守護神

 
毎年正月になると田舎から「鎮守のお札」が送られてくる。今年も義弟の喪が明けた2月下旬に届いた。神社の紋である橘花をあしらった紅白のお供物(落雁に似たお菓子)とお守りが同封してあった。お札とお供物は箪笥の上の神棚に納め、お守りは今年厄年の息子に渡した。財布に入れておけば、四六時中肌身離さず持ち歩くことになる、母から言われて長年自分がそうしているように、申し渡す。神棚から取り出した去年のお札は、車の中のものと取り替えた。サンバイザーに挟んでいるのだが、黄ばんで、紙が所々崩れていたからだ。安易に取り替えていいものかどうか気になって、電話した。
「おお、それでええ」
 兄が出て、よう気が付いた、とばかりに賛成してくれた。不肖の弟も、安心し、ちょっと誇らしげになった。
 この兄は現在神主修行中である。
 村の鎮守・若宮神社には一年神主の制度(頭屋制度)がいまなお残っている。青年団、消防団と一通り役目を終えた家長が、五年間の修行のあとに一年だけ神主を勤める。村の男は順繰りにほぼみんなが神主になる。
 修行中は生活の資を得るためにもちろん普通に働くが、衣類箱、洗濯物を別にし、肉食を断ち、朝晩のお詣りを欠かさないなどの戒律がある。それらを守り抜くことで、身を清め、心を清め、神に仕える人間にふさわしい人格、風貌を備えていく。こう書くと大変なことのようだが、村内ではごくありふれた日常のこととして、おそらく何百年、いやもっと前から連綿と受け継がれてきたのである。
 神主となる一年間は神職に専念し、精神的にも、親子・夫婦の情は断ち切られる。どんなに身近な人でも「かんぬしさん」と呼ばなければならない。
 その一年間の生活はどうするかというと、この鎮守は近県に熱烈な信者が多数いて、土日ともなれば参拝客が絶えないのである。この稀有な制度が維持されてきた背景にはそういう恵まれた事情があるのだろう。山奥の寒村である。本来ならば5,60人の氏子がお詣りするだけのひっそりとした神社であるものが、いつからか「霊験あらたかなり」の評判をとったのである。村人には、氏神を取られたと思うどころか自慢の種であり、心のよすがである。
 18の時に村を離れたぼくも、いまでは出かける前に神棚に御神酒を供えて柏手を打つことを毎日の習慣にしている。たまに拝み忘れて、運転中にお札を仰いで「すんません」と謝ることがあったり、神棚のとなりにたまたま置いてあったおもちゃの鏡台に、つまり自分の顔に向けて柏手を打つへまをやらかすこともあったが、頼りにする気持ちは人一倍強いのである。事実、車という危険な代物を毎日転がしている身には、ひやりとすることが必ずあるものである。その都度無事なのは、神のおかげとしか言いようがない。
 新しい原稿ができあがると、神棚に乗せて、日の目を見ますようにと祈願してきた。これは、叶わなかったことの方が多いが、大阪の姉などは、久々に掲載された雑誌を持ってわざわざ帰省し、いつまでも芽の出ない弟のために神社でご祈祷を受けたことがあったという。
 まあこれらは余談だとしても、わが鎮守は「選挙の神様」としても名高いのである。選挙は勝ち負けの世界である。○か×か。それを神様が○の方に導いてくれるのなら、祈願しない手はない。人間のほとんどの悩みも実はこれと似ている。右か左か。煎じ詰めれば、生か死か、である。
 神のみぞ知ることを、神に願わずして、どうする、と思ったりする。(2001年4月14日)