あいさつ     見えざる記憶
               
「行逢坂」は実在しない。一番最初にこの小説(原稿)を読んでもら
った寺田博氏から「地図で、探しましたよ」と言われ、そのときはひ
たすら恐縮したが、二十年経ったいまなら、
「生きることが、行逢坂じゃないでしょうか 」
 などと気の利いたせりふのひとつも吐けるかも知れない。
 もちろん、「八十点の出来」と評された、若書きの作品が人の生
の深奥に分け入っていたという保証はない。しかしこれははじめて
文芸誌に掲載されたもので、思い入れが強く、なによりもこの言葉
には執着がある。標題にした所以である。
 正直に言えば、インターネットは魔物だと思っている。電子の網の
目には魔物が泳いでいる。
 ある時は実用的な理由から、またあるときは暇つぶしに、さまざま
のホームページを覗いてきた。覗いているつもりが、実は覗かれて
いるのではないか、相手の姿形がみえないだけにそんな疑心暗鬼
にとらわれる。
 一方で、一年間に約千通もの電子メールをやりとりする。
 手紙や電話の代わりにしても異常な数字だと自分でも思う。それ
もまた魔物のなせる技かも知れない。 
 そのなかへ「個人誌」を投げ入れようなどと思いついたのも、魔物
の慫慂にちがいない。
 怖いもの、否定され否定するもの、異形のものにこそ惹かれゆく
心理であるかと思う。
 ともあれ、言葉を紡ぎだし、思考する場が欲しいと、高血圧に悩ま
される(煙草は吸う、運動はしない、たまに酒も飲む)男は思ったの
である。
 誰かが読んでくれることを想定して書くが、実際に読んでくれなくて
もいい。魔物を介して、何人かの人が行き逢ったという見えざる記
憶が刻印されればよい。                (2001.3.3)