日  録 晴耕雨読の閾まだし?       

 2009年5月2日(土)

 このところ曜日の感覚から見離されている。朝起きて、新聞で確かめて、あれ? と思うこともある。別段「毎日が日曜日」の境遇ではないのだが、いつも同じような日常が、そう思わせるのかも知れない。暦には、赤い数字が4つ並んでいる。連休後半だと世間はいうが、こちらには曜日のない日常が続くのみであろうか。

 5月5日(火)

 久々に雨が降り、玄関を出ると、ちょうど通りかかった近所の人に「いい雨ですよね」と声を掛けると、「ああ、その通り。これぞ恵みの雨ですよ」と応答してくれて、軽やかな足取りで自分の畑に入っていった。
  この人は、自分で作った野菜を道路脇に「野菜直売所」を建てて、売っている。もう3年ほどが経つだろうか。評判もなかなかのものらしい。
 それはともかくわが家の畑も、ジャガイモ、里芋、茄子、胡瓜、トマト、スイカ、枝豆、レタスなど、植えるべきほどの野菜はすべて植え、あとは育てる段階に入っている。昨日あたりは、表面の土がひび割れているのを発見して、慌てて水を遣ったような次第である。もっとも、園芸用の如雨露で湿らせる程度だったから、今日の雨は、まさに慈雨である。
 また昨日は、ホームセンターに行ったついでに、ほとんど衝動的にプラムの苗木を買ってきた。もう夕暮れが近かったが、梅の木のそばに、大きな穴を掘って、植えたのだった。何年後になるかわからないが、花が咲いて、鈴なりの実を食べることができればさぞ愉しいだろう。植えたあとには、こちらはたっぷりと水を遣った。そして今日の雨だから、プラムの苗木にもいい雨である。昨日から玄関先に出すようにした龍眼の木も、風に吹かれ、雨に打たれ、心地よさそうに見える。

 5月8日(金)

 雨が降ったり止んだりの一日だったが、夕刻になってついに晴れ間が覗いた。すると南東の空に太くて短い虹が見えた。車を路肩に停めて、携帯で写真を撮った。十数分後、家に着いても、まだ出ていて、部活帰りの近所の中学生に教えると、「あ、ホントだ」と感動を共有してくれた。写真はうまく撮れなかったが、空に虹を見るなんて、何年ぶりのことだろうか。配偶者にも、外に出るように促すと、「庭で水を撒いているときに、しょっちゅう見ているから、いい」などと言う。確かにホースから勢いよく飛び出す水の膜に虹が映るのである。大空の虹とはまたちがう気もしたが、虹は虹、どちらもニセモノであるわけはない。

 5月9日(土)

 ジャガイモの背丈が日に日に伸びていく。そこで、この日は、土寄せを行った。土寄せというのは、畝の両脇の、こんもりと盛り上がった土を崩して茎の根元に集めていく作業である。三角の鍬でさらっと土を掬って、そのまま根元にずらせばいい。全部で七列あるから、腰にくるけっこうな作業ではある。両脇が溝になるくらい寄せればいいと言われていたが、土をもろにかぶることになる下の葉が気の毒になって、その腰がつい引けてしまう。溝にはならず、ほぼ平らになったところで、完了とした。達成感もあり、たのしかった。

 終えたあと、近所の人と話していると、「うちの人なんて、鍬を使えばいいのに、両手で土を寄せたらしいんですよ。指のあとが残っているから、問いただすと、そうだという。よっぽど大変なのにねぇ」と言うではないか。生真面目そうなその人が、屈み込んだ姿勢で、一茎ずつに土をかぶせていく姿を想像すると、どこかなつかしい感じがした。それは、とてもいい風景に思われ、こんど真似をしたくなった。

 5月12日(火)

 3日ほど前からのどが“いがらっぽく”なり、鼻水が出るようになった。ときおり咳こむ程度で、熱はない。こんな症状に見舞われるのは随分久しぶりのような気がする。ちょっと気の早い「暑気あたり」かと思い、なんの手当をすることなく、ほったらかしにしている。いずれ已むであろうが、こんな状態だとやはり集中力は続かないものである。

 前のホームページのプロバイダーが10月31日をもってサービスを打ち切るというので、同じ会社の別のアカウントをとって移行することを思いついたのが半月ほど前。まだまだ先のことだから慌てることはあるまいと思いつつ、やるなら一気にやらないと不便である、と相反する考えを抱き、ついに決断したものの、さまざまな設定などの作業からも遠ざかっていたので、サポートデスクやEightの助けを借りねばならなかった。
 指摘されることのひとつひとつが、ああそう言えばそんなこともやった気がする、とあとで気付き、自ら手順を思い出すことはついになかった。7、8年も経てば、きれいに忘れ果てているものだなぁ、と呆れかえることしきりであった。インターネットの文法に浸かりきりだったことが、今回の風邪に似た症状(新型インフルではないと思う)の引き金だった気がしないでもない。

 5月14日(木)

 一転、北風が吹き、夜になると寒くさえ感じられた。咳がひどくなり、ついに葛根湯に手を出した。まずは腹ごしらえと、パンを食べてから説明書きを読むと、「なるべく空腹時に服用下さい」とある。効用書きも「初期のかぜ、はなみず、かぜによる頭痛・肩こり」とある。ちぐはぐな感じはするが、カッコントウという響きがこの躯に刷り込まれているのか、つい手が出るわけである。

 5月16日(土)

 新型インフルの国内感染が見つかった。早いなぁ、というのが実感だが、こんなものだろう、むしろ遅いくらいだ、と言われればそうかも知れない、と納得する。子供の遊びが昔でさえあっという間に全国に広まったくらいだから、と見当ちがいな例も思い浮かぶ。こんどの場合は、人の言葉(いわゆる口コミ)ではなく、どこに潜み、どこからどこへ飛んでゆくのか、見当もつかないウイルスである。それを相手に、戦々兢々の日々が続くわけである。目下感染の中心にある「高校生」、医療・行政の担当者には心の底からエールを送りたい思いである。
 一方で、一週間ぶりに喉の痛みと咳から解放された身は、言葉とウイルスの近似性に思いを馳せる。

 5月18日(月)

 昼過ぎ、早朝の仕事から戻ると「ジャガイモの土の盛り方がまだ足りないらしいよ」と言われる。ちょうど外にいた師匠に聞けば「十分盛っておいた方が掘るときに楽なんですよ」とのアドバイスが返ってきた。
 かくて、4度目の「土寄せ」にとりかかる。掘りおこさなければ、寄せる土がない。深い溝になるくらいがいいんです、という言葉を思い出しながら、三角鍬で、掘っては寄せ、を繰り返した。途中で追肥を忘れたので、七畝に撒いたあと、下の葉を警戒しながら、さらに寄せていった。

 すでに花が咲きはじめ、ジャガイモ畑はすでにジャガイモの匂いがするのだった。そんなことを思っていると、小イモがひとつ顔を出した。ころりと顕れた感じだった。土寄せが足りなかった証だが、それには触れず、もうイモが出来ているんですね、と師匠に見せた。実際、感動的な出逢いだった。
 作業を終えて家にもどると、シャツの袖口に毛虫が一匹付いていた。毛虫といっても、テントウムシの幼虫であった。近くのツルバラの根元に離してやった。アブラムシ退治に精を出してくれるかも知れない。

 5月22日(金)

 朝から強い南風が吹き、ずっと已む気配がない。たまりかねて昼過ぎに、玄関先の龍眼を中に入れた。まだ幼木、と思えば強風に耐える姿が痛々しかったからだ。

 一昨日、マスクを探し求めて数軒のお店を廻った。最初のお店には「好評につき売り切れました」との張り紙があった。「好評につき」はちょっとちがうんじゃないのか、と思った。それからのどの店も「完売、入荷未定」であった。最後に入ったスーパーには、レジの手前に、少しオプションのついた3枚組(ちょっと高目)のマスクが10箱ばかりぶら下がっていた。やはり張り紙があって「なるべく多くのお客さんに行き渡るように、お一人様でたくさんお買いになるのはお控え下さい」とあった。これは理に叶っている。3個だけにしたが、これでも多かったかも知れない、と少し悩んだ。

 5月25日(月)

 今日などは「525」、数字の並びがきれいだから、つい何かの記念日? と思ったがそうでもないらしい。「2.26」,「5.15」,「8.6」、「9.11」などは、歴史的な日付だから、もう忘れることはあるまい。
「5.21」の前後には、これはなにか重要な日にちがいない、との予感がありながら、なかなか思い出せないでヤキモキした。昨日になってやっと気付いた。毎年のように「おめでとう」のメールを送ってきたNの誕生日だった。そのあたりのいきさつも交えて、遅ればせのメールを、と思ったが、やはり止めることにした。「間抜け」というやつであろうと思ったからだ。
 毎年変わる「母の日」の前後という覚え方をしているために父の誕生日が覚えられないと今年も配偶者は妹に電話で確かめていた。
 義理の叔父(義父の弟)は、手帳に親族の誕生日を書き込んでいた。何度か見せてもらったことがあるが、数十に及ぶ数字の列は壮観だった。医師だったから、何かあったときに必要だったのだろう。記憶だけがたよりの、危なげなこちとらとは「覚悟のほど」がちがったのである。生きていれば、教えてもらうことがいっぱいあったのに、いまだに無念である。
日付というのは、なにかにつけ、興をそそるものがある。

 5月29日(金)

 梅の実は、生い茂った葉っぱとまったく同じ色をしている。仰ぎ見て、探すのが至難である。これは一種の「保護色」であろうか。梅の花枝は「折らぬバカ」といって、木の生長のためには折った方がいいというそうだが、実はよほど採られたくはないみたいである。
 その実を、たった一本の木から何個収穫できるか、などと計算しながら、こちらは虎視眈々と狙っているわけである。今年は、早い時期からポトリポトリと自然に落下してその数も十以上になっている。こんなに落ちたっけ? 問わず語りに訊けば「そんなもんだよ」と配偶者は言う。
「欲張り爺さん」は、もったいない、落とさぬ手立てはないものか、いや落ちる前に収穫したいよ、などと種々考えて仰ぎ見るが、どこに実がついているのか見極めることができなくて、2日続きの雨で梅雨が近いことを実感しながら、臍(ほぞ)をかむ、という顛末。

 5月31日(日)

 降らぬうちに畑の草むしりを、と午前11時頃、ずっと前からはじめていた配偶者に合流するも、十数分後にはパラパラと大粒の雨が落ちてきた。天の声とばかりに中断し、脇のトマトの苗を見ると先の葉が何枚も虫(アブラムシ?)に喰われ、この先の成育は危うく感じられた。新しい苗と差し替えることにしたが、下の方には、青々とした小さな実が一個ついていた。その一個が愛おしくて、虫を駆除したあと、庭に移した。トマトの苗木からも、なつかしいトマトの匂いが漂っていた。
 雨音を聞きながらいざ、と思うものの、野球中継を見たり、先週せっかく訪ねてきてくれたのにゆっくりお話ができなかった卒業生へのお詫びメールを打ったりしているうちに、夜になってしまった。晴耕雨読の閾に至るには、精神的にも肉体的にもまだまだの感ありて、いよいよ「非正規百姓」だなぁ、と苦笑。