ぼくの石原吉郎
〜「伝説」のあとに〜

詩集『足利』(花神社)は発行日が一九七七年十二月一日になっている。奥付のあるページには、「十一月十三日、孤独の死。二日後発見さる。」と鉛筆で走り書きがしてある。「十一月二十三日購入」とも書き留めている。いまからちょうど三十六年前のことである。

石原吉郎、一九七七年没、享年六二歳。ぼくはすでにその年齢を二年前に越えてしまった。ついでに言えば、その年は七月七日に二番目の子供が生まれて、七が四つも並ぶことになんとなく浮かれた年でもあった。それがいまや、身近な人たちの死に否応なく遭遇するような年まわりとなった。

『足利』には最晩年の七五年から七七年にかけて発表された四〇篇が収められている。「入水(じゆすい)」「相対(あいたい)」「間(あわい)」など死をめぐる詩につい惹き寄せられてしまう。それらはすぐにもやってくる自身の死を予感したかのように思えてくるのである。例えば「間」(初出・文藝春秋、一九七七年五月)、

今からが眠りという刻(とき)が
なんとしてもわかりません
まして生き死にの間(あわい)なぞ
他界へ踏み入る爪先なぞ──
のりのきいた襟の片方を
ふたつに折って
婦人はかすかにわらった
姓名をはなれ去る背が
ついにさだかではありません──とも
半折を不意に折るように
その夜婦人は成仏した

七〇年代のはじめ、ぼくらの間では本を片手にジャズやクラシックを聴かせる喫茶店で何時間も過ごすことが流行していた。もう外を走り回り、暴れ回るのはこりごりだという空気が蔓延していた。ぼくが手に持つ本のひとつは「現代詩文庫・石原吉郎詩集」だった。ある夜、丸善に勤める五つほど年上の女性と一緒に急な勾配の薄暗い階段を上っていった。隠れ家に案内するような気分だった。ひとりで過ごすという掟を自ら破ったのだった。

その夜流川のジャズ喫茶シルバーでは、モンブランの万年筆が目の前に差し出された。何日か前に、細いの? 太いの? と聞かれ、太字のがいい、と答えていた。高嶺の花を実際に目の前にしてぼくは飛び上がらんばかりだった。早速キャップを開けて、即興詩を書いた。「ちゃ色の人」という題名だけは覚えているが中身はおぼろである。飄々としているが、物事を深く考える性癖の人だった。奥ゆかしく発せられることばはすべからく腑の底に落ちる。そんな印象を書いたのかも知れない。ぼくははじめて生身の人に向けて肉声を発した気分だった。その人にしか通じないのはわかっていたが、それで十分だった。

二度三度と読んだあとに「認める、認める」と彼女は続けて言った。嬉しい感想だったが詩を書くのはそれが最後となった。いまなおいとおしくて、大好きな人なのに、万年筆は四十年以上経っても健在なのに、彼女の消息(生き死に)を知る手かがりがいつしかなくなっている。なんという残忍な過去だろう。

翌一九七八年に刊行された遺稿詩集『満月をしも』には「死」という題の詩が収められている。

死はそれほどにも出発である
死はすべての主題の始まりであり
生は私には逆(さか)向きにしか始まらない
死を〈背後〉にするとき
生ははじめて私にはじまる
死を背後にすることによって
私は永遠に生きる
私が生をさかのぼることによって
死ははじめて
生き生きと死になるのだ

そして〈死をめぐる詩篇〉をいくつか読んだあとに次の「書く」(初出・『ユリイカ 現代詩の実験』一九七六年一一月)という詩を目にすると、ごく近い過去の記憶に逢着するのである。

詩 それは
海からこぼれて
空になるように
空からこぼれて
海になるように
そのように書かなければ
いけないものです

あまりにも理知的だった同世代の女性が自死したという知らせが届いたのは去年の秋だった。かつて長い期間にわたって有形無形の交誼を持っていたので、ぼくはへなへなと床に倒れ込んだ。自分がいま生きて在ることが罰のように感じられた。病魔に冒されて苦悶する自身の姿に納得がゆかないと考えた末の行為だったという。彼女ならそう思い詰めてもおかしくはなかった。

忖度はいずれ詮ないことだったが、その人にぼくはモンブランの万年筆を贈ったことがあるのを卒然と思い出したのである。神田の金ペン堂で買い、イニシャルを入れてもらった。こんなお節介はおおきく喜んではもらえなかったが、そのことで、照明を落としたシルバーの片隅で詩集を読んでいる二十年前の自身の姿を彼女にも知って欲しかったのだろう、といまはそんな気がしている。

自身の肉声にのぼせることばが、頭か、ペンか、いずれの仕業とも判然としない瞬間をぼくはもっともっと生きてみたい。「半折を折るように」今生から消えたその人にもことばが届かないはずはないと思うからである。
「きみは花のような霧が/容赦なくかさなりおちて/ついに一枚の重量となるところからあるき出すことができる/……/あるきつつとおく/きみは伝説である」(「伝説」)とぼくを虜にした石原吉郎のそれが慫慂である。