日  録  か行の謎        

 2009年6月2日(火)

  2001年3月以来、ひと月を1ファイルにして日録を書いてきて、今月は99ファイルになった。ただし、2004年の暮れに、引っ越しのどさくさに紛れて(インターネット不通の期間もあった)、二つの月をまとめてひとつにしている。もしこれが別々であれば、「100th Anniversary」となるところであった。
 ともあれ、100ヵ月目に入るわけで、12で割れば、8か3分の1となり、10年まであと1年と8ヵ月。

  まったく私的な感慨で、だからどうした? と言われてしまいそうだが、この進化の著しい時代に同じパソコンを使い続けているのは奇跡、というか、ニュースになるのではないだろうか。
 この、いまや前世紀の遺物みたいなPC(OSはWindows98である)、危機的なダウンを経験してから1年半以上経ったがいまだに何とか使い物になっているのである。危機を孕みつつ生き続けていることに対して、Eightらは「愛のたまものですよ」などと冗談半分で言うが、自分は、実は本気でそう信じているところがある。ここで倒れてしまったら、(こちらの)生きるたつきが消えるから、たのむ、頑張ってくれ、と心の底で叫んでいる。
 そんな叫びが、本当のことばとなって記録されればいいのだが、その閾にはまだまだ遠い。日録を続けるゆえんである。

 6月8日(月)

「突風、雷雨、ところにより雹」の天気予報に身構えたが、思い出したように雨がしずくとなって落ちるのみにて、平穏のうちに夜半を迎えた。肩すかしを喰らった気分もあり、なんとこの日常に見合っていることか、と歯がゆくもある。が、こんな感想は贅沢かも知れない。通学の途上で交通事故に巻き込まれ、第二腰椎圧迫骨折で最低3週間の安静を余儀なくされている、と一昨年の卒業生の災難を聞いたのが土曜日のこと。ネットで調べてみると、これは相当痛いうえに、トイレ、食事以外はベッドを離れられないという。昨日あたりは一日中、その子のしょげ返った顔が浮かび、なんともやりきれない気持ちになっていた。こちらはただ早い回復を祈るしかないわけだが、それにしても、思いがけない受難には理不尽さがつきまとう。

 6月9日(火)

 夕方になってから、梅の実を採った。二十数個が収穫できたが、去年の七十個に比べれば大幅減である。花を愉しんだあとにこんなことを言えた義理ではないが、色つやも形もあまり良くない。
 ところで、「梅の実もぎ」も恒例化してきて、このいっときだけは、童心に還る心地がする。蜘蛛の巣と小さな虫がいっぱいいる葉をかき分けて、葉と同じ色の実を探す。頭には木くずが降りそそぎ、むき出しの腕は傷だらけになる。実をもぐことに集中しているから、どれも気にならない。もともとそんなに高い木ではないが、気分はもっと上へと、跳んでいく。自分が、山賊(鈴鹿)の末裔、忍者(甲賀)の子孫、もっと前は“猿”だったとさえ思われてくるのである。

 6月12日(金)

 またたく間に葉がいっぱいになった合歓の木を越え、網戸をすり抜け、風が吹き込んできた。
 たばこの煙を逃がすために開け放った窓だが、煙は部屋の中に逆流してくる。肌を掠める風は冷たいくらいだ。玄関先の龍眼やゴムの木に水を遣って、パソコンの前に坐れば、夕方までなんの予定もない今日一日が、永遠の相貌で立ち現れてくる。さわやかな朝とはこんなことを言うのだろう。
 富岡多恵子『釈迢空ノート』を読み始めた。勢いがあって、論理のツボがきちんとしていて、のっけから引きずり込まれていった。この人の小説(新作)を欠かさずに読んでいた頃のことを思い出した。『芻狗』にしびれた記憶も。再読したくなった。
 午後6時過ぎ、秩父の山の端にかかる夕陽に向かって車を走らせながら、こちら側は北西の方角、(太陽が)ずいぶん北に寄っているものだなぁ、昼が長いわけである、と思った。

 6月16日(火)

 娘夫婦の住んでいる広島に行くところだと、姉が新幹線の中からメールをくれたことがあった。「なつかしいでしょ?」とあったので、「けなりぃなぁ」と返信した。「けなり」とは、羨ましい、というほどの意味の“方言”である。田舎にいた40年以上前の当時ですら、若いわれらは、大人たちが日常的に使うこのことばを真似て、仲間うちの笑いのネタにしていたくらいだったから、いまやほとんど流通していないと思われる。
 
 たわむれに広辞苑をひらいてみると、「異(け)なり=普通とはちがっている。きわだっている。すぐれていてうらやましい」とある。『新古今』や『世間胸算用』での用例も出ている。いわば古語が、庶民の日常までおりてきて、生き続けていたということか。少しがっかりする反面、誇らしくもあったが、それにしても、あの時なぜこのことばが口を衝いて出たのか。
 友人の結婚式に行ったきりで、なかなか機会の廻ってこない「広島行」だけに、羨ましい、と言うよりも、「けなり」の方がピンとくるのは確かであった。記憶の古層を穿っていく、そんな潜在意識も、あったかも知れない。

6月18日(木)

「けなり」とともに「きづつない」ということば(方言)も、躯の底を流れる、いわば通底奏音であることに気付いた。 一方が「羨ましい」というのに対して、こちらはもっぱら「申し訳ない」の意味で使っていた記憶がある。たとえば、思いがけない親切を施されたとき、こちらの側の隠しようのない気持ちを言うことで、相手に感謝の意を伝える、という具合だった。

「き」は「気」だと思うが、「づつない」は、どこから、何が転訛してきたのだろうか。
 ネットで検索すると「もとは“気術ない”である」(京言葉の本から)とあった。しかしこれは、信じがたい。
 そこで「きつづ」は「気筒」ではないか、と考えた。気持ちの通り抜ける筒が、まるでふさがれてしまったように恐縮しています、というのであれば、使う者の意に叶う。

「異なり」と「気筒」、このふたつを、現在のこの躯に甦らせれば、ひとつの心象風景が浮かび上がってくる。それは望郷の念と言い換えることができるかも知れない。おおげさに過ぎるだろうか。

 6月25日(木)

 朝のうちは雨が降り、昼を過ぎると夏のような暑さになった。
 きのう、奥の方の畑ではモグラにやられたようだ、と聞いて、サツマイモがすべて野ネズミに食いちぎられるという昨秋の苦い経験が脳裏を掠めた。そこで、暑さと眠気を振り払って、七畝のうちのひとつをとりあえず掘ってみることにした。
 地上部分はほとんど枯れているので、このところの雨で重くなった土を両手でかきわけるようにして、子イモを探していった。この両手は、モグラと同じ心を持っていると思った。ひと茎にだいたい7〜8個のジャガイモが、無傷のまま収穫できた。
 カゴに入れて持ち帰り、新聞紙の上に並べてみると、まずは上々の出来である。掘り出しながら、ちと小ぶりかな、と思ったのは欲張り心のせいだったのだろう。早速茹でて、何もつけずに試食してみた。ほくほくとして、上等であった。明日は晴れるそうだから、全部掘り出す予定でいるが、一夜まずは安心して眠れるというわけである。

 6月29日(月)

 数日前新聞で、若者(高校生だったかも知れない)のかなりの人が携帯電話を枕元に置いて寝る、というアンケート結果をみて、そういえばわれもそうだ、と複雑な気分になった。
 若者の場合は、友人からのメールや電話に即座に対応するため、なかには、愛しさのあまり、なんて者もあるだろう。が、こちらは、一に目覚まし、二に家族の呼び出し(迎えの!)、ずっと機能的である。離して置いておくと、気付かない場合があるからつい枕の下に忍ばせてきた。
 とはいえ、枕元に置いてあれば、寝付きの悪いときなどはつい手にとって、今日やりとりしたメールを読み返したり、絵日記を書いてみたりすることもある。
 当初の発想は違えども、いまや、形も内容も彼らと同質化してきたような気がしないでもない。つまり、依存性が無意識のうちに高まりつつある。そこが複雑な気分の所以である。
  携帯電話、または携帯といままでは書いてきたが、今度からはケータイと表記しなければならないか、と悩んでいる。そういえば、ケータイ小説、なんてものがついこの間までもてはやされていたようだが、いまはどうなのだろうか。

 6月30日(火)

「きづつない」の語源について、「づつない」は「頭痛なり」 が転訛したものではないかと、新刊『オキナワ 大神の声』を上梓したばかりの夫馬基彦さんが教えてくれた。
  澄みません、申し訳ない、頭の痛いことであります、というわけで、他者に詫びたり恐縮したりするときの言葉としておおいに納得がゆくものがあった。

 すると「づつない」は「ずつない」と書きべきだが、それはともかく、「き」は「気」でいいのだろうか、と新たな疑問が湧いてきた。「気頭痛」などと漢字を当てれば、なかなかいい語感がして、「気」に入っているものの、別の「き」かも知れないと思いはじめたのである。知識が乏しい分、なかなか想像力が伸びていかないのは、歯がゆいことである。
「づつない」は、川越あたりでも同様の意味で使われているそうであるが、「きつづない」は京都周辺のみのように思われる。「き」の秘密は、ここら当たりに潜んでいるのか。

「けなり」の「け」に続いての「き」である。さしずめ「か行の謎」といったところか。