日  録 枯れ枝からの復活


 2009年4月3日(金)

 さよならの合図に上げた左手の掌に、右の掌を合わせ、コンマ何秒かのぬくもりに、ときめいた。それが、まだ風が冷たかった一昨日のことで、今日はついに春うらら、長く屋内にいた龍眼の木を朝から玄関口に出して直接の陽に当てている。芽を出せ、花を咲かせよ、とつい祈りたくなる。
 先月末には、ジャガイモに続いて、ヤーコンを一列十数メートルの長きにわたって植え、さらに里芋を植え付けた。当方担当の農作業としては、サツマイモを残すのみだが、植えながら収穫をイメージできるようになったのは、多少の進歩だろうか。もっとも、野ネズミ、モグラに要注意、であるのだが。

 4月9日(木)

 夕方、煙草を買いに行く途中なにげなく畑を見ると、ジャガイモの芽が出ていた。七列の畝のうちの一列だけだったが、開花宣言に倣って言えば、「去年より3日遅い」出現である。日中は夏日を記録したところもあると言い、このあたりも初夏を思わせる、もはや暑いくらいの陽気だった。土の中でもたもたしていられない、と種芋も思ったのかも知れない。ただし、この頃から西風が強く吹いて、気温も一気に下がってきた。明け方の予想最低気温がひと桁、霜注意報も出ているので、地上の芽には、まだ試練の時は続くのだろう。
 今宵が、満月。夜桜にはもってこいだが、花びらの乱舞を縫って、ただ駆け抜けるのみ、と云々。
 
 4月11日(土)

 去年の秋以来ずっと、洗面台の横に置き放しだった銀杏の枝からついに芽が吹き出してきた。近くの池尻池(高倉池とも呼ばれる)のまわりに植えられている若い木から小枝を折って持ち帰り、水にさしておいたのである。畑の彼方にある大木の見事な黄葉を見上げて「あんなのもあればいいけど、なかなか苗木も売っていない」と配偶者が言うので、「枝を折ってきて水に差しておけば簡単に芽が出るよ」と受け売りで答えたのがきっかけだった。それが晩秋のことで、顔や手を洗うたびに観察してきたがいっこうに芽も根も出る気配がなかった。やはり枯れ木は枯れ木、ダメなのか、と諦めかけたときもあった。それでも、水が減れば補充し、わずかな望みに賭けていた。ちょうど半年、根よりも先に、枝の突端から、黄緑色の芽が顔を覗かせたのである。予想外の場所からの復活だった。
 この夜遅くなってから若い友人らと飲食、物理的な年齢は不可逆だとしても、大いに精神的な復活になり得た。帰りがけには、スタバの高級コーヒー(「スマトラ シボロンボロン」何ともまろやかな味で感動した)と阪神タイガーズ「新井のユニフォーム」まで貰ってしまった。もとより、元広島カープの新井である。

 4月16日(木)

 枯れ枝から復活した銀杏の芽を見ていると、その成長の早さに驚かされる。こんもりとした扁平球形のつぼみが開いて、そこから飛び出してきた葉は、イチョウのカタチ、をしている。遊離脈も確認できないほどの小ささ(横幅5ミリほど)なのに、もう一丁前のイチョウなのである。あまりにもけなげすぎて、つい愛おしくなってくる。
 午後、そんな感想を、写真を添えてメールしたのがきっかけで、返信を重ねて、「Re:Re:Re:Re:Re:元気ですか」までいった。さながらチャット状態であった。

 キュウリ、トマト、ナス、ズッキーニなどを植えるための畝づくりに途中から加わり、土まみれになっていると、郵便屋さんが見慣れた封筒を持って目の前を通過した。一ヵ月前に投稿した文が、期待通り採用されたとわかり、さらに明るい気持ちになってそのまま一時間ほど作業を続けた。

 4月18日(土)

 枯れ木から新芽が出て、小さいながらも、イチョウはイチョウ、と感心し、また愛おしくもある旨、他の用件のついでにTに写真を添付したところ、一日経った今日、「上司たちの放置プレイに荒れているので癒されました…」との返事があった。どんな組織でも、下から上に立つ者のビヘイビアを眺めれば、定見のなさが数限りなく目に付く。ときには迷走とも思える。「ぼくらの意見を、ことごとくつぶしてしまうじゃないですか」とかつて会議の席で憤っていた若い同僚の顔も思い浮かんだ。Tもまた、そんな狭間で、苦闘の日々か、やはり愛しき者、それにしても放置プレイとは言い得て妙であった。銀杏異聞。

 4月21日(火)

 夜になって本降り。数時間後には已んだが、昨日が24節気の「穀雨」だったというから、一日遅れの恵みの雨だったのかも知れない。
 昨日は、苗を植える前の方が作りやすいというので、キュウリ、トマト、ナスの、実を付けたときに枝を支える木組みをこしらえた。2メートルの棒を何本か土に挿していき、畝の真ん中に棒を渡して、交叉するところをひもで結んで……。
 去年の「設計図」があるとはいえ、なんとも心許なく、ふたりして同時によその畑を見回したが、見本となるものはなかった。先陣を切っていたのであった。
 高さは不揃いだが、ぐらつかない程度には作ることが出来た。近くで見ると、微妙に歪んでいるなどの粗も目立つが、道路の反対側から遠望すれば、まずは様になっていた。
 そのあと、カレンダーの上段「4月の栞、農事」の欄をなにげなく見ていると「茄子、胡瓜の鞍築き」とあった。そうか、鞍を作ったのか、と納得してしまった。

 4月24日(金)

 くさなぎ君が釈放された。これは、当然である。
 鳩山総務大臣は「地デジのコマーシャルに汚点をつけたから」と激しい怒りをぶつけた。昨日会見の様子をテレビで見て唖然とした。想像力が貧困なうえに、惻隠の情に欠ける人だと改めて失望した。
 そもそも逮捕する必要があったのかどうかも疑問である。“酔うて候”の果ての奇行が、手錠姿を人前にさらすほどの「犯罪」とは思えない。誰しも身に覚えのあることではないだろうか。「まだ夜風は冷たい、風邪引くから早く服を着て、家に帰りなさい」と労るのが人情というものだろう。小さい頃ラジオからよく流れていた、若いお巡りさんという歌の世界は、もはや日本にはないのか。つくづく警察国家になり果てたと言うべきか。

 4月25日(土)

 このところ人から遠ざかっている気がして、孤独な感じが増していた。春なのに、勿体ない。春ゆえに、寂寥たり、か。いま話題の安藤礼二「霊獣 『死者の書』完結編」(『新潮』五月号)を読んだあとだけに、そんな気分が加速したのだろうか。今日は、ごく近所で塾をはじめたばかりの人に会った。40前後の働き盛りだが、業界人特有のぎらぎらしたところがなく、波長が合った。経歴を訊けば、二年前まで政治の世界にいて、落選を機に開業したという。そこもまた、独得の世界だろうに、染まった気配はない。異才、かも知れない。真贋はともかく、久々に人に逢った、という気持ちが強いのだった。

 4月29日(水)

 北に帰っていったのか、ジョウビタキの姿を見かけなくなった。やってきたのは早春のいっときだったなぁ、と時ならぬ感傷に浸っていると、「ツバメが一羽、軒下にきたよ」と配偶者が教えてくれた。きっと偵察に来たんだ、というのが彼女の推理である。なんという吉兆、と叫んで、飛び起きたが、目撃は出来なかった。昔この家にはツバメの巣があったという近所の人の言葉が思い出され、お目に叶うと良いなぁ、とも思ったのだった。
 それがもう何日も前のことで、いまだ再来の兆しはない。が、希望を捨てたわけではない。庇の付け根は、外敵からヒナを守るには恰好の場所だが、少し低すぎるかも知れない、その代わりエサは豊富なんだがなぁ、などとツバメの身になって考えたりするのである。
 庇を支える鉄の棟棒にできた空洞には、二年前から、何匹ものスズメが出入りしている。中を覗いたわけではないが、きっと巣(塒)があると睨んでいる。スズメは住人を警戒するが、行動はチュンチュン鳴いて、傍若無人に見える。ここに、貴婦人のようなツバメが巣を作ってくれれば、世間さながらの軒下になるわけである。