貧困なオネーギン


昭和33、4年頃、校庭で行われた朝会の場で、歯ブラシを家族の人と一緒に使っている人いますか? との問いかけにただひとり手を挙げたのがみっちゃんだった。訊いた先生はちょっと困った風に、誰とですか、問い返した。

兄ちゃんです。

この問いかけはマイ歯ブラシを持ちましょうという啓蒙のためのものだった。朝会ではなく、保健衛生指導の集会だったのかも知れない。3年生だったみっちゃんは手を挙げたのが自分ひとりであることから、質問の意図にすぐに気付くと顔をまっ赤にしてうつむいてしまった。

山奥の小学校とはいえ当時全校生徒は100名を越えていたはずである。その中のひとりだから目立ったが、おそらく兄と大の仲良しであることを宣言する絶好の機会と思ったのだろう。少なくともぼくは好ましい印象を持った。

なんとまっすぐな子だろうか。

しばらくしてみっちゃんは兄の同級生であるぼくのことを好きだと公言するようになった。長い間そういう時期が続いたようだったが、歳が3つも離れていると中学・高校ではすれちがいになり、顔を合わす機会は滅多になかった。うわさが届いても、あ、そう、と聞き流すのみだった。彼女の“思い”は胸の奥には届かなかった。

十数年後、23歳の頃だったが、その兄のアパートに何ヵ月間か居候することになった。あるときアパート近くの彼らの親戚の家に呼ばれてみっちゃんと再会した。清楚な、素敵な大人の女性になっていた。もはや彼女の方にはただなつかしい人に逢ったという感傷以外のものはなかった。かつて好きだったという記憶も忘れ果てていたにちがいない。

ぼくはちがった。もっとお互いに知り合うべきだと思い、映画や食事に誘ってみようと思った。みっちゃんはその街には住んでいなかったので、その機会はついに見つからなかった。転勤のために、心を残したままぼくはその街を離れた。オネーギンに自身をなぞらえることが自分にできる精一杯のことだった。

さらに二十年後、同級会の席で「家内がよろしくと言ってたよ」と仲のよかったクラスメートに言われてびっくりした。みっちゃんが彼の奥さんになっていたのだった。

なぜこんなことを思い出すのだろう。

『穴』に「かんらかんら」と笑ったという表現があった。40年以上前広島の街で、恋人だった女性がこの表現を好んでいた。いまその同じ街に住むという作者・小山田浩子さんのまわりではまだ生きているのだろうと思うと遙かなる道筋に思いが及ぶ。その切っ先とも言うべき位置にみっちゃんが立っているのだった。

 


(「追憶」 其の壱 2014.3.13)