まぼろしの店

 

 二年前の晩秋、久しくご無沙汰していた居酒屋「田舎舎(いなかや)」に向けて日比谷からタクシーを飛ばしたことがあった。
 夏に悪いウイルスに冒され何ヵ月か入院生活を送った友人が仕事に復帰し、それを「励ます会」の帰りだった。二次会が終わって、まだ11時、秋の夜長、このまま帰るには惜しい時刻である。版画家とアメリカ留学中に知り合ったという友人(ともに女性)が付き合ってくれることとなった。版画家などは「昔の女に逢いたいんだな」などとからかいつつ、話を膨らませて、はしゃいでいた。
 そこは、学生時代寮で一年ほど一緒だった男がやっている店だった。正確には、小柄で快活な奥さんが一人で切り盛りしている。カウンターに坐れば、ほっと心が和むのである。共通の友人間では「カマタの店」で通用するが、肝心のカマタには、これまで一度も店で会ったことがない。版画家の想像力に悪のりすれば、友人の奥さん、つまり性格がグラマラスなおかみさんがお目当てということになる。
 近くの「家の光」に勤めている、カマタを知らない高校時代の友人にも教えておいたところ、同僚を連れて行ってきたという報告を受けていた。それから一年ほどが経っている。こんなチャンスは滅多にない、顔だけでも出しておこうと思ったのである。
 タクシーは皇居のまわりを走っていた。お堀のむこう側がよく見通せた。常緑樹がネオンの光りにきらめいて、こんもりとしたやま裾を走っている気分だった。大手門、北の丸公園を左手に見て、やがてタクシーは右に折れた。目指すは、神楽坂であった。
 賑やかな通りをそれて、緩い坂道を下った先の横丁に、しかし、「田舎舎」はなかったのである。別の看板が掛かっていた。ためらった末に、戸を開けて覗いてみた。消息を尋ねると「そんなの、わたしらには分かりませんよ」という返事である。けっして不親切な応対でないことに救いを感じる。不況の波に勝てなかったのに違いない、すると明日は我が身かと、そんな気弱さもあったのかも知れない。それにしても、閉めたという情報はどこからも入ってこなかった。どの方面にもよほどご無沙汰だったわけである。
 意外と急な坂道のメイン通りに戻ると、高台に建っている「ロイヤルホスト」に入った。コーヒーとケーキで、女性二人の話の聞き役に回る。途中、版画家の友人の携帯電話が鳴って、流暢な英語で話す様を夢のような気分で聞いていた。三人の誰にとっても、とんだ神楽坂となった。
 次の日、藤沢の友人に電話をしてカマタの消息は掴んだ。
 とともに、二歳の幼児を殺害した音羽の主婦が寺の副住職である夫に自首を勧められながら、自身も迷いつつ皇居のまわりを歩いたことを知った。そんな「ドラマ」が演じられたとはつゆ知らず、その12時間ほどあとに、酔いどれどもは皇居の夜景をこもごも褒めあいながらタクシーに乗っていたのだった。“まぼろし”の行き着くところは、所詮そんな人生の暗礁に似ているということか。  (2001年5月25日)