立岡君によろしく

《綿向山を仰ぎ見る山村では十キロ先の中学校のある町で降る量の十倍の雪が降る。町ではすぐに融けてしまう雪もここではしんしんと降り積もる。積もればバスが動かなくなる。ぼくらは帰りの足を奪われて途方に暮れる。今年度帰宅困難生になるのは三学年合わせて十七名である。これまでにも雪の程度によって綿向通学区の顧問の先生が二種類の指示を出してきた。

ひとつは、止む気配がなく数日バスは動かないと判断すると、弁当を食べ終わる頃に校内放送で「綿向地区の全生徒にお知らせします。帰り支度をして南側の昇降口にいますぐ集合してください」と呼び出される。早退して、日の高いうちに連れ立って歩いて帰るのである。その後何日か登校できなくなって自宅待機が続く。

もうひとつは、一日待てば雪は収まりバスは動き始めるだろうと予想し、放課後広い講堂に集められてその片隅で今夜泊まる家が発表される。何人かずつに分かれて学校近辺にある、在校生や同級生の家に泊めてもらうのである。

その日、朝からの雪は午後になっても依然降り続いていたが明日未明には止むと予報されていた。ただでさえ短い三学期、近辺に分宿すれば十七人は明日の大事な授業も受けられる、授業が終わる頃にはバスも動いているだろうというので今回は後者の決定がなされたのである。

ぼくが割り振られたのはクラスがちがうのでほとんど口を利いたことがない立岡君の家だった。たった一人で彼の家に泊めてもらうことになっている。学校と受け入れ先の家庭との間でどんなきまりや遣り取りがあるのか知る由もないが、帰る足のなくなった山村の生徒を憂いなく勉強させてあげたいという町の人たちの奇特な意志は子供ながらに感じられた。だから一人であることで不平や不満があるわけではなかった。ただちょっぴり不安だったというだけである。

立岡君の家は明治の頃から百年近く続く老舗の家具屋さんである。一緒に雪のあぜ道を傘もささずに十数分歩いてお店と住まいが一体となった立岡家具店に辿り着いた。奥の方から白い割烹着を着た、美しい顔立ちのお母さんが店の入り口まで走ってきて出迎えてくれた。「相良です。よろしくお願いします」ぼくは殊勝に自己紹介を済ませるとぺこりと頭を下げた。「よく来てくれましたね。自分の家だと思ってゆっくりしていってね。綿向の相良さんというと勝さんの子供さん?」立岡家具店は遠く離れた綿向地区にも婚礼などがあれば新所帯のための家具一式を運んで行くのだった。あとで母に報告すると、あそこの家具は縁起物みたいなものでここら辺りの家は祝い事にはきまってそこから取り寄せてきた、ご主人もおかみさんもよく知っていると言うので驚いた。

立岡家具店は間口は狭いが奥行きの長い造りになっていた。一番奥に立岡君の家族の住まいが控えているのだが、ちょうど真ん中あたりに二階への階段があった。先に上りながら立岡君はぼくを自分の部屋に案内した。お店の入り口のちょうど真上にある部屋で、小さな窓越しに旧中山道の往還が見下ろせる。天井がつい頭の上に迫って来るような部屋だ。いま思えば若い頃に誰もが一度はあこがれる屋根裏部屋だった。そのときはそんなロマンをそそるような呼び名を知らないのである。

「カバンなどはそこら辺に適当に置いておけばいいよ」立岡君ははじめてまともな口を利いた。彼は野球部のキャッチャーをしている。リードが上手く、強肩のうえに三番を打つ強力なスラッガーでもあったので校内で知らない者はいなかった。四番バッターの本間君と比べても容姿はけっして見劣りしないのに、その無口さが災いしているのか女子の人気はいまいちだった。

しかしぼくら男子には立岡君は一種あこがれの存在であった。四月からは三年生になるので、主将は本間君がなるだろうがこれからのいろいろな試合で、寡黙に、クールに、際立って男らしい勇姿を見せてくれるにちがいなかった。そんな期待を声を大にして言いたいが言っても本心と信じてもらえるかどうか不安だったので止めた。阿(おもねる)る心と見透かされるのも嫌なことだった。立岡君はそんな了見の狭い男ではないのだったから、これらの心配はぼく自身の問題だった。

「兄弟は?」
「お姉ちゃんがいるよ。歳が七つも離れているんだ。君は?」
「姉と兄と弟」
「いないのは妹だけか」
何がおかしいのか二人で笑い合った。

乾いた笑い声を聞きつけて一匹の三毛猫がのそりのそりと近づいてきた。三毛猫は立岡君の膝に頬をこすりつけるようにしてやがて股の間に居着いてしまった。前足で顔をなで回しながらときおりぼくの顔を盗み見るようにするのが可笑しかった。
「名前は?」
「まだない、なんてね。ほんとは三毛と言うんだ」
またふたりで笑った。国語の授業で『我輩は猫である』を習ったばかりだったのだ。

その夜はなかなか寝つかれなかった。立岡君と布団を並べているので興奮していたのにちがいない。ならば、すぐに寝ついたらしい立岡君を起こして同級生の誰彼や先生のうわさ話やマンガの話でもすればいいのだが、互いに無口人間で、そんな才覚もないのだった。

真夜中の十二時近くなって突然立岡君が起き出してきた。パジャマの上にジャンバーを羽織ると机の横に立てかけてあるバットを手にした。
「眠れないみたいだね。一緒に行こうか?」
ぼくは頷いた。
「暖かい恰好していった方がいいよ」

雪はすでに止んでいた。森閑とした旧街道を横切って、住宅が途切れるあたりまで歩いた。雪明かりというのか、あたりの風景は水墨画のように照らし出されていた。ことに、前を行く立岡君の頭上には光りの条がいくつも射し込んでいるように思えるのだった。

一面の雪に覆われた水田に入り込んで足元の雪を何度も踏みつぶして固めると立岡君は無言のまま素振りを始めた。三メートルほど離れたところでぼくは雪を丸めて転がしては大きくしていった。雪だるまを作るというくらいしか思い浮かばなかった。それでもだんだん熱中していった。すると突然雪のつぶてが飛んできた。頬を掠めそうになったので咄嗟に躱すと、両足がすべって雪の上に仰向けに転んでしまった。すぐに起き直ってだるまの頭をもぎ取ると立岡君めがけて投げた。立岡君はそれをバットで打った。雪の雫が白い花火のように飛び散った。

「どんどん投げてよ。もう少し小さいヤツがいい。打ち返すから」

それは、こんな時にしかできないとても楽しい遊びだった。雪のボールが抑制を失っていくと立岡君は打席を離れて追いかけた。そんな姿は試合ではついぞ見られないこっけいさにあふれていて、ぼくはいっそう至福の時を感じた。

打ち込みに飽きると立岡君は雪原に頭から飛び込んで雪まみれになった。ベースに滑り込む練習かも知れないと思いつつぼくもそのダイビングを真似た。しかしこんなのがトレーニングなんかであるはずはなかった。顔が浅い雪を蹴散らせて埋まっていくとき背筋が凍り付くほどの恍惚感があった。遊びにはなんの理由付けもいらないのだ。げらげら笑い合いながら交互に何回も五体投地のまねごとを続けたがそのうち冷えた汗といっしょになった雪水が下着にまで沁み込んで身体が小刻みに震えるようになったのでやっと家に戻ることにしたのだった。

朝、目が覚めると枕元にぬるぬるとした肉の塊が横たわっていた。ネズミか何か動物のからだの一部だろうと思ったが、ぼくは驚かなかった。立岡君はもっと平然として、

「三毛の仕業だよ。相良君に、腕のいいところを見せつけたかったんだろう。おれのお客さんなのに、自分のと勘違いしてやがる」

二十数年前の記憶がふっと澱の底から出て来る瞬間がある。人生は時の絢なす思い出にすぎない、とはよく言ったものである。立岡家具店はお姉さんが婿養子を取って後を継いだが、数年前に立ちゆかなくなって閉鎖された。そのあとお店部分を改造して喫茶店『宿場・たつおか』として生まれ変わったという。弟の立岡君はいまどうしているだろうか。まったく、立岡君によろしく、だ。(1997年7月13日深更・脱稿)》

2013.3.21 更新