういえば前にも、田んぼの中に墜落していた小型機に乗り込んで、見事エンジンを始動させて飛び立つ夢を見たこともあった。

 1月22日(木)

 今年もまた、姉経由で若宮神社の新しい御札が送られてきた。早速昨年の御札と入れ替えた。さらに、それを車のサンバイザーにはさんであったものと交換した。この一昨年の御札は、これでお役御免となるが、神棚の横に立てかけておく。何年にもわたって繰り返してきた“順送り”によって、古い御札がいくつもになっている。本来は、どんとやきの日に焼いてもらえばいいのだが、何となくしそびれている。
 それぞれに由縁がある、と思えばなかなか持ち出す勇気が出ない。
 一昨年までは、簡単な手紙を添えて母が送ってくれていた。昨年からはときどき帰省する大阪の姉に頼んでくれるようになった。ことし末弟が一年神主を勤めている義兄が、「早く送ってやれー」と姉を急かし、待てずに自分で投函してくれたという。思えば一昨年、御札に同封されていた母の手紙には、「もう自分のことで精一杯の状態です」と弱気なことが書かれていた。それでも、遠くにいる者らの息災を願って御札送りを忘れないでいてくれるのだった。
 義兄の意志も、母の思いも、ともに、もったいなくも、ありがたいこと、と思えるのだ。

 1月25日(日)

 昨日の午後一時すぎ、T字路を左折して右手の農業大学校の塀に突き当たる道に入った途端、風に舞い上がる雪がフロントガラスを襲ってきた。それまで両側を雑木林に囲まれた道路を走っていたから余計に、唐突な出現となった。
  圏央道をくぐって、対向車とすれ違うのがやっとの細い道を抜けるまでの一、二分間、少ないながら乱舞は続いた。いよいよ初雪、と心ときめかせてさらに家路を急いだが、ゆるい坂になった国道407を越えたあたりで、ぱたりと已んだ。
 雪が已んだところは左側に点在する民家、右側には梅林と茶畑が広がっている。家まであと五〇〇メートルほどのところである。
 まるでまぼろしだったような、はかなくも、かそけき初雪。これでは、誰に報告しようもない。ひとり、胸の内に留めておくしかない。
 と思いつつ、西方の山並みを見上げると、そこだけ黒い雲がかぶさっている。今日のところ秩父おろしは、たったあれだけの雪を運ぶので、精一杯だったのか。