志の高さ−『ノルゲ』を読む

 6年間にわたって雑誌に連載されていた佐伯 一麦氏の『ノルゲ』を約30日かけて読み終わった。
 ノルウェーの風物や、なによりも文章の滋味を掬しながら、はじ めはゆっくりと読んでいたが、「故障したノートパソコン の修復」とそれに続く「群発頭痛」のあたりから、ついと襟を正さ なければならなかった。
 それは12章立てのちょうど10章前後からで、妻の留学に随行 してきた「おれ」のノルウェーでの生活も残すところ3、4ヵ月と なった頃である。そこからは一気呵成に読んでいった。読まされて いったと言うべきかも知れない。

 作者は、なんの術策を弄することなく、事実を正確無比に描写している。なのに、読者に強いる、こ の緊迫感、この臨場感はいったいなんだろう?

 読み終えて数日後、それは、志の高さではないか、と思い 至った。
 音楽も小鳥の囀りも、作中翻訳を進めていくノルウェーの小説 『The Birds』の主人公も、そして「おれ」自身にふりかかった 過 去の傷痕も、時間という大きな渦にもまれ、「命名」されることを 待ち望んでいる。それに、6年がかりで応えたのがこの小説である。

 25歳のデビューの時、すでに「私小説作家として屹(た) つ」ことを公言した佐伯一麦氏の、生きること、死ぬこと、いっさ いの人の営みに向ける目線の深さ、優しさに襟を正すのは、当然の ことであった。  

 そして、水平にも、垂直にも、しなやかに伸びる言葉の鏃(やじ り)は、人の生を抉りながらも、同時に癒していく。もはや「文学 への志」などは小さいことだ。もっと先へ、この作品は、射程距離 を伸ばしている。極北の地ノルウェーは、氏にとって恰好の舞台 だったのではないか。一読者のわれにとっても、また……と思えて くるから、不思議であった。

                     (『新刊展望』(日販)2008年2月号、投稿)