『按摩西遊記』の面白さ

 ヒッピー世代の小説家夫馬基彦氏が久々に本を出した。所収の4 編がどれも、人恋しさを募らせる小説となっている。
 飄々とした文 体、そこはかとないユーモアを醸し出す香気に満ちた文章、それら の底から、深い思念が立ち上がってくる。作者の真骨頂が出てい て、大いに堪能し、何回も、読み直した。

 古山高麗雄の思い出を語る短篇「イン・プリズン」、30数年ぶ りに再訪を果たす「五十肩のベトナム戦争」、9.11WTC爆撃 テロをすぐ近くで体験した、いわば同時ルポ「ニューヨーク・ ミュージアム・ピープル」の3編に“鎮魂のうたげ”を、玄奘三 蔵の足跡を辿る表題作「按摩西遊記」に“時の重さ”をそれぞれ感じた。

 出てくる土地が、一度も行ったことがないところでも、すでによ く見知っているところのように思われてくるのも、語り口の絶妙 さ、文章の力に引き込まれてのことだった。

 突飛に思われるかも知れないが、読み進めながら、太宰治の「津 軽」や「思ひ出」を連想した。「五十肩のベトナム戦争」のTが 「たけ」と重なり、いつ再会するのか、ドキドキした。もちろん、 再会しないことが、この作品のテーマにつながっているとわかって いながら、そんな興奮・感動を覚えた。

「按摩西遊記」、実はげらげら笑いながら読んだが、読後、時間へ の痛烈なしこりに、随分考えさせられ、余韻が最も残る小説だっ た。
 紀行の体を借りた、「哲学小説」、これが面白さの秘密かも知 れない。森敦を彷彿とさせるような印象があった。
 年代を超えて、 いろんな読者に迎え入れられる本、と直観した。
                              (『新刊展望』(日販)2006年9月号、投稿)