日  録 未明の大雪       

 2009年2月5日(木)

 食後に伊予かんをまるまるひとつ食べ切った直後から、喉が痛くなり、咳が出始め、声が掠れはじめた。すわ風邪か、と慌ててルルを飲んだ。それが3日前の月曜日の夜のことで、次の日からマスクをして出歩く羽目になった。幸いそれ以上悪くならず、終息に向かっていると思われるが、伊予かんの名誉のために書き記しておくと、先週の金曜日に30分ほど対面して話した人が、コホンコホンと、いまの自分と同じ空咳のような咳をしていたのである。そこで「感染」したのにちがいない。伊予かんは、いわば触媒だったのかも知れない。
 昨日授業中に、熱もないしインフルエンザではないよな、と言うと、それを経験したばかりの小学五年生が「熱が出ないインフルエンザもあるから、気を付けた方がいいよ」と大人びた忠告をしてくれた。「よく知っているな」と感心して褒めると「だって、お母さんが薬剤師なんだもん」と言う。女子児童などは「かわいいマスクだね」とこれもおばさん風の口調でコメントしてくれる。パンデミックに供えて(?)配偶者が常備しているものを拝借しているのである。「だって、女性用のマスクだもん」と答えると、その子は笑うでもなく、頷いていた。

 2月9日(月)

 もうすっかり黄ばんでしまった雑誌を机の下、つまり足元から取り出し、はて何が目当てでこれを買ったのだったか、ここまで生き残ってきた理由は? などの“興味”が湧いて目次を丹念に見ていった。『新潮』1992年11月号である。17年も前なので、目次からは見当もつかない。そこでいくつかを読んでみたが、どれもはじめて読むような小説であり、エッセーであり、詩であるのだった。記憶の琴線には触れてこない。
“興味”からはすぐに離れて、津村節子「茜色の戦記」330枚に挑みはじめた。これだけは当時絶対に読んでいないはずだった。
  昭和17,8年、敗戦に向かう戦局のなかでの、新宿にあった府立高等女学校の生徒たちの青春が描かれている。自伝的なものだろうと思われるが、自身の記憶を考証するように、当時の資料を調べ尽くしたあとがあり、読んでいて安心感があり、また、引き込まれていきもする。
 たとえば、昭和17年4月、はじめての東京空襲について「敵機撃墜数は九機にして我が方の損害軽微なる模様」という東部軍司令部の発表に対して、「晴天の見晴らしのきく空であったのに、墜落する敵機を見た市民は一人もいなかったし、撃墜された敵機を発見した者もいなかった。九機は、空気だった、という批判が広まっていった。」という風に。
 また「私たちの学校の制服は、(中略)上衣丈とスカート丈は一対一の比率でなければならなかった」 のところでは、頭の中で測りながら、想像してみたほどだった。いまどきの女子高生ならば「わっ、ナガ」と絶句するだろうと思うと、少し可笑しかった。

 2月16日(月)

 昨日、近く畑を耕すことになるというので、土の中に埋めて保存しておいた里芋を掘り返した。スコップはさすがに憚られ、素手で掻き分けて、取り出した。それが今夜の食卓に出てきた。秋の収穫時と変わらぬ旨さに、先人の知恵の深さ、野菜の偉大さに、改めて感動した。
 少し前のことになるが、入院中の兄へのお見舞いに熊本は八代の特産品という「晩白柚」(BAN・PEI・U)を持っていった。店頭で見たときは、人の頭ほどもある、その大きさにビックリした。珍しいから、これがいい、と即座に決めたのだった。
  ウィキペディア(Wikipedia)には、
[ミカン科の果物の一種で、ザボンの一品種。名前は、晩(晩生)・白(果肉が白っぽい)・柚(中国語で丸い柑橘という意味)に由来する。 日本には1920年に植物学者の島田弥市が、現在のベトナムの船上で食べた柑橘があまりにも美味しくて、サイゴンの植物園から株を分けて伝わった。しかし、当時は栽培法がわからず普及には至らなかった。1930年に台湾から鹿児島県果樹試験場に株が導入され、最適産地の熊本県八代市地区に根付き、現在は八代市の特産品となっている。]
 と記載されていた。
 一本の木にいくつもの巨大柚子がぶら下がっている姿を想像すると、これもまた、偉大と言わざるを得ない。

 2月21日(土)

 20日金曜日未明(午前3時30分)、外に出ると、一転、雪の世界であった。なおも大粒の雪がずんずんと降り注いでいる。車の上にも5、6センチ積もった雪を素手で払い落としながら、すり減ったタイヤでこれから車を運転することの不安よりも、初雪に遭遇できたよろこびの方が大きかった。日中の温かさから、何年か前のように雪を見ないまま冬が終わってしまうような気がしていたからだった。事実この雪は、水気をたっぷりと含んだ、べちょべちょの雪で、車で所用を済ませる一時間くらいは降っていたがその後止んだようだった。陽の射しはじめたお昼頃には、路面はもとより、庭からも畑からも跡形もなく消えてしまった。

 出かけた先々で、「すごい雪でしたね」と話しかけると、こちら(所沢や、志木近辺)は降らなかったですよ、とキョトンとされる。板橋に住んでいる生徒に聞いても「ずっと雨だったよ」という返事だった。この生徒は「雪、いいなぁ。見たかった」と残念がるのである。「こんなことなら、写真に撮っておけば良かった」 と答えながら、誰彼とこのよろこびを共有したがっていたことに気付いた。子供のような心、と言うべきか、寂しい心と言うべきか。